ブラインド 2




 男の手が初めに触れたのは頬だった。顎の骨を確かめるように男の両手は一護の顔を包み、唇の形を、肌のすべらかさを確かめるように親指がそれらを撫ぜた。目元を、目蓋を、額を、米神を、見えない視界へ彫りだそうとするように探る手を、男の膝を跨いで座った一護は顔を傾け、手へ手を添えて助けた。
『俺の使いは正しくお前へ声を届けたか?』
 揶揄る声は一護の答えを知っているようだった。しかれども、蝶の言葉を最後まで聞いていようと聞いていまいとここへ来ることは変わらないのだ。それさえ思いつかないほど彼が己を侮っていることはあるまいに。
 卑怯くさいと思いながら、一護はベッドへ乗り上げたのだ。
 男の手が首筋を滑ったとき、頬に触れたときから知れてはいたが、その冷たさ、それだけではない感覚に背の産毛が逆立った。もれそうになる息を呑み込んで男の手に添えた自身の手に僅かな抵抗を示させる。それで男の手が止まるわけもないとは知っていたけれど。
 襟を割って男の手が侵入する。嫌に慎重な仕草にもどかしさを感じる。男の手が肩へ伸びるに従って、男の手首に引っ掛った襟が大きく開かれていく。冷気が肌に染みた。
 男の手が為すままに任せて腕を下ろした一護の肩を着物が滑り落ち、しなやかな筋肉のついた上半身が露になる。男の目がこの身を見てはいないと分かっていながらも、刺さるような熱篭る視線を意識せずにはいられない。それがまさか見て欲しいなんて自分の願望でなければいいと一護は祈った。
 少し身を引けば男の手は届かない。逃げることは簡単なのだ。止めたくなったら止めればいい、主導権はむしろ己にある。だけども逃げれない。動けない。望んでいる?まさか。期待している?馬鹿な。
 この行為を自ら望んだことなどない。
 いつだって男が、己の前に現れたかと思えば不可思議な感覚に突き落として好きに嬲っていくだけだ。
 知人と呼ぶには関わりすぎる、友人と呼ぶには遠すぎる、情人と呼ぶには‥哀しい。自分が憐れで、悔しい。
 男は誰をも必要とはしないのだ。
 いつだって不可解な目で己を見つめている男。その目が今見えないことを惜しく思っているなんて。
 そんなことはないと、眼隠す包帯から目を逸らせて首を振った。
 男は感覚の鋭敏な指先で線を辿り、硬い掌で質感を確かめる。軟い力に肌が震える。
「‥‥っ」
 胸の突起を親指が押し潰し、その周囲の細かな肌の凹凸まで確かめる。4本の指は肋骨を確かめて、掌はそのまま腹を、脇腹を滑る。厭くまでその手は情欲から遠い。じわりじわりと集約し始める熱を発散させようと一護は浅い呼吸を繰り返した。
 少し身を引けば男の手は届かない。払うまでもなく、ただ身を離せばいい。それだけでいい。
 男の指先が腰骨に触れる。男の手は淀みなく移動した。見えない視界はなんの障壁にもならないらしい。腰帯を辿って結び目をなぞり、男の半身を覆う掛け布に落ちる帯の先を引けば容易くその支えは解けた。袴の口が開く。
 帯の間に手を差し入れて男の手は一護の太股へ下りる。下帯も解かれ、無防備な陰茎が空気へ晒される。シーツを握り締め、声を堪えた。一護のものはすでにゆるゆると起ち上がり始めていた。静寂に一護は自身の唾液を飲下す音を明瞭と聞いた。
「腰を浮かせろ」
 反意など擡げられないまま一護は男の声に従った。少し欲を孕んだ声。なんだ、お前も欲情してるんじゃないか。あんまり手つきが丁寧だから分からなかった。あんまり劣情とはかけ離れたように見えたから、上手くお前に騙されるところだったと袴を下帯とともに抜き取られながら両の腕で反らせた上体を支えた一護は唇を歪めた。歯を剥いて、まるで泣き笑いの表情だ。
 袴が乾いた音をたてて床に落ち、男の手が皮膚の柔らかな内股を柔く押す。触れそうなほど側へ寄ったがその手は一護の存在に気付いていないかのようにそこを避けて腹へ上った。親指が臍を掠め、指先から滑る掌は肉の形をなぞり、鳩尾の窪み、胸の突起、鎖骨、そうして喉仏。男の両手は一護の首へ宛がわれた。
 見上げる包帯の眼を一護は見下ろす。冷たかった手は己の熱にか温められて。
「キスを」
 小首傾げて男は言った。
 サディスト。
 男は止めを刺そうと云う。
 逃げる気なんかもはやないのに。
 男の手は外されないまま、一護は彼の唇を挟み込むように口づけた。
 前かがみになった所為で男の膝へ一護のものが押し付けられ、昂奮に一護は上着も床へ落とし、煩わしい足袋も脱ぎ捨てると男の首を抱き寄せた。
「‥っは、冬、獅郎‥」
 自ら舌を絡めるキスの合間に強請る。背を撫で擦る男の手。腰に下りては尻の割れ目へ指を忍ばせるのにけして前へは回らない。
 滅茶苦茶に口腔を嘗め回しながら、男の膝の弾力と乾いたシーツの布目に擦れて立ち上がっている自身へどうして触ってくれないのかとぼやけるほど間近の眼は隠されているから答を返してはくれない。
「ふ‥っん?」
 滑りのない後孔を男の指が探った。粘膜を引き摺られた痛みに目を顰める。
「‥ぃつっ」
 痛いと唇を離し、肩口に顔を埋めて反対の肩を強く握った。後孔を犯す手から逃れようと浮かせた腰は、けれど男に縋っていればそれを助けることにしかならなかった。
「いた‥っ、いてぇって‥っ」
 引き攣る痛みに泣くように鈴口から先走りの汁が零れる。男の腹に擦り付けられたそれは着物に染みを作る。
「痛い‥っ」
 男の両肩へ爪を立てるも、きゅうきゅうと締まるそこを許してくれようという気配はない。いつもなら濡らしてくれるのに、としがみ付く一護は己を苛む男が理解できなかった。容赦がない。二本、三本と半ばまでながら入り口は無理矢理に押し広げられた。
「痛いか‥?」
「痛ぇよ‥っ!」
 暢気に男が訊くものだから一護は怒気を孕んで言い返す。
 当たり前だろうそんなこと。押し込んでるお前だって分かることだろうと首の付け根に噛み付いて断続的に伝わる痛みをやり過ごしていればどうやら男は哂ったらしく、右の尻を(だからそれは左手だ)滑って漸く前のものへ触れてくれた。
 反射的に震えた腰へ、指を突き入れられ広げられた入り口の痛みが疼痛に変わる。息を呑んだ一護へ男はまた、哂った。
「嬉しそうじゃねぇの」
「黙れ‥っ」
 耳の直ぐ側で声がする。吹き込むようなその声は掠れて一護の劣情を煽った。
 素直じゃないと男は哂い、握りこんだそれを擦りあげれば望んでいた快楽に一護の声は素直に悦んだ。
 一護の耳朶を甘く歯牙立て、舌を触れさせながら男は囁く。
「自分で弛せよ一護。自分の指舐めて。できるだろう?」
「‥っは、ぁ、ぁうっ」
 入り口近くの粘膜を苛みながら是としか答えようのない問いをかける。
 分かったから放せと言い放った一護に男の指は抜き取られ、その後で己の言葉を彼は理解した。
 ほら、と促す男の片手は未だ自身を擦り上げて、一護はそれだけでいいのにと、けれど従わなければまた同じ事を繰り返すだけだと分かるから恐らくは充血しているだろうそこへ口に含み唾液に濡れした指を這わせた。
「ん、んん‥っ」
 せめて手を止めてくれればいいのに。広げることだけに集中できない。眼下にそれは露だ。
「ちょ、冬獅郎‥。‥‥っ」
 尿道の穴を親指が塞ぎ、溢れ続ける流れを堰き止める。力込めて陰茎を握られたが痛みには届かなかった。
「そろそろか?」
「まだ‥っ」
「本当に?」
 見えないから分からないと哂う男が憎憎しい。そうしてまた動きが再開されれば、手伝ってやると男の手が太股を滑り後孔へ伸ばされた。
「やめ、いらな‥っ、ぁあっ」
 己の指と男の指が混ざる。快楽を味わうことがないようにと慎重に広げていたのに、男の指はお構いなしに内壁を抉る。
「いや‥ぁ、抜いて‥」
 涙が出る。弓なりに背は反って、滲んだ視界の端に壁と天井の継ぎ目が見えた。
「ぁ、ぁ、ぁ」
 ぐちゅぐちゅと粘液の音が耳を犯す。男の首へ残った片方の腕を回す。快感は下肢を支配して膝を立てていられない。一護の腰は彼らの指を招こうとするように揺れている。身体の奥で疼くそこをと彼は望んだ。
「冬獅郎‥」
 呼んだのは無意識だったろう。
 か細い声に男は一護の指ごと彼の指を引きずり出して
「上に乗れ」
 と昂奮に乱れる息を殺しながら優しげに笑いかけた。



 たぶたぶと肉の打たれる音が部屋に響く。
 仰臥した男のものを自ら咥え込み一護は腰を動かしていた。
「は‥はぁ‥あ‥」
 枕に頭を載せ己へ向く、包帯に目を庇った貌は淡く紅潮し、薄く開かれた唇と歯牙の間から乱れた呼気が漏れている。同じ包帯が腹にも巻かれ、だから一護は後ろに手をつき腰を抱え上げる。緩やかな振動に満足できるはずがない。もどかしくて、けれどこれ以上動きを早めることもできなくて一護は歯を強く噛み合わせた。
「冬‥獅郎‥、もぅ‥」
 無理だろうか、無理かもしれないと思いながらも足りないから一護は男へ強請る。
 動いて欲しい。
 男の口角が持ち上げられる。
「もっとぎりぎりまで引き抜いて、一気に落とせ。俺がいつもどうやってお前に挿れてるか思い出せよ」
「んな‥、こと‥っ」
 滲んだ涙は時折ぽろりと眼から零れた。拭うこともできず、もとより気に留める余裕もなく放っていれば乾いたそれに頬に皮膚が引き攣った。
「いきたいだろう?」
 俺もつらい、と枕の上で首を傾げられれば従うほかないだろう。
 泣きそうだ。本当に泣きそうだ。身も世もなく泣き出したい衝動の訳を確かには知らない。
「ん‥うぅ‥っ」
 云われたとおりに腰を持ち上げる、しなる身体の壮絶な色香。見えぬ視界で男は嗅いだだろう。
 幾度か自身を擦られた後で男は上体を起こし、一護の腰骨へ手を添えた。腹の傷が痛んだが(傷口が開いたかもしれない)構いはしない。一護に頭を抱きこまれ、打ち下ろされる腰を受け止める。
 真暗な中で彼の表情を想像する。
 どれだけ見つめても彼は己の視線の意味を理解しない。否、理解しながら否定するからこんなちぐはぐな関係になってしまったのだ。
「一護‥」
 抱きこむ腕の力に逆らって顔を上げれば彼の吐息が近くなった。
 とんだペシミストだお前は。
 早く認めてしまえと、男は一護の腰が下ろされると同時に突き上げた。









12/11執筆 1/6日々に掲載 7/20後半部追加
2006/07/20  耶斗