6 この手を取って



 触れぬ、ぎりぎりの距離で静止した男の貌を見つめ返して、一護は喩えようの無い情動が湧き出のを感じていた。
 ざわりざわりと胸が疼く。
 だから離れなければと思うのに。意志を裏切って四肢は動かない。否、それこそ意志なのか。
 日番谷、と一護の唇はたどたどしく呼んだようだった。掠れた呼気がもれるだけで、熱の篭った息を吐くだけで、何の用も為さなかったけれど。けれど、冬獅郎を引寄せるには十分だった。それが彼の意志でなかったとしても。
「ん‥、ふっ‥ぅ‥」
 泣いているようだ、と事実潤んでいくのが分かる己の眼に情けなさが胸中に滲む。
 口付けが、心地よい。
 濡れた口付けを交わして、息が上がっていく。
「は‥っ」
 舌も、痺れて、身体も、痺れる。
 もう、駄目なのだと、諦念は快楽だった。
「日番谷‥」
「名前で呼べ‥一護」
 知っているだろう?
 漸く音になった声に応えた男の声は、もはや一護に反意を抱かせはしない。
「冬獅郎‥」
 触れられなかった冬獅郎の肩に触れ、居心地の悪かった布団に横たえられ、一護は呑まれていく感覚にうっとりと目を閉じた。



 彼の手は熱いだろう、と一護は思っていた。
 触れたことない。おそらくは触れることのないその、小さいながら刀を握る固い手はきっと熱が篭って熱いだろうと、見る度毎に考えていたのだ。
 予想通りの熱い掌は、今自分の肌を辿っている。
「ん‥」
 ひくり、ひくりと時折掠める性感帯に一護は肌を震わせる。それを楽しそうに眺める男の眼を、瞼閉じた一護は見ない。
 袖は未だ通したままだが、肘の下まで摺り下ろされて、とうに着ているなんて形じゃあなかった。
 快感を逃がそうとするように身を縮め、縋りきれず両肩を緩く押し返すだけの子供の幼さに、冬獅郎は頬を緩める。
 初めてなのか、と。容易く己の色を含んだ眼に陥落した子供に意外だと思う。初心ならば、こんなにも簡単に身体を開きはしないだろうに。
 それでも据え膳。喰わぬは恥と、冬獅郎は一護の首筋へ顔を埋めた。
 仄かに、汗の匂いがする。
 一護の匂いだ、と。嗅いだことのあるようでない、濃い彼の匂いに身体の昂奮はいや増した。
 舐めれば彼の味がする。
 楽しい、と冬獅郎は一護の下衣へ手を忍ばせた。
「と‥しろ‥っ!?」
 驚いて、止めようとするのは、やはり慣れないせいなのだ。
 顔を上げて、安心させるように笑いかける冬獅郎に、一護は困ったような視線を返したけれど。それも一瞬のうち、止まらなかった冬獅郎の手は一護自身を握りこんだ。
「っぁ‥」
 遠慮のない手つきは乱暴とも云えて、けれど襲うのは快楽の波だけで一護はあられもない声で啼きそうな口を両手で塞いだ。
「ん、ん、んん‥っ」
 くぐもった声はダイレクトに耳に響いて、余計な羞恥を引き出した。けれど外しても同じことだと予想するから一護は声を必死で呑みこもうと腐心する。
 半ば、褥に顔を埋める一護の耳へ冬獅郎はこそりこそりと囁きかける。
「気持ちいいか?一護」
―――やめろ
「感じてる?」
―――やめて
「すごい濡れはじめてる」
「も、とぉしろ‥っ」
 黙れ、とそれしか方法は思いつかなかったから、一護は自身の唇で冬獅郎の口を塞いで。わずか驚いたような目をした冬獅郎は、しかし楽しむようにその口付けを深めた。
「ん、ふ‥ふぅ‥」
 荒い、呼気。
 粘着質の、水音。
 下肢の、快楽。
「とぉしろぉ‥」
 潤んだ瞳が訴えるものを、冬獅郎は確かく掌に覚えて
「あぁ‥イけよ」
 一際強く、擦り上げた。
「ひ‥っあ、あぁ‥っ」
 びくびくと小刻みに撥ねる身体を身体の下に組み敷いて、冬獅郎は手の内のそれがすべて吐き出すのを手伝った。
「は‥ぁ‥、あ‥」
 唾液で濡れる唇が艶かしく午の光に照らされて、冬獅郎は誘われるように唇を寄せた。
「んふ‥ん‥」
 息の整わぬ一護は苦しげに眉を寄せたけれど、従順に舌を差し出し応える。
 戯れるように舌を絡めてくる冬獅郎に、陶然とした様に目を細めていた一護だったけれど、抜き出されぬ冬獅郎の左手がそのまま奥へと潜り込もうとする動きに身体を強張らせた。
「な‥っ、とうしろぉ!?何す‥っん‥ふ!?」
 後孔へ何物かが挿しこまれる感覚が腰へ痺れを奔らせて、達したばかりの敏感な身体は容易に跳ねた。
「んは‥とぉしろ‥っま‥‥っ」
 待って、と肩を押すけれど、冬獅郎の肩が強いのか、自分の力が弱いのか、びくとも動いてくれなくて。
「んあ‥っあぁ‥、あ‥‥はぁっ」
 ずぶりずぶりと侵入する幾本かの指に痛みも感じない。背を駆け上る快感をやりすごすことができず、せめてと男の頭をかき抱いた。


 腰を揺らめかせ、冬獅郎の指を招いていることをこの子供は自覚しているだろうか。
 純粋な恐ろしさと感心とで、冬獅郎は逸る自身を抑える。
 一護の上衣も下衣もとうに脱げている。乱れるうちに足袋も、全て。
 午後の薄日が差し込み始めた部屋の中、白い光に照らし出されるその肌の透き通るような白さ。
 白日の下の少しの、背徳。
 それさえ熱を高める誘引剤。
「一護‥?そろそろ‥な」
 挿れるから
「ぁ‥‥?とぉ‥しろ‥?」
 もはや自我もぎりぎりか。
 それでも誘って已まない濡れた眼に、冬獅郎は無遠慮に一護の足を抱え上げると、瞠る瞳に微笑みかけて一護の中へ自身を押し進めた。
「あ、あぁ‥っあ‥んん‥!」
 質量が大きすぎて引き攣る入り口が微かな痛みを訴える。それも快感と入り混じり、分けて感じることができない。
 内壁を擦られ、異物を除こうとするけれど已まぬ甘美感に敵わない。
「一護‥」
 呼んだ男の吐息の熱さに、思考はもう、働かなかった。





 やけに重い瞼を持ち上げて見たのは、障子に濾過された茜色。
 あぁ、綺麗だなぁとぼんやり考えて、なんだか暑いなぁと布団を退かす仕草をすれば触れたのは汗ばんだ人間の肌。
 ふと落とした視線の先、繋がった下肢を見て、一護は一気に目が覚めた。
「な、あ!?なんだこれ‥っ」
「なんだこれはねぇだろ」
「んぁっ」
 揺らされた腰に思わず鼻に抜ける声をあげ、一護は口を覆った。そうして近過ぎる声に横を向けば、
 近過ぎる顔。頬杖をついた日番谷冬獅郎その人。
「日番谷‥っ」
「違う」
 何が、と目が問えば、唇だけで何事か言葉を象って。理解した一護は頬に朱を奔らせた。
「とうしろぅ‥」
 恥かしさから視線を逸らしつつ呼んだ名にも満足したらしい男は、嫌味なほど満足げに哂って、一護の頬へ唇を押し付けた。軽い音をたてて離れたそれに、一護は恨みがましい目を向ければ
「まさか途中で気を失われるとは思わなかった」
 呆れたように云われたから
「バ‥っ黙れ馬鹿‥っ」
 思わず言い返すというもの。
「誰が馬鹿だよ。中途半端に止めざるをえなかった俺のことも考えろ」
「う‥‥‥‥。え‥?」
 間抜けた顔をした一護に、にやりと笑った冬獅郎の口元は彼にあらぬことを連想させて。一護は、反射的に逃れようと身体を捩ったけれど
「おっと、逃げんなよ」
 腰を掴まれると同時に内壁を擦られ動きを止めた。
「なん‥で‥、イってねぇんだよ‥っ」
「だからお前が途中で気ィ失ったからだろ」
 飛んだら飛んだでいいけど、せめて意識は保ってろよ。
 そんなことを云われても理不尽だとか不条理だとか、思っても言い返せずに、泣きそうな目で肩越しに、冬獅郎をみやるしかできない。
「なんつってな。悪ぃとは思ったが俺も治まりつかねぇとこまでいってたから、とりあえず出させてもらったぜ」
 そういって、肌を離した冬獅郎はずるりと糸引いて自身を一護から抜き取った。
「ん‥、お前‥っなに、気ィ失った俺犯したの?」
 最低、といわんばかりの目を向けられて、そのまま着替えようととりあえずの着物を引寄せかけた冬獅郎は口元を引き攣らせて一護を振り返った。それがあんまりゆったりとしたものだったから一護は本能的な恐怖を覚えて、同じく引き攣った笑みで冬獅郎の視線を受けとめた。
「なんなら今から仕切り直しといくか?」
「か、勘弁!結構です御免なさーーーーい!!」
 身を守るように翳した腕を、情け容赦なく掴んだ冬獅郎はぐいと顔近づけて、揶揄うように笑った。
「冗談だよ。ほら、起きろ。さすがに顔出しとかねぇと後で面倒だしな」
 乱菊たちのことだろう。ちゃんと部下のことは考えているのだと妙に感心した。しかし揶揄われた悔しさは拭えない。
 ぶちぶちと口腔で文句を呟きながら、散らばった自分の服を集めた。
「あぁ!」
「あぁ?」
 叫んだのは一護だ。それに意表をつかれて振り返ったのは冬獅郎で、一護の広げる彼の服をみて、あぁしまったと思わず視線を逸らした。
 言葉もでない様子の一護はわなわなと震えていて、冬獅郎はとりあえず謝るべきだと、ひとり気合をいれると再び一護へ振り向いた。
「一護‥、替えの服貰ってくるから。お前はここにいろ‥」
 修復が利かないほどに汚れてしまった服を掲げて震えている一護の耳に、その言葉が入ったかどうかは定かでなかった。


 身支度を整えた冬獅郎は硬直している一護を残しそっと部屋を出ると、障子を静かに合わさったその次には既に足早に廊下を歩きだしていた。
 ひとまず執務室に顔をだして、それから即刻死覇装もらって部屋に帰ろう。と拳を固めて自分に決意表明。
 握った拳を何気なく見やって
 あの子供は自分が帰ったとき、この手を伸ばせばとってくれるだろうか。と
 そんなことを考えた。
 執務室に現れた上司に驚いた顔をみせた副官が、その実何に驚いているかを冬獅郎は察しただろうか。
「なんかスッキリした顔してますね」
 意図のつかめないといった顔で曖昧に返事を返したから。きっと察してはいないだろう。



 この手をとって。
 そしたら僕等は恋人同士。







7 見出した結末



 それで結局どうなったって。
 ご覧の通りバカップルが一組出来上がっただけよ。



 今日も今日とて、どうして自分がこんな目に合わなきゃいけないんだと、間違った場所で貧乏を恨むのは9番隊副隊長檜佐木修兵で、彼を十番隊隊舎へ連れ込んだ松本乱菊はその傍ら、平然と酒を舐めていた。
「乱菊さん‥、俺もう帰りたいんすけど‥」
「駄目〜、あ、ツマミ切れた」
「買ってきます」
「いいって、他の奴に行かせるから」
 そういうの職権乱用っていうんですよ。っていうか俺が行きたいから俺に行かせてくれ。ここにいたら別の世界へ逝っちまう。
 折角誠実そのもので上げた腰も引き戻されて、椅子の上、修平は渡されたコップをうんざりとした目で見た。
 何故カップ‥。あんた盃で飲んでんじゃん。
「俺も暇じゃないんすけど‥」
「アタシだって暇じゃないわよ」
「じゃなんで飲んでんだっ」
 思わず濃い影顔に貼り付けて鬼のような面相で見るも、乱菊はどこ吹く風と盃を傾ける。
「いいじゃない。花散らしてくれる二人のおかげで花見気分が味わえるのよ?春でもないのによ?」
 花があったって、春じゃなくたって、あんたは呑んでるじゃないか。
 しかし午前中に捕まって、そのまま正午が過ぎても解放されずにもう早おやつを食べてもいい時間。
 言い返す気力も尽き果てる。
「そんなお先真っ暗な顔しなくたって恋人たちの春なんてすぐに過ぎるものよ」
 物知り顔で、酒気をあびた乱菊はとろんとした目で哂うけれど。
 その仕草は無駄に色気を醸しているけれど。
 修平は乱菊だって彼女自身それを本気でいっていないことくらい分かるのだ。
 ただの気休め、自己暗示。
 3日と開けず互いを行き来する彼らの春がいつ終わるのか、儚い夢も見せてはくれない。
 そうして悪寒も走ることを思う。
「春は廻る‥」
 思ったことを口にだした修平は乱菊に殴られた。



 死神代行人黒崎一護と十番隊隊長日番谷冬獅郎、晴れて恋人となった彼らが周囲に与える被害は甚大ながら、さわらぬ神にたたりなし、心頭滅却火もまた涼し逆もまた然りと瀞霊廷は見てみぬふりの緘口令を布いた。
 そしてかの十番隊隊舎には何故だか六番隊隊長から祝いの品が送られて。
 門前に飾られている巨大な招き猫に、『貴族ってわからない‥』と誰もが感想を溢したことはいうまでもない。







 終

2005/08/03  耶斗