04:涙とは腐敗、全ては堕落 涙に浸せばその屍も、永劫腐らず在るでせう 乾いた涙が皮膚を引き攣らせる不快感に、肉ごと抉って剥がせぬものかと爪を立てた。 それを正しく解していたかは知らないけれど、止めた手は冬獅郎のものだった。 「とうしろ‥」 「俺がいる」 目線は祭壇にくれたまま、握りこむ力は強く、軟く。切願するよな眉間の翳。 空は澄み、真白の幔幕が風に揺れていた。 訳も分からず泣きたい時がある。 訳も分からないというのは方便で、本当は理由があるから泣くのだろう。けれどそれの名を知らないから、欺瞞と愛執と恐怖と哀切と、悲哀と嫌悪と希求と諦念とで泣くのだろう。 そう思う。 そういう時、決まって現れるのが小さな背丈の銀髪の男なのだ。 それでまた、どうしようもなく恐ろしく、哀しく、そしてかばかり救われた気持ちになって一護は泣くのだ。 羞恥も沽券も打ち捨てて 肩を抱く腕の温かさ、しなる筋肉の強さに、はらはらと泪を落とすばかりだった一護は小さな男を掻き抱いて泣くのだった。 それが常のことである。 人が死んだといっては泣き、 仲間が屠られたといっては泣く。 怒りと自責と贖罪とで泣く。 開け放した障子から、寂夜の庭の土塀に座る月は哂っている。庭木に翳の彩りが典雅に哂う。湿りを吸った畳の匂いが濃い夏草の草いきれに紛れて曖昧だ。冬獅郎は薄い肩をその腕に抱きこみ、まるで泣く子の原因が天の月だとでもいうようにそれを睨みつけて、子供が泣き止むのを待っていた。 初めは、泪を止めようと必死になってしゃくりあげていた彼も、回を重ねる毎に心を許すようになっていった。それを嬉しく思わないでもないが、彼の悲しみの根本を、癒すに至らぬ己を歯がゆく思う。 ただ、肩を抱いて。背を撫でさすって。落ち着くのを待つだけで。 それをどうして口惜しく思わないことがあろう。 許せないのは、彼の悲しみの根本であり、彼を癒せぬ自身であり、己が彼を癒すことを許さぬ彼自身でもある。 常のことながら、冬獅郎はそう思考に行き着くと、堅く視界を閉ざし、腕の中の存在だけを感じ取ろうと腕に篭める力を増すのだ。 「なぁ、お前は何故泣くんだ?」 泣くことに体力を使い果たした一護がくたりと畳に寝そべるのに冬獅郎は訊ねた。 一護は傍らに腰を下ろしている冬獅郎を見上げて、えもいわれぬ哀愁の瞳で答えた。 「多分、お前が俺の傍にいるからだと思う」 言葉の意味を、掴みかねて。さりとて重ねて訊ねることもできず、冬獅郎は困ったような眼差しで一護の眼を探った。それに、一護は少しでも気分が持ち上がったように笑いかけて 「ガキの頃‥、親と並んで寝てるとき、ひとりで寝るようになった後も、親が死ぬんじゃないかと考えて泣いたことがあった‥」 経験のないことじゃない。冬獅郎も頷いて、先を促した。 「なんでそんなこと考えるのか‥。理由なんてないんだ。予感があるわけでもない。ただ思い出したようにその事実ともいえない夢想を思い浮かべて恐ろしくなる。本当に、親がいなくなったみたいな気分になる。 それで泣くんだ。 死を悼むなんて崇高な行為ができる子供じゃないから。心底自分が悲しくてなくんだ。寂しくて‥」 沈黙と対話するように彼は一端口を閉ざした。冬獅郎は口を開こうとして、やめた。 「それと、似てるのかもしれない。 冬獅郎‥」 「俺は弱いから泣くんだろうか。そうだとしたら強くなりたい。 何者も、失わなくてすむほどに、強くなりたい‥」 伸ばされた手をとって、冬獅郎は耳傾け頷いてかえす。 「お前を、信じてる‥。でも怖い。 俺がお前をおいていくのかもしれないし、お前が俺をおいていくかもしれない。そのどちらも、俺は怖い」 「冬獅郎‥。 強くなるから‥」 強く、在るから。 続く言葉を見つけられずに、一護は一心に冬獅郎を見つめた。冬獅郎もそれ以上の言葉はいらぬと、承知した眼で一護を見つめた。 強く、強く。指絡め合わせた掌を蒼白い月影の中、握りしめた。 涙とは腐敗、全ては堕落。だから立ち上がる勇気をください。 05:救いは渇望、ときに絶望 その日も、瀞霊廷は平和だった。 ただ一人を除いては。 「う‥っわああぁぁああぁあ〜〜〜〜〜〜ッ!!」 半泣きで廊下といわず屋根といわず、足場となる全てを渡って持久力の限界に挑んでいるのは稀有な髪の色もつ黒崎一護である。しかし彼、ただ無心に自己を高めているわけではない。 逃げ回っているのだ。 「なん‥っ、なんで‥っ!なんで来るたび俺は追い回されなきゃなんねぇんだよーーーーーーッ!!」 ちゃんと死神代行証も持ってんのにーーーーーーーッ!! 勿論見当違いも甚だしい、である。 背後から迫り来る者、前方で待ち伏せる者。 老若男女、ただし若男が圧倒的である、問わずの右へ左へ上へ下への大騒動。 「よーぅ。一護ー」 「おぉ!一角!」 屋根の上、平行して走るのは十一番隊第3席の斑目一角である。すっかり喧嘩友達になった彼が現れたことで一護は一縷の光明をみた。 「助けてくれ!」 「うちの隊長と遊んでくれるか?」 「断る!」 邪気のない顔でいっそ死ねと云われたような一護は即座に希望1を切り捨てた。 斑目の隣ではあのナルシストが風に吹かれる自身の美しさに酔っていた。 そのうちに前後を挟まれ、かつ右手から怒涛のごとく人が押し寄せれば必然として左に逃げるしかない。なんだか誘われている気がしないでもないが他に道がないのだから仕方がない。 明日は明日の風が吹く! 一護は瓦に手を掛け、軒下の欄干へと飛び降りた。 「おや、黒崎」 「浮竹さん!」 希望2!今しがた走っていたのは十三番隊の隊舎だったようである。 隊長の出現に屋根から零れ落ち、そのまま手近な木や屋根で傍観につくもの、悔しがって地団駄を踏む者、様々である。 「出歩いて大丈夫なんですか?」 「うん。そう寝てばかりいても身体が鈍るからねぇ。それにこんなお祭りに参加しない手はないだろう?」 『いい人』の浮竹に一護は比較的懐いていた。それでも今日こんなにも満面の笑みで笑う理由が分からずに首を傾げれば。 「どうだいこれから俺の部屋にきてお茶でもいっぱガハァッ!!」 「うわぁ!!?浮竹さーーーん!?」 「ダメだよぉ十四郎。一護くんはみんなの一護くんなんだから独り占めしようなんてしちゃ〜。 一護くんもこれの出したお茶には何が混ぜられてるか分からないから無闇矢鱈とついてっちゃ駄目だぞ☆なんてったって病人って名目で色んな薬手に入るんだから ってあ〜なんか舌痺れてきた」 「あぁあ‥っ、あんたら親友じゃなかったのかーーーー!!土瓶投げるな土瓶ー!頭蓋骨陥没してたらどうすんだよ!なんか一緒に喀血してたじゃねぇか浮竹さん!そして病人に偏見の目を向けるなーーーーー!!毒あるって分かったらさっさとその草吐き出せーーー!!?」 歌舞伎者の派手な着物を羽織り、雰囲気考えて草なんて食んでみたらうっかり毒あったらしい彼は十三番隊隊長浮竹十四郎の親友であるはずの八番隊隊長享楽春水であった。 「ははは。嬉ひいれぇ、心配ひてくれへるろ?」 「いや、だからまずその草吐こうぜ?舌おかしくなってんぞ」 一応本気で心配しているのだが、聞く気がないのか、元来この男に他人の話を聞けというのが無理な話なのか、京楽は一護の肩を抱くとさぁ行こうと欄干から廊下へ下ろした。 「へ?何処に行くって‥?」 「うん。涅がね。面白いくす‥いや珍しいお茶を発め、いや手に入れたからって実験た‥いやお客を招きたがっててね〜」 「明らかに背後に隠れてるもんが見えてるよ!」 はーなーせーーー〜〜っ! 力の限り抗ったところで肩を掴む手の頑強さといったら一護はまったくのヒヨっこで。ずるずる引き摺られながらおじさんたちの余興の種になるのかと運命を儚んだところに 「兄は何をなさっておいでか?」 思わず感涙したのも理解していただきたい。 だってこの男はまだ常識人の範囲内にいるのだ。とっつきにくいといったって決して困っている人間を切り捨てていくような非道極る人間ではないのだ。最近では愛妹との仲も上手くいっていて優しくなったって評判だと‥聞いたこともあるはずなのだ!! 「白哉ぁっ!!」 助けてーーーーーっ 「やぁ白哉。仕事で人間界のほう回ってるって聞いてたんだけど。帰ってきてたみたいだねぇ」 「つい先ほどな」 そしてまっすぐここへ向かったのは誰あろう一護の霊圧を感じたからであった。 「みたところ兄がかかえておられる者は解放されたがっているようだが」 「あ、そうみえる?実は僕もそうかなぁと思ってたんだけど何しろ人間の子供だからねぇ、習慣も僕等と違うのかなぁって思ってたり」 (語尾にハートついてんだよおっさん!!世界が変わっても人間の常識は変わんねぇよおっさん!!) これは一護の言であるが声になって叫ばれることはなかった。というのも 「兄」 「ん?」 「黒崎が苦しそうだが」 「おや」 がっしりとした男の腕で口を塞がれていたからであった。抱き込まれる形で塞がれているものだから袖で隙間も塞がれているのだ。 「ごめんね〜?一護くん」 さすがにちょっとは悪いと思ったらしい男は申し訳なさそうに腕の圧迫を解いた。と、そこに背後から影がすり抜け、白哉の傍の欄干に飛び乗った。 影は京楽の側をすり抜けただけでなく、腕の中の一護を攫っていった。 「砕蜂」 とぼけた声だが京楽は驚いていた。 白哉といえば、どうやら気付いていたか予想していたか、はたまた持ち前の采配の才能で二番隊に出動を要請していたのか、平然と顔色も変えなかった。といっても鉄面皮の彼が表情を見せるということ自体稀なのだけれど。 そして蛇足だが、浮竹は伏したままぴくりとも動かない。鮮血が彼の上半身を浸らせるほどになっている。 「黒崎。お前このおやじにのこのこついていくとは何事か。身の危険が分かってないのか」 「へ?あ、う、え?」 理解しようとしたけれどできなかったようだ。 「なにを惚けた顔をしているっ、夜一様の傍にいるお前でなかったら私だってこんなことはしないのだ!」 「すみません」 砕蜂にとって至上は主と仰ぐ夜一であるが、一護もまた可愛く思っていないわけではない。いってみれば青い林檎と赤い林檎の間で揺れ動く乙女の純情のようなものなのだ。(わけがわからない) とりあえず怒っているらしい女性には逆らわないがモットーの一護は小脇に抱えられたまま謝った。それに砕蜂はふん、と鼻を鳴らして、やはり怒ったような顔でそっぽを向くのだ。お互い、降ろすのも降ろしてくれと頼むのも忘れている。 「う〜ん‥。六番隊隊長と二番隊隊長が相手じゃ分が悪いなぁ。 しょうがない。今回は大人しく引きましょ」 いい男は引き際も肝心だしねぇ〜 などと云いながら が懐から取り出し、皆が不思議の目でみるそれを床に投げつければ凝縮されてでもいたように大量の煙が噴出した。 「え、煙幕!?」 あんた一体何者なんだ! そう声を上げたのは一護だけではなかったが、あんまりはっきり云うのが怖いギャラリーからはどよめきがわいただけだった。隊長の誰かが現れた時点で一護の追っかけ隊が一ギャラリーに変ずるのは常のことである。 「おぉ〜今回の涅の発明はまともじゃないか〜」 どうやら最近十二番隊隊長と友達になったらしい。 笑い声を残して京楽は去っていった。 「相変わらず分からぬ男だ」 そうこぼしたのは呆れ顔の二番隊隊長で、六番隊隊長は同意を表すようにかろうじて浅く頷いただけだった。 煙がほぼ風に掃われたころ、瀞霊廷の母、護廷十三番隊最凶の女、四番隊隊長卯の花烈が勇音を連れて現れた。振り向いた一護たちに優しく笑いかけて 「お久しぶり黒崎くん。元気だった?」 「あ、はい。卯の花さんこそ」 「まぁありがとう、私も元気でやっているわ」 和やかに挨拶を交わした。上品に口に手をあてて笑う卯の花と、欄干の上、砕蜂に小脇に抱えられたまま笑う一護。空笑いになるのは体勢のせいだろうか。 この人なんでここにいるんだろう‥、と一護が考えて、唐突に重大なことを思い出した。 「卯の花さん!そういえば浮竹さんが‥ッ!!」 一護を詰ることなかれ。その他の人間が訴えてもよかったことなのである。白哉はもちろん砕蜂だってその存在を忘れていたわけではなかったのだ。むしろしっかり目にはいっていたのだ。なのにあえて口を開かなかった。 卯の花に至っては誰かが口火をきるまで放っておこうと考えていたきらいがある。浮竹を慕っている と の二人が騒がなかったのもひとえにこの人物の圧力が働いていたからに他ならない。 だから、むしろ一護は誉められてしかるべきなのだ。 「えぇ、私も浮竹隊長の霊圧が弱まっているのを感じて参ったのですよ」 「じゃあ!」 「はい。直ぐに容態を確認しましょう。それに‥」 「?」 「彼をどれだけ生きながらえさせられるか‥。私の力を計る絶好の実験体ですもの‥」 !!? 一段落とされた彼女の声は冷気さえ帯びていた。 白哉も少し冷や汗をかいた。 凍りつくギャラリーの前を横切って浮竹隊長の下へ淑やかに歩み寄る姿はまさしく聖母であった。 卯の花の登場によりひとまずは治まった十三番隊隊舎を離れ、一護は途中砕蜂と別れて白哉と彼の隊舎に向かってゆったり通りを歩いていた。それと同時にのんびりと通りを歩ける幸せを噛み締めていた。 「や〜、白哉が側にいてくれると周りが静かでいいやー」 「そうか」 「あ、恋次の奴元気か?卍解習得してるから隊長になるんじゃねぇの?」 「話は持ち上がっている。決定はまだだ」 「狛村のおっさんは?俺まだあの人とちゃんと話したことないんだよなぁ」 「彼なら自分の隊舎にいるのではないか?後で尋ねてみればいい」 「元流斎のじいさん!あの人死んでたりしねぇ?」 そんなことをとりとめもなく、殆ど一護が一方的に喋っての道程だったが、ふと一護は六番隊隊舎への道を逸れていることに気付いた。 「おい白哉‥」 この道は 「十番隊隊長に留守の間の仕事を頼んでいたのでな。それの引継ぎと礼の代わりだ」 「へ‥?礼の‥」 「引き継ぐ仕事は残ってないぞ」 「冬獅郎!」 十番隊隊舎の門の上から降った声は、そこにしゃがんで二人を見下ろしている十番隊隊長日番谷冬獅郎のものであった。 「お前‥っなんでそんなとこ‥っ」 「白哉。書類は松本が六番隊隊舎へ運んでる。お前が持ってくもんはないぜ」 「そうか。助かった。礼を言う」 「いいさ。でっかい返礼もらうしな」 「おい!お前等俺を無視して‥っ」 「一護」 屋根の上と下で会話をしていた冬獅郎は白哉との会話が終わったとみるや一護に視線を向け、一護は唐突だったそれに思わず息をつめた。 「お前たっぷり話があるからな。覚悟しとけよ?」 そして次には意地悪そうな笑みをみせられ、即座に逃げ出したい衝動に襲われるのだった。 「じゃあな白哉」 「あぁ」 そういって別れた二人のうち、白哉の方についていきたい一護であったが、何時の間にやら隣にいて、しかも自分の手を掴んでいる冬獅郎に逃げることも諦めたのだった。 「さて、まずなにから話すかな」 隊舎に手を引かれ連れて行かれながら、不穏に楽しそうな冬獅郎の声に、その顔を覗きこむのが怖い。 「そうだな。とりあえずは」 そしてその発案とともに振り返る、凶悪なまでに上機嫌な笑顔に、一護は二度、恐怖する。 「なぜまっすぐに俺のとこへ来なかったか、だな」 「そそ、それは‥っ、来ようと思ったけど色々妨害にあってこれなかったというか‥っまったくの不可抗力というか‥っ」 「話は中でゆっくり、な?」 その、『中』の意味するところを想像して、一護は己の頭から血が一気に下り落ちるのを感じた。 窮地に立たされれば救いを渇望する。けれど結果如何によってはそのことさえも後悔する。 えー‥っと、浮竹さんは濡れ衣です。普通に親切で声かけただけです。(云いたいことはそれだけか) |