01:愛は尊く、言葉を選ばず



 小さいけれど、大きい人。
 月並みだけれど、そんな人。



「とーしろー」
 回廊の床を鳴らして一護は彼の名を呼んだ。呼んだけれど、白銀の髪を揺らす背中は振り向かない。
 昼時だから。人の溢れる廊下を、彼は波に逆らって歩いていく。だから一護も窮屈な肩の隙間を謝りながら抜けていく。声が、届かないのだろうか。
「とうしろー」
 今度はもう少し大きな声で呼んでみるけれど、喧噪に勝っているとはいえなくて。
「あ」
 中途の角を曲がった羽織に慌てた。
「とうしろ‥っ」
 人の苦言も耳に入らず、一護は力任せに押し進んで、男の消えた角に手をかけ身体を波から引き抜けば
「遅い」
「お前‥っ」
 気付いてんなら応えろよぉ
 傲岸に腕を組んで仁王立つ、日番谷冬獅郎その人に一護は萱草色の髪をぐしゃりと揉み崩してへなへなと崩れ落ちた。
「あんな人混みの中で振り向けるか」
「あんたなら周りが避けて通るだろ?」
 恨みがましく睨みあげる強い双眸に、口端歪めて彼は笑って
「二人きりになりたかったと、云わなければ分からないか?」
「‥‥‥っ」
 その余裕、その高慢
「ん?一護?」
「〜〜〜っせぇ」
 見開いた目も直ぐに眇めて、眉間に込めた力でそっぽを向いて。
 可笑しげに笑う男から視線を逃れた。

 ちっさいくせに、態度はでっかい。

「こんな男に誰がしたんだ」
 歩き出した男について行きながら、悔し紛れにぼやいた一護に
「愛だろ。愛」
 人生長い小さな彼は、なんとも大きな自信でもって、そう振り返りざま哂ったのだった。







尊い愛は口いずる言葉の凡てに孕まれるのです。





02:世界は醜く、かくも静謐



 男の髪と同じ色した円かの月が、堕ちてきたかと見紛う手近に浮かんでいる。
 それを瓦ケの屋根に座って眺めながら、どうしてこんなに醜いのだろうと考えてみる。
 何が醜いと問われれば、男は明確な答をもってはいなかったけれど。晴れぬ胸中が、それを醜いと定義した。見るもの全て味気なく。総じて皆醜いのだ。
 月は空を照り渡し、静謐な光に墨を染め変え、大気は彼を慰めるかのようにしめやかである。
―――今から行って、連れて来ようか
 太陽の色した少年を思う。
 月の蒼に、染まるに惜しい色した子供を思う。
 月にその影は思い浮かばないと、逃れるように瞼を下ろし、冬獅郎はゆるりと首を振った。
 染まらぬ色を疑って。
「とーしろー」
 丁度、再生していた声を聞き、冬獅郎は驚きを隠せぬままに身体を捻った。
「一護‥っ!?」
 瓦の端に立つ彼が、はにかむように笑って後ろ頭掻きながら登って来るのを、冬獅郎もつられたように立ち上がって待った。五、六歩離れた位置で止まった彼に
「何故ここに?」
「あー‥、うん。」
 眼を逸らして口を歪めるのは何やら言い訳を考えているときの癖だと知っている。それも己が相手だからと、そんな理由なのも知っている。
「虚と戦ってきたのか」
「‥うん‥」
 少し、呆れたような声。途端に叱られる子供のように覇気をなくして俯く顔も、斜面の距離で見えないから、冬獅郎は歩を進めて彼の眼前に立った。と云っても背が足りないから、陰に隠れるその顔が覗ける処まで。
「怪我をしたか?」
「いや」
「‥知人の虚だったか?」
「いや」
「‥‥。会いに来て、くれたのか?」
「‥‥‥」
 息をするのが難しい、と期待と諦念で締めつく胸を開けて冬獅郎は問うたけれども、一護はぎゅうっと唇を噛んで肩を怒らせて。
 大きく息を吸ったようだった。
「うん」

 おや、なんと異な事

「どうした、とうしろー」
「いや‥」
 視線を落として微笑する気配の男に一護が戸惑いがちにも問えば、男は得心いったという顔して哂っていた。
「月が明るく見える」
 背後の月のもたぬはずの熱を感じて。







世界は醜く、かくも静謐。君がいれば晴れ渡る。





03:真実は儚き、故に妄信



 白の寝具に白の寝着。萱草の髪の散る様の。



「たーいちょぉ!」
 冬獅郎の妄想を破ったのは彼の補佐を務める松本であった。相変わらず谷間を強調して背を丸めるということがない。が、今は机を挟む冬獅郎の顔を覗きこむため屈んでいる。
 なんだ、と睨むように眼で問う上司に、しかし松本は怯んだ様子なく肩に乗せた片手の書類を彼に差し出しながら身を起した。
「目ぇ開けて寝ないでくださいよ。昼寝は私の専売特許です。隊長はお仕事お仕事」
 なんだそれわ、と呆れた眼差しを送りながら、それでもにこにこと笑っている部下から紙束を受け取った。
 さぁこれでいいだろう、と冬獅郎は筆をとったのだが、松本の無遠慮な視線を感じてまた顔を上げた。
 今度も彼は、胡乱な目をして彼女に問う。
 そんな冬獅郎を暫く何も云わず観察する目で見つめていた彼女だが、ことりと首を傾げて心底不思議そうな顔で云った。
「なんかありました?」
 そこでぎゅっと眉を絞った上司に、部下は咄嗟にやばいと口を庇った。
「なぜ?」
 搾り出すよな不穏な低音に、彼女はもごもごと両手の下で口を動かす。
「ひえ‥、なんらかあはりに無口れいらっはるもろれふから‥」
「云ってることがわからん」
「なんだかあまりに無口でいらっしゃるものですからっ」
 とばっちりがくるっ、と思ったのは直感からか経験則からか。ともかく彼女はそれはもう部下の鑑といえなくもない機敏さで背を正した。
 直立する部下を眼前に眺めて、冬獅郎は重い溜息を吐き出しながら椅子に沈み込む。吐いた分だけ眉間の陰も濃くなったようだ。
 それをちらちらと天井から目線を動かし窺っていれば、椅子に沈みこんだまま微動だにしなかった冬獅郎が倦怠を引き摺るように肩肘を机に乗せて身体を起こした。
「恋人の、寝姿にだって男は夢見るもんだろう‥」
 子供の容姿ながら不思議に似合うニヒリズムを漂わせ、現実とのギャップにそう自嘲する上司に彼女が何と言えようか。
 気まずい空気に一人冷や汗を垂らしつつ、救いの手が現れるのを松本は切に願った。
 その救い手に選ばれた新たな訪問者も、室内に満ちる苦渋の空気に戸に手を掛けたまま入り口で硬直してしまうのだが。







真実はあまりに儚いから、妄信せずにはいられないのです。