(ちょっとした出来心ってやつ。)
冬獅郎、それがオレの名前。
シロ、も、オレの名前。
大切な人達がオレの為につけてくれた、オレを識別する為のもの。
ハロービースト
夕方、まだ日は落ちていない。
白い立派な毛並みと犬にしては素晴らしすぎる体躯を持って冬獅郎は己の特等席である玄関でまどろんでいた。
「シロ、ただいま。」
聞こえる声は幼い少女のもの。
フイと体を起こし、尾を振って答える。
「今日もいい子にしてた?」
当たり前だ、もう小さい子供でもない訳だから。
答えるようにして鼻を少女、遊子に擦り付けた。
「シロは偉いな〜。」
違う方向からまた別の少女の声と手が降ってきた。
手はそのままワシャワシャと冬獅郎の頭を撫でた。
「夕方の散歩は一兄の担当だからもう少しまっててな。」
そういって少女、夏梨はポンと頭から手を離してリビングへ向かっていった。
2人がいなくなったので、する事もなく、また冬獅郎は玄関でまどろむことにした。
彼が自分を拾ってくれたのはもう随分昔のことになる。
少なくとも体が小さく今にも命が消えそうであったあの頃より季節は二つ以上も過ぎている。
それは自分という固体が大人になるには十分すぎる時間だった。
(・・・早く帰ってきてくれないだろうか)
拾ってくれた本人、一護は2人きりになると、己のことを「冬獅郎」と呼んでくれる。
それが酷く嬉しくて、自分は良く彼の周りにいる。
冬獅郎は一護が冬獅郎と呼ぶ時に見せる笑顔が食後の日溜まりに寝転ぶ事よりも草原でボールを追い掛ける事よりも好きだ。
前足に鼻を突っ込んだ状態であった冬獅郎の耳がピクリとある音を捕らえる。
(彼の足音だ)
たまらず立ち上がり、ドアを睨み付ける。
睨み付けられたドアはそれに答えるようにして、ドアノブがガチャリと動いた。
「ただいま〜。」
オウ、と答えるように吠えて、彼の元へ駆け寄った。
「お、冬獅郎ただいま、今着替えるからな。」
朝の散歩は妹2人、夕方の散歩は一護の分担だ。
とはいっても冬至もまだ少し先の初冬のこの時期は日が暮れるのがめっぽう早い。
ドアの向こう側はもう日が暮れ始めている。
だからこの時期は夕方というよりはどちらかというと夜の散歩になる。
だが冬獅郎は一護と2人きりで外へ出れる事だけが楽しみで仕方ない。
着替える為に二階の自室へ向かう一護のあとをチャッチャッとフローリング故におこる足音をたてながら冬獅郎はついていく。
部屋の中に入ってすぐ、冬獅郎は一護のベッドに飛び乗る。
彼の部屋での自分の居場所はここだ。
「よし、待たせたな冬獅郎、行こうか。」
一護はリードを片手に冬獅郎を振り返った。
見れば既にドアの向こう側へするりと抜け出ていったあとだった。
「いってきまーす。」
いってドアを閉めれば空に既に太陽はなく、変わりに星がちらり、きらりと輝き始めていた。
口から出る吐息は白く変わる。
「すっかり寒くなったな・・・」
ワウ、と小さく冬獅郎が答える。
「今日もいつも通りの道でいいか。」
そうして冬獅郎を見下ろせば答えるようにひときわ大きくしっぽを振ってくれた。
一護自身もこうして冬獅郎と散歩に出る時間が好きだった。
孤独ではない、だが他人といるという訳でもない。
そうした感覚が何よりも好きだった。
それに、この時ならば冬獅郎、と気軽に呼ぶ事ができる。
いつも通りの道、というのはなるべく街灯が明るく、人通りの道が多い道のことをさす。
そして途中にあるコンビニの傍にある自販機で温かい飲み物を飲んで家に帰り、夕食にありつく、というのがここのところのお約束だ。
「うー、寒ィ・・・。」
コンビニに辿り着いて、すぐ傍へある自販機へ向かう。
「冬獅郎は寒くないのか、いいなあ、お前。」
ふるりとしっぽを振る冬獅郎の頭を撫でて温かい飲み物のボタンを一護は押した。
「キャアアアアア!!!!」
飲み物を取り出そうと屈んだ一護と傍らに佇む冬獅郎の耳に聞こえてきたのはかん高い女性の声だった。
見遣れば一人の男が刃物を手にこちらへ走ってくる。
反対の手には手には幾らかのお札。
叫び声の持ち主はコンビニのアルバイトの女性のようだ。
強盗だ。
思うやいなや一護は手に持っていた缶を強盗犯へ向かって投げ付けていた。
「ぐあっ!!」
ジャストミート。
だが、その瞬間強盗犯の目がこちらを向いた。
「ガキが、貴様ァ!!」
一護は多少の武道の心得があるにしてもあいにく凶器相手に立ち回った事などはない。
(喧嘩において不意打ちで使われた事はあるが)
あからさまな殺意の前に、一護の足は縫い付けられたように動かなかった。
彼に降り掛かる凶刃を見て、冬獅郎は己の中に眠る猛き本能が目覚めるのを感じた。
オオカミは群れをなして生息する。
仲間を何よりも大事にし、誇り高く、雄々しく、生きている。
冬獅郎にとって群れは黒崎家の皆であった。
「死ね、クソガキが!!」
ぎらりとした目を持った男が一護に向かって走ってくる。
群れの中で己の上に立っているのは、中心にいるのは一護だった。
男との距離があとわずか三メートルになった瞬間、冬獅郎は男に飛びかかった。
牙を向き、皮膚に爪をたて、肉にかじり付く。
その様は、明らかに、犬ではない。
野生の、オオカミだ。
「くそ、なんだこの犬!!」
男は振払おうとして刃物を持っていない手で冬獅郎を殴ろうとした。
だが、そんな物はまるでお見通しだと言わんばかりにひらりと男から冬獅郎は離れた。
一護は気がつけばリードを手放していた。
グルルル・・・と地を這うようなうなり声をあげながら冬獅郎は男を睨み付けていた。
「なんなんだ、くそっ!」
逆上した男の目には最早、一護などは写っていなかった。
写っているのは、白い光を身に浴びて銀色の毛が輝く、白銀の、誇り高き獣。
男が動く前に冬獅郎がウオウと一鳴きして動いた。
「ぎゃあ!」
冬獅郎が噛み付いた事に寄って男は刃物を手中から取りこぼした。
しかしその事に気付かずに男は腕を振って冬獅郎を引き離そうとする。
その直前にタンと男の足下へ冬獅郎は降り立ち、ある一点を睨み付ける。
一護は何故だかわからないが、冬獅郎が明確な殺意でもって、男を己の牙の元で殺そうとしているのが分かった。
冬獅郎の翠玉の瞳が睨み付けているのは男の喉元。
「やめろ、冬獅郎!!」
飛びかかる直前、一護は叫んだ。
出鼻を挫かれ、冬獅郎は一護を振り返り、それから男との距離をとった。
男は右手を抱えてうずくまり、痛い痛い、と喚き立てていた。
自分にとってなんら脅威にならない事が分かったので冬獅郎は一護の元へ走りよった。
その光景を一護は不覚にも美しいと感じてしまった。
走り寄ってきた冬獅郎は一護を見上げて誉めてくれと主張するべく尾を左右に振った。
「・・・冬獅郎・・・。」
翠玉の瞳にはいつもの無垢な色が浮かんでいた。
「怪我、してないな、オレを護ってくれたんだな、ありがとう。」
そうして冬獅郎の首に抱き着いた。
白銀の毛並みが温かくて、その下に響くトクトクと言う心臓の鼓動が耳に聞こえてきて、一護は泣きたい気持ちになった。
黒崎家の玄関に一つの賞状が飾られている。
なにやら強盗を捕まえてくれた事に対する感謝の賞状のような物で、名前の欄に「黒崎 シロ」と書かれていた。
「良かったのか?」
「何が」
賞状を指さして一心は息子の一護に話し掛けた。
「だって、お前、別の呼び方してるだろ?」
「・・・でも、シロ、だろ。」
答えにならないような答えを一護は返した。
それに対して一心はそう、と返してリビングへ戻っていった。
一護は賞状を見上げて考えていた。
家にいるのはシロ、だ。
人畜無害、温厚で人なつこい、飼い犬だ。
だが、あの日、あの夜闇にいたのは白銀の毛並みと翠玉色の炎を瞳に宿すオオカミの冬獅郎だった。
彼は冬獅郎と言う名のオオカミだった。
自分だけの。