何もいらない。何も望まない。ただ、あるがままあり続けること。 これ以上に傲慢な願いがあるだろうか。 変わらずにいることなんか不可能なんだよ 人間の子供は諦念の微苦笑をみせ そんなことはない。変わらずあり続けることは可能だ と人の可能性を信じているのは死神だった。 奇妙な関係だと思う。住み着くではなく、通うにしても周期は定まらず、気紛れな野良にしては些か存在感がありすぎる。肉体を持たないくせに。 自由なのだろうか。黒崎一護は思う。今日も今日とて幾日振りかにふらりと己の部屋へ迷い込んだ(家主の許可も存在も無視したように居座るのだから訪れるというより迷い込むである)日本刀を背負った小柄な死神を、身体を捻り、机に頬杖ついて一護は眺める。小柄、だろう。子供というには精悍すぎる。整った顔立ちも迷わぬ視軸も色の抜け落ちたような白磁の膚も。まず目に止まるべき肉体的特徴を凌駕する。 何故ここに訪れるのだろう。 死神は日番谷冬獅郎と名乗った。訊ねるまでもなく自ら名乗った。堅気な性格だと知れた。その声の硬質に、身体の中を一本徹る芯が奮えた気がした。どんな字を書くのかと訊いた己に(韻からして和名だったから。そうでなくとも和装だったから)丁寧に空へ字を書いて教えてくれた後で、お前の名はと訊ねた。いちごと答えた。首を傾げた仕種が何を訊いているか分かるから、一護だと同じように字を書いて伝えた。名前を説明することには慣れている。 きっかけは知らない。気がつけば傍にいた。気がつくと傍にいる。まるで待っているように。己が死ぬのを待っているのだろうかと考えたとき、それもいいかとあっさりしていた自分に今も驚きはない。死ぬのもいいか。死んでみるのもいいか。死ぬということがどんなことか知らない。 「変わらないなんて無理だ。俺は今も、今この時も変わり続けてる。肉体の変化がいい例じゃないか」 「変わらないのは肉ではない。器ではなくその中身だ。お前の心が、魂が変わらずあり続けることは可能だ」 「不可能だ」 「可能だ」 問答はいつも唐突だった。激することは一度としてなく、初めから諦めているような口ぶりのくせに死神が折れることはない。無理だ不可能だと諭そうとする己に、そんなことはない可能だ難しいことではないと死神は一蹴する。どうして分かってくれないのだろう。人は変わらないままあり続けるなんてことはありえないのに。死神は違うのだろうか。恒久的に変わらないままあり続けるのだろうか。外観も、ココロと呼ぶ魂も? 理解できない。 嫌なことがあった。 元々人付き合いは上手い方じゃない。難癖つけられ無視できる無関心はあっても、臭い息を吐きかけられて目を瞑れる寛容さはない。 人を殴るのは気分が悪い。肉の凹む感触も、骨を殴る感覚も、肉のもっと内側で何かが潰れる質感も、何もかもが不愉快だ。 殴られるのは爽快。脳が揺れる感覚、眩んだ視界に光が熔けて、空を切る拳の、ふらつき踏み出す足裏の、何も考えられない恍惚。 目が覚めれば不快感。 相打ちか敗北か、疲労の海から浮上するなら快哉。清清しさに大気も澄んで。 勝利して、己一人立つ敗者の泥濘。汚物の上に立っている。腹の内に溜まっていく諦めという名の膿。 結局こんなもんだ。 「喧嘩か?」 空を見上げれば押し潰されそうで、項垂れていた頭をのろのろと上げたところで声が聞こえた。何処だ、と誰かは分かるそいつは探すまでもなく目の前いた。顔を上げた先。己の汚したアスファルトの先。ごつごつした感触が足裏を突き始めて、風が西へ吹きぬけここが閉塞した路地裏ではなく河川敷だったと思い出した。そうだよ。そうでなきゃ押し潰されそうな赤い空なんか見えやしないじゃないか。 「冬獅郎‥お前、なにしてんの?」 死神は応えずに呻き声も上げず蹲っている奴らを避けながら真直ぐに歩いてきた。地に足が着いてないんじゃないかって、振動が見えない歩き方だった。実際着いてないのかもしれない。2階の部屋に外に面した壁をすり抜けて入ってくる奴だから。 冬獅郎が俺の手を持ち上げる。検分する眼差しは常のものと変わらない。詰まらなそうな無感動そうな、澄みすぎるガラス玉みたいな眼。翡翠色なのが日本人の黒目に慣れてる俺にはまた酷薄そうで。生きてないみたいだ。生きてないけど。 「平気そうだな」 「あぁ。‥大したことねぇよ」 胃はむかついてるけど。戻しそうだ。多分、今晩肉は喰えない。 奇怪しいな。こんなだったろうか。ずっと、己は喧嘩の度に肉を喰えなくなっていたろうか。そんな覚えはないのに。 己の腹の辺りまでしか背のない冬獅郎に手を掬われてもさして高くは上げられないから何と無くくすぐったい。中途半端な高さがむず痒い。卑怯臭い。 「もういいか?」 訊いた俺に。 顔を上げた死神は俺の顔も検分したそうだったが、屈めなんていわれる前に冬獅郎の来た方へ歩き出した。冬獅郎のいた方角に俺の家があった。冬獅郎は俺の家がある方角に立っていた。 ―――‥探しに来たのだろうか 馬鹿か、と世迷言をぬかす己の思考に首を振った。 |