ちょっと頭を整理しよう。 時刻は夜10時を過ぎた頃。ちょっと早めの就寝を、とベッドに入ってようやくうつらうつらとしていたところだった。なのに今己は腕を支えに半身を起し、窓の桟にしゃがみ己を見下ろしている少年を見上げている。 驚きすぎて声がでない。目一杯瞠目していることは眼球の表面が痛み出してようやく知覚したことだ。2、3度瞬きを繰り返す。 外灯はその寿命が近いらしくちらちらと明滅して、少年の顔を濃い陰が舐め踊っている。 白銀の髪だ。 密やかな風に揺れる零れ落ちた前髪の間から、闇の中片方だけ覗く射殺さんほどの強さで見つめる瞳は闇色混じった翡翠色で。それは海の浅瀬より澄み透り、深海の底より深かった。 ちょっと頭を整理しよう? 支えの腕も少しばかり強張ってきた。なにより突然の訪問者との間合いは気まずさを感じさせてならない近さ。だから、 (離れなければ‥) じり、と敷布の上後ずさる。 すればやにわに少年が左手を差し出し---その白さ---否、差し出されたと見えたそれは 「‥‥っ?」 一護の肩をベッドへ縫いとめた。 腹の上の重さは、その上に浮かぶ少年からの圧迫感だ。嫌に緊張して腹筋が震えた。じわりと額に汗が浮く。不快な湿りを背に感じて、しかし身じろぐことも出来なかった。 ちょっと、頭を、整理‥ 「迎えにきたぞ。黒崎一護」 いっそ嘲笑っているような。その声には勿体ない綺麗な顔を意地悪に歪めて、少年は舌なめずりするような眼で笑った。 喉が、引き攣る。 「お前‥?」 「花を届けたろう?」 そこにある、と少年が顎で示した先にはなるほど3日前部屋の窓辺に寝ていた可憐な白い花。活けられたコップにしなだれかかっている。 (届けた?) 「あれ‥は、お前が‥?」 漸くになって一護の目は少年の観察を始める。 銀の髪、子供の容姿に大人の口振り。身に纏うのは墨色の (そうだ、こっちでは隊長も羽織を着ないんだ) 「お前は‥」 名を、名を知っている筈だ‥。 面白がるように見下ろす貌を、砂をかき混ぜたような記憶のそれと照らしていく。白壁、黒の甍、木の室内で、声 「思い出したか?」 得心の色に目蓋を持ち上げた一護に、少年は満足気に目を細めた。 そうしてその流れのまま実に自然に (待て。ちょっと待て‥) 見を屈めた彼は (顔、が) 近い‥ 続.君に贈る詩 ちょっとどころじゃなく頭を今すぐ整理しよう。 呼気が頬を撫ぜて落ちる。おそらく少年のである前髪が視界の邪魔をする。外灯が、明滅して。その安っぽい光が部屋の中を黄色がかった白と濡れたような闇でかたどり。少年の容も‥。その白銀の 「んん!?」 覚醒は突然で。一護は知覚すると同時に少年の肩を押した。 しかし反動で開いた唇の隙間にぬめったものが滑り込み、一瞬間身体を強張らせた。その隙をついて少年の幼い、そのくせ不似合いに固い掌がシャツの裾から潜り込む。 「んふ‥っ」 胸の突起を掠めながら撫で擦られ訳も分らず身体をよじる。捲り上げられた服は胸の上にまとまって、露になった腹の上に少年が乗りかかり一護の抵抗を抑えた。 「あ‥っ」 頭を振って逃れようとした舌はしつこく追いすがり、漏れた息も少年の舌に舐め取られる。 唇の、濡れた感覚が酷く恥ずかしい。 押しあげる肩は渾身の力でもってしても頑として動かず。むしろ擦り寄ってきているようでさえある。 荒れた呼吸は己のものか。 それとも笑う気配の彼のものか。 どの道己を追い詰めているものには違いない。 「‥‥‥っ」 なで上げられた脇腹はくすぐられた痒さとは違う感覚で腰の奥を刺激して 「やめ‥っ、やめろ、日番谷‥!」 気づけば、押しのけようとしていた腕は気味の悪いことに己を苛んでいた少年に縋っていた。どうやら押してだめなら引いてみろ、と使いどころを間違えた諺を実行したらしかった。 一護の腕に抱きこまれ、胸に押し付けられた少年の頭は小刻みに震え、押し殺した笑いはそれでも夜の静けさに漏れていた。 これで、ようやく、整理できるのか‥? 虚脱感に、それでも腕の力は緩めないまま一護は深く息を吐いた。 動き出そうとする躾の悪い手は、その頭を押し潰すことで大人しくさせた。 夕暮れが過ぎようとしている歓楽街をつまらなそうに歩いてくる彼女を見つけた。 「今晩は、乱菊さん」 人々の喧噪の中から七緒は彼女を呼んだ。視界に入っていながら知覚していなかったのだろう、実に鈍い反応だ。七緒はわずか口端を持ち上げた。 「呆けておいでのようですね。如何なさいましたか」 「あぁ、別に‥」 たいしたことじゃないんだけどね。とけれど並んで歩き始めた七緒へ笑った乱菊の声は乾いていた。そうすれば七緒は心配気に小首傾げて乱菊の顔を覗きこむ。 「そうは見えませんけど、珍しいですね貴女が悩んでいるなんて」 楽しそうな彼女はその実性格が悪いのじゃなかろうか、と乱菊は思う。仕える隊長が隊長なだけに強かさは鍛えられているだろうけれど、たまにこうして女同士二人っきりになると常には見られない饒舌を披露してくれる。 「七緒こそ。今夜はやけに楽しそうじゃない?いいことでもあった?」 負けてたまるかと主導権へ手を伸ばすが、届く手前で遠ざけられる。 「私はいつもの通りですよ。お悩みの種は日番谷隊長の奇行ですか?」 知れているのなら敢えて問うような真似などしなければ良いものを。 やっぱり性格が悪い。と乱菊は唇を尖らせた。多分、頭がいい人間は皆こんな風なのだ。 「あんたは情報が早いからね。その情報、他には回ってるの?」 見上げる瞳の悪戯っぽさから逃れるように立ち並ぶ店々の活気に溢れる明りへ目を逸らす。赤提灯に誘われて酒でも舐めていこうか。 「どうでしょう。うちの隊長は酒の肴にしていたようですけれど。平の隊員たちまでは知らないんじゃないでしょうか」 ということは隊長格の殆どには知れ渡っているということか。 今まで自分ばかり迷惑かけてきた報いかと、酒の肴にするにはもたれる溜息を吐き出して乱菊は云いつけられた用事を果たすべく足裏へしっかりと地を確かめると 「手伝いましょうか」 「は?」 聞き違いか空耳かと、瞬間乱菊は声の元を探した。 「3日目なのでしょう?今日が」 思い違いではない声の主は面白がるよりも揶揄うよりも、見守る人間の目で哂っていた。 どうにも頭が重く感じられるのは睡眠を邪魔されただけではないだろう。 起きぬけに好き勝手された身体を椅子へ移動させて一護は少年との距離をとった。電気をつけようかとも思ったけれど、気だるい身体と、このままでも十分に明るい外からの明かりに思い直した。 ベッドの上で少年はつまらなそうな、それでいて面白がるような顔をして胡座をかいている。ついでに偉そうに腕組みまでして。 「それで?この花はお前が持ってきたもんで、それとさっきのこととどう関係があるんだ?」 件の花が活けられているコップをこつこつと机で鳴らしながら、一護は怒声を耐えようと努力する。とりあえずは穏やかに話をしないとその理由さえ聞き損じてしまう。言い訳くらいは聞いてやるし、なにより自分の胸がすっきりしない。 けれども合わせられない目線は机の上を彷徨って、避けきれない少年の貌に羞恥が呼び寄せられる。誤魔化したくて、だから一護は口を歪め、上ずりそうになる声を抑えこむ。 「その花はな、俺たちの世界で大変意味を持っている。それを送ることで互いの気持ちを確かめるんだ」 「気持ちぃ?何だそれ」 もったいぶった話し振りに先ほどの色は払拭されていて、一護は誘われた興味といぶかしみとで少年へ顔を向けた。すぐさま絡め取られた視線に一瞬間気を取られたが直に持ち直し、挑むように目に力を込める。 「贈り物の類は大概色恋沙汰だろ。そんなこともわからないか?」 「知らねぇよそんなこと。だからそれと俺とどう関係あるんだよっ」 呆れたように溜息吐かれれば引き締めている箍も緩む。打ち下ろしたい拳はコップを抱いて、震えるばかりで我慢した。 「ちゃんと説明してるだろうが。その花は簡単にいえば宣言用の花で、俺はお前を俺のものにするために贈ったんだ」 「分かんねぇよ!なんだその宣言だとかお前のもんだとか!俺は、俺の意志はどこにやったよ!」 「3日待ったが返事もなかったしな。黙殺ということはつまり承諾ということだ。それが仕来りだ」 『仕来り』 仕来りつーたかこのガキ。 「んなこと俺は知らねぇぞ。仕来りだとかいうやつもお前らの世界でのもんだろうが。こっちの世界に持ち込むな!」 「こっちの世界とはいうがな。お前はすでにこっちとあっちを行き来する者だろうが。だったらどちらの掟にも従ってもらわなくちゃなんねぇ」 (なんだその勝手な言い分‥っ!) しかもなんだその押し付けがましいくせに筋が通っているといわんばかりの口調は! 「なんだよ義務かよそんなこと教えられてもいねぇのに知るはずねぇだろう」 あ、と。云い終わって落ちた奇妙な沈黙に一護は墓穴を掘ったことに気づいた。 じわりと、そう形容するのが正しいいやらしさで少年の唇は弧に撓み。 獲物へと駆ける猛禽の眸はその色でもって笑った。 「これから俺が教えてやるよ」 含まれた意味はなんとも物騒なものだ。それを察するから一護は背後の壁へ椅子ごと貼り付く。 「ちょ、ちょっと待て‥。俺はそんなつもりで言ったんじゃ‥」 少年の考えていることが分るようなだけに畏ろしい。そうして言い逃れる言葉が見つからなくて腹立たしくも嘆かわしい。頭も手も打ち振って拒否の意を表すのに、少年は構う風など欠片も無く一護へと迫り寄る。 「うわ‥っ」 追い詰められる様を楽しむように近づいて来た少年が、身をすくませる一護の股の間に膝を割り込ませ乗り上げたことに一護は驚き慌て、その強引さに感心もした。 「な、なんだよっ」 これはまさか先ほどと同じ状況かー? 「俺と一緒に尸魂界へ来いよ一護。詳しい話はそれからだ」 思わず呆気にとられたのは少年の笑みから獰猛さが抜け、反対に柔和なものへ変わったからだ。 (あれ?) 少年の言葉を確かくは理解しないまま、一護の首は首肯いていた。 → |