あはははははは!




世紀末だと誰かが云った。現世時間は新世紀始まって六年と十月(とつき)なのにだ。言った奴はきっと現世かぶれの現世マニアだろう。死神の中にはたまにそんな奴がいる。
でも誰もそいつを笑えなかった。軽蔑したりもできなかった。皆、往々にして大体それに近い想いを抱いていたからだ。


その手が操る如く、彼自身氷のようだと称される男が彼の執務室で大笑いしている。

一番最初に転がり込んできたのは瀕死の態の十番隊七席だった。命辛々といった様子で一番隊の隊長室へ転がり込んだ彼は礼をすることもできない、床に這い蹲った状態で辛うじて頭(こうべ)を上げて縋るように総隊長たる山本元流斎重國を仰ぎ見た。実はこっそり昼寝をしていた総隊長が開いているのか閉じているのか判別つけにくい眼の端を恍けたように緩めて問いかけたらば、七席の彼が震える唇を開いたところで金髪の美女が飛び込んできた。彼女もまた七席の彼同様蒼白な顔で、あまつさえ通常の彼女ならばありえない怯えようでもって全身を震わせていた。それはあたかも昂奮のようでもあったが、如何せん恐々と見開かれた双眸が全てを裏切り、そして語っていた。
そこで漸く瀞霊廷内へ探査の霊圧を広げた重國は気付いたのだった。
異常が起きている‥
それも一番隊からそこそこ離れている場所で。
それは疑いなく、二人の隊員が全力疾走のスタートを切っただろう地点だった。





彼は笑っていた。それはもう身も世もなく。泣いていることの表現を引っくり返して彼は笑っていた。いうなれば、まさしく常識をどんでん返して彼は笑っていた。

殴りたい!
彼は殴っていた。ぶち抜かんばかりの勢いでもって。反して己の霊圧で防御壁を作って、器用にも彼は床を守りながら殴打し、腹を抱えて笑い転げていた。
殴り飛ばして滅多苦多にしてやりたい!
彼がそう望んでいる対象は一人の少年だった。しかしながらその少年は何もしていない。男にそんな、兇暴な悪感情を抱かれるような言動は何ひとつとっていない。そもそも二人が最後に会ったのは3週間も前のことだ。それも廊下でばったり顔を合わせて軽い挨拶をしただけで別れるような間柄なのだ。好印象を抱いているのか悪印象を抱いているのか、互いに確認する機会もないくらいなのだ。
だけれど男は今少年を張り飛ばしたいと考えている。心底。本気で。
そしてそれがなんとも馬鹿げたことだと解っているから、今彼は笑い転げるしかないのだ。
そうして理解と得心が上手く噛み合わないから床を殴るという八つ当たりも止められないのだ。

そもそも床を殴るのは一種の防衛本能だった。
少年をだか自身をだか。とりあえず彼は誰も傷つけないだろう無難な対策を咄嗟に選び取っていたのだ。全く害がないかといえば全然そうではないのだけれど。
ともかく彼は笑っていた。大笑いしていた。大爆笑だ。たった一人の大爆笑だ。制御を失った、辛うじて繋ぎとめるだけの霊圧がびしばしと隊舎を、通りを、瀞霊廷を揺らす盛り上がりっぷりだ。
彼は笑っていた。
眦に泪さえ溜めて、息も絶え絶えに、十番隊隊長日番谷冬獅郎は蟻の子一匹(蟻の霊がいればの話だが)いない彼の執務室で腹を抱えて笑い転げていた。





それは会議でもなんでもなかった。
隊長格が雁首揃えてただ押し黙っているだけだった。
床も壁も小刻みに震えている。それは、その部屋に集まった彼らの武者震いでも貧乏揺すりのためでもなく、かの十番隊隊長の異常の為である。早半刻、まだ笑い続けているのだ。いい加減彼らとてうんざりして事態の収拾を始めてもよさそうなものだが、誰一人として緊張を解かない。滅多に動揺を見せない隊長たちでさえ各々の感情を覗かせてその場へ凍りついたように立ち続けている。隊長たちの中で恐らくもっとも体力が低いだろう十三番隊の隊長などは、常から蒼い顔を紙のような白さにして半ば気絶したように突っ立っている。傍らで親友が心配そうにちらちら視線をくれているが、座っていなよと云えないのは単に声を発することで場の注目を集めたくないからだった。指一本でも動かそうものなら己を中心に話が広がっていくのは明らかだった。誰もが責任を他人に押し付けたがっている。誰もが誰かに『お前が行け』と特攻を命じたがっている。このような事態に適任の11番隊長剣八は顔を見せてもいなかった。きっと、面白いことが起きてるようだとぐらいにしか思わずに縁側ででも寛いでいるのだろう。こんな時、技よりも生まれ持つキャパのでかさと責任を放棄する無神経さを彼ら隊長たちとて羨んでしまう。仮に剣八がこの場へ現れていたとしても、彼なら面倒くさいの一言で肌を刺すような空気の振動の中を平然と自分の隊へ帰ったことだろう。隊長の責を負った時から、瀞霊廷の危機を見過ごすことは心身に刻まれてできなくなった彼らの中で、剣八だけは別なのだ。
彼等は待っていた。考えてはいない。待っていた。答えなんて既に出ているから、憐れな犠牲者が墓穴を掘るのを卑怯と自覚していたって待っていた。むしろ狩人と呼んでくれといった開き直りでもって狙っていた。
しかし、ぽつりと一人が言ったのだった。
盲点だった。誰もが、その言葉の主、六番隊長朽木白哉を諸手を振って絶賛した。





黒崎一護は鈍感である。何に対してかといえば、あらゆるものに対して。
己自身にしか興味がないのかと思えるほど周りに無関心であるかと思いきや、己自身にさえ興味がないのかと思えるくらい無防備だったりする。
だからその時も一護は一も二もなく頷いた。本当に話を聞いていたかと恋次が訊き返したくらいあっさりと承諾した。しかしルキアに脇腹を小突かれ(というよりど突かれ)て、深く詮索されないうちにと一護の背を押し、現世と常世とを繋ぐ扉へと押し込んだのだった。そんな彼らも、一護を呼び寄せることに賛成した死神たちも誰も知らなかった。
彼こそが、今回の恐慌を引き起こす契機だったなど。
しかしそれとて大変理不尽な話ではあるので、後で判明したからといって恨まれても一護にとっても仕様のないことなのであるが。それもまた万事が上手く治まってくれれば文句もつけようもないってなもんである。



勧められるまま鈍感な一護が、鈍感にも瀞霊廷どころか尸魂界に満ち満ちる異様な緊張感に気付かずもはや声も失って床の上、痙攣するように身体を震わせているその男の下を訪れ、程なくして尸魂界を襲った未曾有の警戒態勢は解かれた。
嫌に上機嫌に笑みを貼りつかせた二人の男が、思い切り殴りあったことが瞭然の態で現れてから。








これがほんとのボコリ愛
2006/10/17  耶斗