夜半の客 外灯の明りが薄く差すそこに これまで見てきた人間たち凡てを足して足らぬほどの拒絶でもってその瞳は、近づくな、と威嚇していた。 黒装束に投げ出された抜き身の日本刀。人の部屋でその 『日番谷冬獅郎だ』 死神だと、幽霊なのかと問うた己に答えた 夕食後の満腹な頭に突然血塗れの人間、それも甚だ時代錯誤の格好をした、が自室に蹲っているのを見た衝撃は普段幽霊なんて怪奇現象に慣れ親しんでいる己であっても激しいものだ。 一護は自身の適応能力に半ば感心しながら、部屋の隅で手当てをしている子供をベッドに座って眺めていた。 「なぁ、そんなとこいないでこっち来たらどうだ?」 怪我の具合を心配してのことだ。医者の息子に育ったことも関係しているのかもしれないが、怪我人には極力気を遣うようになっていた。ただし喧嘩で怪我させた分でない人間に対してのみ、であるが。 けれど子供は黙々と裂いた内着を腕に巻いていくだけで返事の一つも返す気配はない。その 幽霊(死神とは聞いたが霊体であることに変わりはなさそうだからもうこの呼び方でいい)ではあるだろうけれど子供には違いない。痛みに耐えるなんて姿は見ていて気持ちのいいものじゃない。痛がって、八つ当たりもして、そして人に手当てをしてもらって‥、それでいいんじゃないのか。 それは手当てを申し入れてすげなく断られたことからも来ているのだけれど。 どうにも気になって仕様がないのは、この幽霊が酷く綺麗な顔立ちをしているからか‥。 (俺こんなミーハーだったかなぁ‥) 自分の思考に自分で照れて、一護は外した視線のまま後ろ頭を掻いた。 容姿が整っているだけではない。彼の纏う空気は、憧れさえもするほどの 「おい」 「は‥ぁ?」 間抜けな返事になってしまった。意識が逸れていたのだから仕方がないといえば仕方がないが、どうにも格好がつかない気がして一護は慌てて彼へと顔を向けた。 「なんだ?何かあったか?」 やっぱり包帯だとか薬だとかが必要になったのかと問う前に 「お前、俺を変に思わないのか」 どうやら先ほどから気にはなっていたらしいことはその眼から窺えたが、一護には彼の問うていることが確かく理解はできなくて逆に問い返すように僅か首を傾げた。それを受けて幽霊は不機嫌に顔を顰めると、まさしく歪めて口を開いた。 「だから、お前はこんな格好した幽霊を変に思わないのか」 先刻自分で訂正した割りには幽霊という単語を使う。なんて矛盾した 「別に。怪我してんだからしょうがねぇだろ。幽霊が変な遠慮すんなよ。っていうか元々人の部屋に無断で入り込んだのはお前じゃねぇか」 「奇怪しな 「っておい‥っ、子供はお前だろ!?」 溜息交じりにそんな言葉を吐き出されれば大人気ないといわれようと声も上げるというもの。階下の家族の耳に届いてなければいいのだが。 しかし云った途端に睨みつけられ、ぐうの音も出ないというのはどうしたことか。 妙に迫力があるのだこの子供は‥ 面白くなくて、一護は彼自身常からのものとなっている眉間の皺を強くした。 こっちは助けてやったようなもんじゃないのか。 幽霊だから追い出しても戻れはするのだと半ば諦めもあって放っているのだけれど、余りに高圧的に過ぎると窓から蹴落としてやりたくなる。 と、突然ごろりと横になった冬獅郎に一護は驚いた。 「な!?何やってんだお前!?」 「寝る。どうせ今夜は帰れねぇからな。邪魔はしねぇからいいだろ」 「ば‥っか、だったらベッドで寝ろよ!怪我してんだから‥っ」 云えばまたじろりと睨めつけられ、何も悪いことは云っていないのにそんな気分になってしまって、胸をはってみせるのも虚勢のようで気分が悪い。 「んな顔してんじゃねぇよ。幽霊だからって視えりゃ生きてる奴と変わんねぇっ」 いいからベッドで寝ろ、と立ち上がりかけてその眼光に足が竦んだ。 もの言わず、凡ての意志を目で訴えるなんて獣そのものじゃないか。 その眼に、この部屋のドアを開けて直ぐに見た、威嚇する獣の双眸を思い出した。 外灯の明りが遮蔽するカーテンに濾過され弱弱しく室内を浮かび上がらせるなか、明りの届かぬ底辺で、這い蹲って睨みあげていた。今にも飛び掛って喰らい付かんと牙を剥く 「んな目‥してんじゃねぇよ‥」 喘ぎそうになる喉を押し込めて、声を絞り出せば、幽霊は興味を失っした視線を外した。 まるでその目が支配していたかのように、それで気圧は正常に戻り足に絡げていた枷は外れた。今度の溜息は、心身からの安堵。 あんな目をする人間を、己は知らない。 しかし目線を外してくれたということは近づいてもいいということだろうか。逡巡は一瞬で、一護はそろりと一歩を出した。ベッドに座る自分と向き合っていた子供は扉すれすれのところに頭を置いている。幽霊だからすり抜けはするのだろうけれど 一護は他人の痛みが嫌いだった。 近づくにつれ、小さな身体を再確認する。妹たちと変わらない背丈だというのは先刻承知済みだったけれど、こうして寝転がっているのを上から見下ろすとまた感慨も変わる。 人が側によってもまんじりともしない度胸に内心舌を巻きつつ、怪我の具合を間近で確かめて、やせ我慢しているのじゃないかと舌を打つ。 これで軽症だったら本当に追い出してやるところだったのに。 そんな徒事を思うのも、やはり生意気さ加減からくるものだろう。 子供のくせに そう思う。 「ほら、冬獅郎。ベッド貸してやるから‥」 屈み込んで、どこに触れたらいいのか分からない身体を、とりあえず肩に手を当て揺する。薄さと、しかし筋肉の強さにどきりとした。彼の持ち物であるらしい日本刀は、今、鞘に収められないまま彼の傍らにあるけれど。それを持ち、振るっているのだと、この時に一護は実感として得た。 (死神‥って云ってたな‥‥。‥なんなんだ?) 文字通りならば人の魂を導くものなのだろう。しかし、それをこの子供が? (わかんねぇ‥) 分からないのは、その存在を抵抗なく受け入れてしまっている自身でもある。 「冬獅郎‥」 もう一度揺すって、うっすらと開かれた眼に安堵した。己の思考に惑乱してしまいそうだった。 「お前は本当に‥」 「何?‥‥なんだよ」 胡乱気に見上げた瞳は、しかし次には吐息とともに逸らされて。それがなんだか呆れているようだったから一護もむっと唇を尖らせた。 「何だよ冬獅郎。俺が何だって?」 「いい。ベッド借りるぞ‥」 折れてくれたのか。だけれど立ち上がるにも億劫そうな身体は処置されていない傷がそこかしこにありそうで、一護は反射的に冬獅郎の脇腹の服を掴んだ。 まだ何かあるのか、とうんざりといった風に振り返った冬獅郎に一護は自分が何故そうしたのかも確かな理由は持っていなかったら目が合うなり手を離したけれど、今度は見下ろすその瞳を睨み上げた。 「傷。まだ身体中にあるんだろ?手当てしてねぇのか?」 僅か動いた眉が、どうやら喫驚しているらしいことを教えるが、なんの変化もない目に、自分の見立てへのなけなしの自信は揺らいだ。 「たいした傷じゃない‥それに、傷があったところでこの世界の薬は使えない」 霊体だから、と当然のように云われて、そうだったと思い出す。 当たり前のことじゃないか。なのに、どうして己はそんなことさえ直ぐに忘れてしまう。 継ぐ言葉が見つからなくて視線を彷徨わせれば、幽霊は一時その場に留まっていたが、やがてベッドの方へと歩いていった。 そうしてベッドの上へと気配が移動したのに目を向ければ、己に背を向けて横臥する子供の身体。 「刀」 「は?」 云われてもその声が彼のものだと直ぐには思考に浸透せず、やはりまた間抜けな返事になってしまう。 「刀。持ってきてくれ。お前の側にある」 「あ、あぁ‥」 冬獅郎の、疲れた声は直ぐにも眠りに落ちたそうな色を帯びていて、振り返れば抜き身の日本刀がある。 触っていいのか、と迷ったのは、それは他人が軽々しく触れてはいい代物ではないはずだからだ。触れるな、とその刀は冬獅郎の分身のようでもあった。 「どうしたんだ。持てないのか?」 迷っている気配を感じたのか急かすようにそう云って、ちらりと肩越しに目を向けた。 「いや‥、持てはする‥と思うが‥」 幽霊の持ち物だから触れられないといえば己の場合触れられもするし持ち上げることもできるだろう。冬獅郎の口ぶりはそういうことを言っているのであって、己が迷うのはこれが元来他人が触れていいものなのかどうか、とそういうことを 「だったら持ってきてくれ。側にないと落ち着かないんだ」 「お、おう‥」 とは云っても何処に置くべきか判然としなかったので、とりあえず誤って怪我をしないように枕元のベッド脇に据えておく。これならベッドから降りるとき踏みつけることもないだろう。 「じゃ、俺は‥」 風呂にでも入って明日の準備をしようと、ベッドの側から離れる時に 「 「だから子供じゃねぇって‥っ」 呼び止められて振り返っても、当の幽霊は背を向けたままで。けれどややばかりしおらしくなったように感じられて、握った拳も下ろした。 「名はなんてんだ」 「黒崎‥黒崎一護‥」 「一護か‥。礼をいう、一護。助かった」 「お‥ぅ‥」 なんなんだ。 斜に構えたような態度を突然に変えられると対応に困ってしまう。 「別に、気にすんなよ」 だから照れるのを悟られないうちに踵を返し、その部屋を出た。 扉を閉める直前、除き見た隙間の背中は、やはり小さなものだった。 → |