輿入れの行列が山間を登っていく。
 その山は近頃山賊が頻繁に現れると有名の山だった。
 女は意に沿わぬ婚姻が災禍により壊れてしまえばいい、と心に思いながら、それの許されぬことも重々承知していた。
――――四十もはなれた夫を愛せようか
 しかし仕えねばならない。奉仕せねばならない。
 それが、嫌で嫌で悲しくて、女は白無垢の袖を濡らす。
 齢14の、まだ幼子である。
 突如、列の前方から馬の嘶きが緊張を走らせた。
 行列の警護兵たちが女の乗った輿を囲うが、如何せん狭い道である。後ろからも馬の蹄の音がして、挟まれたと知った。
 戦闘、剣戟、混戦。
 血が、輿を覆う薄絹に飛び散った。女は恐慌し、脳乱した。輿が揺れる。担ぎ手たちは彼女を護ろうと、しかし行き場なく切られてゆく。輿が崩れた。浮遊感、女は輿にしがみ付き、転げ出ることを耐えた。荒々しく地に打ち付けられた。しかしそこから一歩も動くことができない。ただ、姿勢を崩し、どちらにいるとも知れぬ敵に身を縮こまらせるだけだ。
 刃の打ち合わされる音に、切られる者の悲鳴に耳を塞ぐ。
 女は死の恐怖を知った。
 だから、音鳴り止まぬ内に差し入った陽光に彼女は救いを嘱望した。しかし、開け放たれた紗の向こうに片膝をついていたのは端整な顔立ちながら血を浴びた山賊の衣装。
 殺されるのだ。
 奪われるのだ。
 辱められるのだ。
 こぼれんばかりに見開かれた眼、戦慄く身体、声を上げれぬほどの恐怖が身体の自由を奪っていた。
「いや‥っ」
 伸ばされた男の手に、女は反射的に身体を返した。
 逃れようとしたのだ。
 しかし直ぐに引っ込められたそれに女は思わず顔を向けた。
 間近で剣戟の音。男は女の護衛の一人と刀を交えていた。
 両の手で打ち下ろされた刀を男は片手で受け止めている。震えているのは護衛の腕だ。男は、哂っているらしかった。
「しゃらくさい」
 心地よい、低音だった。
――――奪って、くれるやも、知れぬ。
 動転の過ぎた頭が愚かなことを考えたのだろう。
 しかしそれは大きな期待となって女の内を占めた。
――――私を、奪って‥
 だが、男が護衛を切り倒したその時、女の夫となる男の寄こしていた兵が駆けつけた。
 退却する山賊たちの、最後に一度振り返った男の黒曜の瞳を女は忘れない。
 いずれ贈られる花とともに、彼女はその瞳を思い出すのだ。
『奪いに行く』
 如何な嬌言よりも甘く
 如何な誓言よりも真摯な
 千言のうち、女の求めるただひとつの言葉。
 心許し始めた夫さえ捨てて、女はその手をとる。

 そうして故事は、花に名を与えた。



 ここからが始まり







   白の花は3日を経てなお瑞々しく一護の部屋にあった。
 教科書を広げた一護は頬杖をつき、何とはなしに机上のそれを眺めていた。
 いくら見ても見飽きない‥のではなく、いくら見ても見足りない。それは掴めそうで指先を掠めるだけの記憶の断片を追うのに似て、奇妙な焦燥に一護の眼は花を愛でるというよりもいっそ嫌悪しているようですらある。
(どっかで絶対見たことあるんだ‥)
 確信ではないけれど、これだけ気になってしようがないのは不甲斐無い自分の記憶力に苛立っているからに違いない。
 しかしこの3日考え続けて出ない答が今唐突に閃くなんて、そんなことを期待できない一護は諦めるように花から視線を落とすと、腕を引っ張って背を伸ばした。
「んーーーーーっ」
 さすがに少し目が疲れた。眉間の皺を指で伸ばしつつ、仰向いた一護はぐるりと首を回した。鈍い音をたてて凝った肉が主張した。
 丁度その時、階下から自分を呼ぶ声がして、勉強をする気分にもなれなかった一護はこれ幸いと腰を上げた。
 呼んだのは父親で、どうやら仕事も昼休みに入ったから飯を食おう、とそういうつもりらしい。
 階段をおりながら漂ってくる食事の匂いに、そういえば妹たち二人は遊びに行っていて家にいるのは土曜も仕事の父親と暇人の自分二人だけだったと思い出す。昼飯は自分が作るべきだったと反省しながら、父親の珍しい行為を不思議に思う。
(ま、こんな日もあるよな)
 しかしその程度に収めて、一護はリビングの入り口を潜った。


 一心は鼻歌を歌いながらその実、胸の内は悶々としていた。
 向かい合って食事をとっている息子は3日前とも昨日ともなんらの変化は見られない。
(あれから3日が経っちまった‥)
 一護に花が贈られたと思しき日からである。
 咀嚼しつつ鼻歌を歌うという器用さをみせる父親を、息子は気にかける風もなく黙々と食事を続けている。それを上目に伺いつつ、息子の表情や動作に僅かな変化でもないものかと目を奔らせるけれど、やはりそんなものは微塵もみつからず一心はますます憂慮を深くする。
(こいつが仕来りを知ってるわけがねぇしなぁ‥)
 贈られた花ーーー
 長い年月の間に名に預けられた意味は軟化したけれど、もともとの意味を知っているものは知っているし、それの活用法も心得ている。知らぬ者にとってそれは卑怯とも云えるほどの。
「なんだよ」
 凝視していたのに気付いていなかったのではなく、単に無視していただけだったらしい息子の怪訝な顔と目が合って、思わず咀嚼途中のものを飲み込んだ一心は咽た喉に慌てて茶を流し込んだ。
「だ、大丈夫かよっ、何やってんだ‥っ」
 驚いて思わずといった風に腰を浮かせた息子に、いつもの表情をきがけながら笑って。なんとか喉に詰まったものを胃に納めた。
(贈ったのが女ならその日のうちにでも現れるのが常套だ。それを3日も待つってのは‥)
 考えたくなくて一心は首をふる。それをますます怪訝そうにみやる一護などもはや目に入っていなかった。




『は?』
 自分の上司のこの上もないと断言できる不機嫌な声に、背後に控えていた松本は肩を竦めた。一番隊隊長室である。
「今何と云われましたか?総隊長」
「現世へ参ることは罷りならんというたのじゃ」
「何故?」
 問えば、言い渋るように元柳斎は口を歪めた。
「‥‥お主、あの花を誰ぞかに贈ったじゃろう‥」
「‥‥‥」
「知らぬとはいわせぬぞ。あの花をそのようなことに用いることはもはやご法度。いくら一隊長といえども‥」
「はっきり禁制されたわけでもないでしょう」
「『禁制』‥の‥」
「いつかの時代、好んで詠われていたようですが‥貴方もその一人では?」
 驚きを隠すように、元柳斎は一度ゆっくりと呼吸した。
「それは‥、2千年も前のことじゃ‥。何度となく取り沙汰されて今では遠い因習よ」
「無くなってはいない?」
「良心ある者ならば手は出さぬ」
 良心、小さくそう呟いて、日番谷は鼻で嗤った。
「今でもあの花を使う者は少なくありませんよ」
「遊びじゃ」
「真摯な気持ちで扱うことこそ花への礼儀だと考えますが」
「礼儀と申すか」
「いかにも」
 如何にして止めるか。それを老爺は思いつけずにいる。
 目の前のまだ歳若い死神は十分な素地と十分な実力とをもって隊長という位に立っている。そのうえ素養もある。荒ましい行いをするような男ではない。
 それを知っているから、この度の出来事も小事として見過ごせるのではないかと彼自身甘い期待を抱いていたのだ。それをできなかったのは他の隊長から苦言がでたからである。
 ゆるりと首を振り長嘆した元柳斎は、急に力のなくなった目を持ち上げ日番谷をみると
「すべて、好転する自信があるか‥?」
「勿論」
 それで、話はついたと、総隊長は日番谷を追い払うように手を振った。
 日番谷は軽く頭を下げ、踵を返した。


 元来た道を戻りながら、乱菊が不安げな声で訊く。
「隊長‥さっきの話‥」
「心配すんな。俺もそこまで迂愚じゃない」
――――あの花を使ったのなんか牽制にすぎない。
「勝機もなしに、こんな手を使うか」
 その自身は何処からくるのか。松本は未だ計り知れない上司の器量に呆れも混ぜて感嘆したのだった。







―――愛の告白なら1日
 それは玉砕覚悟の、花の助けを借りて想いを告げるだけの可愛らしいものだ。
―――3日待つのは
 相手の気持ちを一応は聞く、とそういう意味もあるのだけれど。
(この花の本当の意味を知らない奴にそれをやるっていうのは‥)
 3日後に迎えにくる相手への拒絶を許さない、可憐な花には似つかわしいと思えぬ無理無体な意味合いをもつ。
(でもアイツ単純だしなぁ‥)
 初めは納得できないと憤慨するだろうけれど、純粋に単純な息子は言葉弄されれば易く籠絡されるだろう。
(せめて‥、せめてとんでもないブ男とか、爺とか‥)
 でも無理だろうなぁ、と己の希望の儚さに一心は自分の寝室で黄昏てみたりする。
 力ずくでも手に入れるなんてそんな強引なことを許す花。
 そしてそれを叶えられる人間なんて
(隊長格‥)
 相手方も一護の力が並々ならぬものであるとは承知済みのはず。
 略奪の意味も込めて花を贈る人間は、贈る相手より強いと自負がなければならない。
(命知らずな馬鹿じゃない限りな‥)
 どうしよう、親である自分は間に入るべきだろうか。でも今俺人間だしなぁ‥


 まだ若い死神の霊圧を頭上に感じつつ、そしてその人物の力の程にもはや諦めるしかないと思いつつもそれを許せない父親の気持ちの狭間で一心は頭を抱え布団に蹲っていた。

 その夜、清かな月の髪色した黒衣の少年が、黒崎一護の部屋を訪ねた。





 終

半端‥?
日記でぼちぼちやってました。

2005/07/29  耶斗