ボコ題



01:たたく

 たたかれた。訳が分からない。
 余りの衝撃に倒れた床から見上げれば、無機質な翡翠が見下ろしている。
「−−?」
 名前を呼ぼうとしたら、また叩かれる。
 殴られるのじゃあない。平手で頬を打たれる。骨があたらないよう気遣っているのか(だとしたら大変妙だ)骨の当たらない掌で。
「−?」
 惑乱する思考で、自分が正常な反応を返せているのかどうかを考察するのは難しい。
 さらに打ち据えようとする手を防ごうとするも、もう片方の手が許してくれない。
 何故?何故ーーーー
 床の冷たさがなければ夢と片付けてしまっただろう。
 攻防を続けるうち徐々に恐ろしさを覚え始めて逃げ道を探す。前は無理だ。後ろは?
 後退するスペースは十分にある。その先は行き止まり。
 打ちっぱなしのコンクリートの壁。磨かれたそれはインテリアの一部だ。そうだ、ここは男の部屋で、俺はまた男の発作に付き合っているのだ。昨日も繰り返されたこの行為の名残はまだ口の中に残っているというのに。真ん中のボタンをひとつだけとめたシャツが肌蹴て、温もっていた肌に若干温度の低い空気が触れる。丈の合っていないパンツの裾が踵まで隠して、逃れようと後ずさる度に床と擦れた。
 殺風景なモノトーンの部屋。金属的な男に良く似合っていたから、それを改変しようとは思わなかったけれど、やはりこういう事態を未然に防ぐためには環境から変えていかなければならないだろうか。勿体無い‥。思って、なんとか防いでいた平手が綺麗に頬を打ち、思考も視界もクリーンになる。入り混じる腕の隙間から男を窺えば
 (しょうがねぇなぁ‥)
 光彩を失ったみたいな瞳が、それでも自身を抑え切れない焦燥に駆られているのが見て取れるから
 打つ手が拳に変わる前に一護は彼の首の後ろへ手を伸ばした。






02:つねる

「‥っつ」
 背に被さる男の悪戯な手を叩き落す。叩き落せば今度は場所を変えて同じ事を繰り返す。
「痛ぇって‥っ、なんなんだお前はっ」
 肩越しに振り返れば銀髪の乱れた男は嫌味に哂っていて、収めたそれをさらに深く押し込んだ。
「‥‥っ!!ぁ‥」
 勢い押し出された頭をベッドのスチールに打ち付けそうになって、手をついて防ぐ。
「‥にすんだよっ!」
 細い金属の食い込んだ掌がちょっと痛い。
 中の粘膜が収縮を繰り返す。眦が熱くて、だから睨みつけたところで大した効果が見込めないことは分かっていた。広げられた入り口はまだ引き攣っていてその所為で男は動けないのだ。待っているなんて殊勝な真似、するのは一向に構わないがじれったさを俺を苛めることで紛らそうとするのは止めてくれ。
「‥っ」
 今度は太股に走ったそれへ、枕に押し付けた顔を歪める。
「だから‥っ、なんだってお前はつねんなきゃいけねぇんだよっ」
 もういいから動けよ!
 こっちだってもう腹の中で静止するばかりのお前に焦れてきてるんだ。恥かしいことだがお前の熱に蕩けてきてるってやつだよ!とここまでは言わなかったが、已まない悪戯へ挑発的に腰を押し付け返せば
「まだダメ」
 こっちの方が楽しいかも
 と頭の悪い答えが返ってきた。
 なんだそれ、本気で頭が弱くなったのか、と呆れてものが言えなかったら今度は尻を抓られた。
 だから、痛ぇって!






03:噛む

 この男と抱き合う場合ベストな体位といえば俺がこいつの上に乗ることだ。
 こんなのは俺が疲れる一方だし、至って楽な仕事の男は満足そうに哂っているからそれを見下ろす俺は腹が立つばかりだ。だからといって後ろを向けば油断する間もなく男が身を起すからどうにもこの態勢しかいただけない。
「ほら、どうした?もう限界か?」
 揶揄かいながら尻を軽く叩いた男を睨みつけて、浅くなっていた抜き差しを大きく変える。易々と挑発に乗ってしまったのは俺だが、多少の無理に身体が泣いた。
 限界なんかとっくに超えてんだよ。お前が異常にタフなだけだ。
 それは俺が下手な所為だと以前真面目に言い返されて二の句が継げなかったから、この件に関する悪態は封印している。
「‥っく、はぁ‥っ」
 悦楽を散開させるために天井を仰ぐ。昼の日差しに白く染まって、昼間っからナニやってんだと自分への呆れが湧く。全くだ。己の下で悠々と腕を枕に寝そべっている男は今日は一日暇だからと毎度こちらの都合など考えなしにコトを始めるのだから健康な性生活を送りたい俺には大層優しくない男なのだ。
 早くイけ、早くイけ、とそればかりを考える余り男が起き上がらないよう胸を押さえつけていた手から意識が逸れた。その微妙な力の変化を(きっとそれは本能に近いものだ。この男は獣そのものなのだから)敏感に察した男は一息に起き上がって
「‥、っぁ!?」
 その所為で抉られた内壁からの、決定打にもなりかねなかった悦楽に
「つぅ‥っ!」
 堪えようとする必要はなかった。
「油断大敵」
 ぺろりと目的を果たした男はそれこそ獣くさく自身の唇を舐める様を見せ付けて
「ぁっ、や、この‥っ」
 俺の腰を抱えて突き上げ始めた。
 男が酷く抱きしめてくるものだから、俺のペニスは男と俺の腹の間で潰されそうになってる。たまらなくなって男に抱きつけば、もうこの時点で全部諦めてる、また、男に噛み付かれた。
 何のための所有印だよと、何度も何度も男を詰る俺はここ暫くタートルネック以外の服を着たことがない。






04:叫ぶ

 乾いた粘膜を容赦なく冷たい吸気が擦って、飲み込む唾も無くなった。涙なんかとっくに枯れ果てて、身体中の水分は全て出尽くした。叫んでいた。何に向かってだっただろう。誰かを、大切な誰かを呼び止めようとしていたのかもしれないし引きとめようとしていたのかもしれないし。一線隔した先のあの男を呼び戻そうとしていただろうか。もしかしたら詰って引き剥がしてあっちへ行けと自らが逃げていたのかもしれない。だとしたら俺は恐ろしくて叫んでいたのだ。追いかけてくる影の絶対的な圧力に屈服しそうな膝を奮い立たせてなんとか逃げていた。
 来ないで
 だってインチキだ!死んだと思っていたのに!
 別れの言葉を覚えていない。
 帰還を確信して笑っていたのだったか、万一の疑念に惜しんでいたのだったか、その表情(かお)も、薄らぼやけて憶えていない。
 死ぬはずないと信じて待ちながら、重なりゆく歳月に待つことは義務になり惰性になり、やがては敗北感に取って代わられた。
 思い出を清算するのに6ヶ月
 抱えていた膝を放して立ち上がるまで3ヶ月
 自分一人しかいない日常へ歩き出るのに1ヶ月
 新しく心和ませてくれる人と生活を紡いで1週間
 なんてタイミングだ!
「100年も‥っ、帰ってこなかったくせに‥っ!!」
 どんなに長命の死神だってあたら100年は長いのだ。永いのだ。
 寂しかったのだ。
「インチキ‥っ、だ」
 云って残りの息を吐く間もなく衝撃に背を押され河川敷に倒れこんだ。角の尖った石の凹凸が背に刺さる。被さった影の濃さと大きさにまた恐怖。
「チクショウ」
 悔しくて、視界がぼやける。馬鹿な、涙は枯れたはず。影の筋肉の張った腕が顔の近くで己の腕を縫いとめる。あんまり押さえつけると皮膚が裂けるじゃないか。
「チクショウ‥っ」
 なんだって‥っ
 喉がひくつく。せり上がる硬い感触。
「でかく‥なりやがって‥っ」
 は、と息を吐いた。溜めていた分一気に吐いた。
 眼は一心に男の像を求め、喜悦にだか愉快にだか悪い冗談にだか食いしばって歪んでいた口角が吊り上がる。墨の霞で作られたような雲に望月は隠れ、僅かに零れる月影へ沈む影は
「今の相手とは、別れろよ?」
 尋ねるような確かめるような、一護にしてみれば卑怯極まりない声音とそれだけが変わらない静謐な瞳とでその男は銀の髪を揺らして仄かに笑った。






好きで


いることに疲れたのだ。



05:口の端が切れた



(どんな言葉を吐けばアンタはその秀麗な貌を歪めるのかと腹の中で算段してる。)



 この男は鼻がいい。
 目も耳もいいが鼻がいい。肉の機能としての鼻ではなくて、察しがいい?勘が冴えているのとは違う。「鼻がいい」んだ。
 他人の臭いを嗅ぎ分けることに長けている。

 失敗したなぁ。思わず漏れそうになったため息をどうにか堪える。今目の前に立っている男は酷く憤っている。半端でないほど怒りを顕にしているものだから迂闊な真似は出来ない。しかし本当に怒っている。吊り上った眉と眇められた目と、その奥の火傷するほど冷え切った眼が対照的で、笑ってしまえるほど肝が冷えてる。


(この想いは一方通行。けして交わることはない。自らの道から踏み外すことを畏れる己(おれ)たちは、歩み寄ることを恐れてる。)


 睨み付けてくる瞳から視線を逸らせない。探り合うような無言の応酬。いつだって俺たちの間に言葉らしい言葉なんてなかった。あっても軽く聞き流してしまえる程度の呟きだとか、聞き逃して棄ててしまえるはずの独り言もどきだとか
 兎角、俺たちの間に意思疎通のコミュニケーション手段が行使された過去はない。そう、過去はない。
 男は今怒っている。

 男の左手が振り上げられた。あぁ、本当にこの男、怒りで頭が沸騰しているようだ。
 それは利き手じゃないか。
 普段は何をするにも右手を使う男は両利きだ。片手に鉛筆、片手に消しゴム、器用に動かす様には密かに感動したものだが‥
 それでも実は右より左の方に力の比重が偏っていることをいつからか俺は知っていた。
 避けなきゃなぁ、と風を切る音を聞きながらぼんやり考えていた俺はその掌がやけに綺麗なのに惚れ惚れしていた。馬鹿だなぁ、こんなときまで俺は

 派手な音に鼓膜が吃驚してる。わんわんと耳の奥で虫が飛んで、ぞわぞわと脳の表面に毛虫が這ってるみたいで気持悪かった。だのにぞくぞくと腹の中、喜悦が咽を裂いて飛び出しそうだった。
 ぱたりと軽い音を立てて口端伝ったそれが玄関のタイルの上へ落ちた。張られた拍子に俯いていた俺はばっちりそれが灰色のタイルの上、確り赤色していることを確かめて。ぬるりと口の中に広がる錆鉄の甘さに辟易した。舌が痺れる甘さの厭わしさ。目を上げれば僅か怒りも和らいだのだろうかさらに眇められた目は痛ましいものでも見ているようだった。
(何故?)


(俺の言葉がアンタにどんな風に作用するのか俺はずっと考えていた。だけどどんな言葉を選んでみてもきっとアンタは嫌な顔をするのだろうと、想像の中でさえ笑ってくれないアンタを恨めしく思っていたよ。)

 だけどそれももう終り。


 男が何か言おうと口を開いた弾みに俺の口は動いていた。何を言うつもりだか、開いたと知覚した瞬間には慌てたが流暢に紡ぎ出されるそれらに落ち着かされていくのを愉快に思った。
 俺は、俺が考えている以上に俺を愛してくれてるようだ。

「もう限界。ギブアップ。アンタを俺から解放してやるよ。だからアンタから俺を解放してくれ。こんな茶番はもうたくさんだ。アンタは俺のなんなわけ?俺はアンタのなんなわけ?なんでもないだろもういいだろ、自由になろうぜお互いさ。」

 切れた粘膜は思ったよりも深かったらしい。喋りながら零れた血に途中言葉を邪魔され唇を開閉するたび界面が千切れるのを感じていた。顎に伝って襟ぐりから鎖骨へ落ちる血と同じ色に視界が染まっていくのを覚えた。一段高い位置に立っている背の高い男の貌は見えない。それは見たくない俺の願望の現れだろう。
 厭われて、疎まれて
 女の匂いをつけて帰ってくれば殴られて。
 無言と暴力と雄弁な瞳で難詰するアンタは卑怯だ。

 視 界 は 全 く 真 っ 紅 だ

「家族ごっこはもう終い。親父への義理なんて忘れてさ、あんたも幸せ掴みなよ。冬獅郎‥叔父さん」

 小説家してる親父の弟。俺を残して一家全員事故で死ぬまで会ったことなんてなかった男は葬式の日ひょっこり現れ14の俺の身元引受人になった。二十歳になるまで面倒見ます。それまで俺が親代わりです。
 あれから2年!もう十分だ!!
 嫌味ったらしく優しく呼んだ名前の舌触りにうっとりしながら、かろうじて拾える霞んだ画の間隙で男の貌が嘲笑に歪むのを見ていた。



(見えたのは口元だけだったけれど)









lastup date; 11/18 '06


07:殴られた
08:泣きわめく
09:抵抗する
11:マウントポジション
13:徹底的に


随時増殖
  耶斗