少しずつ






壊れていこうとしてる音が聞こえるの



[しんふぉにー]



−−−−くちきさぁん

一杯に溜めた涙を迸らせてそう嘆いた声のなんと甘いこと。
私の名を、呼んではくれまいか。
「井上、堪えろ」
堪えるしかないから、堪えろ。
冷たいねずみ色のアスファルトの上、ごつごつしてて皮膚を苛むだろうに彼女は強く強く掌押し付け、剥がれそうなほど爪を立てて
あぁ、桜の花弁のように美しい爪なのに‥

−−−−やだよぅ。いやだぁ‥

泣かないで欲しい。そう望むことは傲慢なのだけれど。彼女の泪は美しすぎて、そして泪を落とす彼女の様は儚すぎて
手を伸ばすことさえできない。
お前を、慰める赦しを得られない。
「一護は、先に行ったぞ」
お前も進むべき、お前もゆくと望んだ途へとっくに向かったぞ。
「追いかけるのだろう。護るのだろう。お前が、そう、誓ったのだろう」
ならば果たせとルキアは云う。無情に聞こえよう。冷酷に、聞こえよう。だけれどお前を連れて往くのは
「殺すことを厭うていては戦えぬ。奪うことを畏れていては前へ進めぬ。これはそういう道なのだ。修羅の、道なのだ」
だから立て。だから私の手を握れ。
ルキアは目線を合わせるように、どだい合わない俯く彼女の前へ膝を片膝つき、そのほっそりとした指を差し出した。目の端に映っただろう、怯えるように織姫は肩を揺らして。そうして許しを請うように目を上げた。
「行くのだ。井上。お前の罪なら私が背負おう。堪えれぬ血臭は私は払おう。見たくないなら目を塞ごう」
だから、せめて、覚悟を。
「赦しが欲しいというのなら、お前の凡てを私が赦す。だから」
この手を
お前を堕とす、死神の手を。
揺れていた眼が静謐に鎮まりはたとルキアを見た。惑いが消えて深淵の、思惟の光が宿って彼女は
「朽木さんに‥そんなことさせられないわ‥」
殺すから。大丈夫。
「井上‥」
ふらりと立ち上がった彼女は幽鬼のようで。まるで実体なんて感ぜられなくて。
虚ろなる者を見続けてきたルキアにその姿は、いっそ得がたく崇高なものだった。月が雲間から貌を出す。蒼白い影は死んだ光。その中で彼女はゆるりと微笑み。それがあんまり寂しげで
「井上‥」
ルキアは罪の確定を知ったのだ。
「覚悟ならもう‥出来ているの」
嘘か真か判然としないが、彼女は倒れこむように一歩を差し出し、危なげないのに凛とした、確かな足取りで前へと進む。すり抜けた彼女を立ち上がり見送っていたルキアはやがて、腰に負うた刀を強く握り締めた。






2006/06/18  耶斗