06:虚偽は甘美、毒は強く 如何に懐深く、心が寛大だとしても。 流石に連日追い掛け回されれば好意も悪意に思えてくる。 なので一計を案じることは、保身のための必要十分条件であった。 ただ彼はお約束を忠実に守る人間であったということ。 黒崎一護。かの案壮大にして一点の曇りあり。 十番隊詰所隊長室のソファでごろごろごろごろと落ち着きなく寝返りを打っているのは一護である。頭を抱えて唸っているところをみると懊悩しているらしいのだが、行動が至ってアレなため誰も声をかけない。否、唯一、自分の机でもくもくと仕事をこなしている彼だけはたまにちらりとソファの背から覗く腕に呆れたような憐れむような眼差しを向けていた。他の人間は気味悪がって声をかけられないのだが、彼にとっては単にかける気がおきないだけなのだ。 「だぁっはーーーーもぉ!!」 なにやら思考が行き着くとこまで行き着いたらしい一護が腕立ての要領で身体を起こすと、それを奇異な目でみる数人の隊員たちには目もくれず一目に冬獅郎のすわる隊長席に歩み寄った。 「もぉ耐えらんねぇ!もぉ我慢できねぇ! なんで俺は毎度毎度追い回されなきゃなんねぇんだよ!」 重たい書類の束が打ち付けられた一護の拳で高く浮き、着地するとき上の幾枚かが宙に舞った。 悔し涙か、光るものさえ眦に湛えて、ほとんど八つ当たりに己を見下ろす死神代行人をみやりながら、冬獅郎は軽く溜息をついた。それがいかにも年上然とし、あたかも自分を小馬鹿にしているようであったので一護はもちまえの反発精神で何ぞ捲くし立ててやろうかと思ったが、それよりは冬獅郎の言葉のほうが早かった。 「ハッキリ云ってやればいいんだ。ひと睨みすりゃ大人しくなんだろ」 けれどそれを試して駄目だったことは冬獅郎も知っているはず。それで結局精魂尽き果てるまで尸魂界を縦横無尽に走り回ったのち、希少な味方に助けられるのである。 「何度も何度もやってんよ!それが駄目なのはアンタの仲間の隊長どももあれに加わってるからだろうがっ!!」 そう、今や一護にとって尸魂界の大半が敵。その敵の仲間が居ない場所はせいぜい流魂街ぐらいだ。だからこの八つ当たりも仕方がないといえば仕方がない。 それを理解してもいる冬獅郎だから、多少迷惑そうな顔をしつつも強く言い返さずにいたのだが。 「俺にどうしろっていうんだ?」 こうして殆ど毎回助けに行っては匿ってやっているのに。 そう云わんばかりの溜息でもって問えば 「助けろ!」 ずびしと指を突きつけられてのたまわれた。 「‥‥‥は‥?助けてやってんだろ」 言葉の理解に数秒を要したのに、なにをいまさらと冬獅郎は応えた。 しかし一護は治まらない。 「その場しのぎの助けなんかなんの活路にもなってねーんだよ!助けるなら一生分の救いをくれッ!!」 彼は、それはもう、必死だった。 窮鼠猫を咬むというが、追い詰められた人間は尊大な態度で人に哀願することもできるのだ。 一護は、この上なく、必死だった。 「一生分の救い‥?」 だから自分の思考だってわかっちゃいない。 「そうだ!一生こんな目にあわないでいい方法!考えろ!!」 壮大な彼の創案に、一点大きな穴が開くいていることにも気付かない。 「一生分ねぇ‥。あるにはある、が」 冬獅郎が我が意を得たりといわんばかりの悪者顔で口を歪めて笑っているのも、たぶん明瞭には認識されていないだろう。 「ほんとか!?」 「あぁ」 喜びが、彼を包んだのだから。 「マジ!?何!?今すぐやってくれっ!!」 「いいのか?」 「当然だろ!」 なぜ冬獅郎が確認をとるのか。部下たちはほぼ完璧なまでに理解し、かつ恐々と二人のやり取りを見守っていたのだけれど、目先のことにしか目がいっていない一護に冬獅郎の真意を探れというのは無理な話であった。 なので、最後にもう一度、今度は至極優しげな笑みで自分に笑いかけた冬獅郎は一護にとって神にも等しい存在になっていた。 「了解した。お前は明日から誰にも追われずにすむ。そのためには準備が必要でな。 おい」 と側面の窓に寄ってこのやり取りを見守っていた副官を呼び 「瀞霊廷の全員を集めろ。いや尸魂界の住人全てだな」 「隊長も含めた全員ですか?」 「そうだ、動かねぇようなら爺脅して連盟の印押させろ。それなら動くだろ」 「はぁ‥」 乗り気でないというよりは呆けているといった感の松本は机の側面に立ち、右手にいる隊長と左手にいる一護をみくらべるように視線を揺らしていたが、その視線の意味するところを本能的に嗅ぎ取った一護が問いを口にする前に 「分かりました。それでは直ぐ準備に取り掛かります。宴会も行いますか?」 「あぁ。派手なほうが効果があるだろ」 さっさと部屋から出て行ってしまった。室内にいた他の隊員たちも皆連れて。 「‥なにやんだ?」 訊ねる一護の顔は無邪気である。 「一生分の救いをお前にくれてやるんだよ」 応える冬獅郎の顔は悪い大人であった。 その日一時間という脅威のスピードで整えられた会見の場で、一護は愕然とする。なんだか声をあげれない雰囲気だから、気おされた一護はただ冬獅郎の隣に立っているだけだが、心中は滝汗。怒涛の混乱の波に巻き込まれていた。 「そういうわけだから。お前等もう一護追い掛け回したり、いっそ近づいたりなんてすんなよ」 悪い顔で満足気に笑う大人は 『俺たち結婚するから』 と、確かに『一生分』の約束をしてくれた。 「え、あれ?何、コレ」 「幸せになろうな、一護」 唯一度最後に見せられた本当に心からのといえる冬獅郎の笑みに、なんだか流された感じの一護は大衆の面前で首肯したのだった。 晴れて夫婦と認め(させ)られた、尸魂界の歴史に残る瞬間であった。 虚偽は甘美、毒は強く。逃れられない蛇毒を君に。 07:憎悪は執着、表裏一体 初対面で、己が相手に与える第一印象なんて長い経験で分かりきってはいるのだけれど。 「隊長。黒崎さんがお見えです」 「追い返せ」 『あんたが日番谷冬獅郎?』 『そうだ』 『俺黒崎一護、よろしく』 そこに一片の嘲りはなかった。のだけれど。だからこそ。 書類の山に顔を埋めて作業をこなしている十番隊隊長は無下に言い捨てる。 「なんだよ冬獅郎ー。俺一応お使いで来たんだぞー」 ほいコレ白哉から。 既にドアの後ろに来ていた一護が差し出した風呂敷には一瞥をくれただけ。冬獅郎はすぐに作業へ戻ってしまう。 だから一護は肩を竦めて、毎度のこと、運んだ品を冬獅郎の部下に預けて部屋をでるのだ。 「隊長いいんですか?」 「何がだ」 「‥いえ」 抑えられながら滲み出る、上司の不機嫌に部下は口を噤むしかない。 「隊長!応援が着ました!」 技が派手な冬獅郎は始解さえも大幅に制御される。人間界の山の中、元五番隊隊長の発明は厄介な相手だというのに。 「誰だ!」 「黒崎さんです!」 流石に「追い返せ」とは云わないが、冬獅郎は死神代行人の応援を歓迎する顔ではなかった。 「冬獅郎さぁ、礼を云えとはいわねぇからせめてちゃんと俺をみろよ」 虚を倒した帰りのことだ。人間業との二束わらじである代行人は門の前で仲間たちが帰るのを見送るのが常である。 一人一人と挨拶を交わし別れるなかで、何度会っても会話どころか挨拶だってまともにしちゃくれない隊長殿にそう、拗ねるでも憤るでもなく云って見送るのが常である。 それにただ一瞥だけで応えるのも、十番隊隊長の常であった。 「じゃあまたな〜」 暢気に手をふる影が見えなくなる頃、冬獅郎が振り返るのは、彼自身意識してのことではない。 定例通りでいえば、代行人は応援にはいった後、尸魂界へ帰る死神達を見送って仕事の終りとする。 『黒崎さん!黒崎さん!』 『一護!しっかりしなさい!』 例外だって、もっと優しく在れねぇもんなのか。 溢れる血が床を汚した処置室から、治療室に移され眠る一護を十番隊の隊長は腕を組んで見下ろしている。 直に、目が覚める。 卯の花の治療だ。傷を見たときだって助かるなんてことは分かっていた。 ただその時の胸騒ぎが残した余韻に、冬獅郎は身じろぎひとつできずにいる。 ふるり、と萱草色の睫が揺れ。 あ、目を覚ますな、と思えば案の定一護は倦怠を湛えた眼を冬獅郎に向けた。 「とうしろー‥?」 その眸をみていたくなくて、冬獅郎は茶の瞳を手で覆った。それが丁度足りるくらいの大きさなことに、少し苛立った。 「とうしろぅ?」 「俺はお前を好きじゃねぇ」 なんだよ、と意を得ぬ唇は問うように開かれたまま。 「けどお前が死ぬのも面白くねぇ」 「わがままー」 その声が、哂いながら擦れているのが気に入らないと眉間の皺が深くなる。 「お前はずっと俺の救援にこなきゃなんねぇんだ」 「‥‥わがままー」 やっぱり笑んだまま、視界を閉ざされた唇が云うのに、冬獅郎は身を屈めた。 満足げに笑んだ瞳が掌の下から現れたときには、負けた気がして目線をそらせたが。 それさえ一護は楽しいようだった。 憎悪は執着、表裏一体。憎悪するのは抵抗で、執着するのは既知だった。 |