仄かな青い照明だけが水底から湧き出でて
半透明のぶよぶよした生き物が綺麗に磨かれすぎて空気と同化してしまったような硝子の向こうに漂っているのを、次第次第に脳味噌が肥大していくような感覚で見ていた。

「ヒーリング効果があるらしいぞ、コイツには」
「ヒーリング?そうだね、見てるとなんだか落ち着くね」

奇怪な建物だ。ルキアは思ったものだった。なんだって海を地上に作る必要があるのだろう。人間とは壮大なことを考え、そして下らない真似をするのだ。
空気の中をソイツはふわりふわりと目的もないように流れていく。時々空気を孕んで膨らんでは、身を搾って移動する。何処へ?

「コイツらには思考がないのかな、井上」
「‥んー‥、どうだろう。生きているそれ自体が意志じゃないかと私は思うけど」
「そうか」
「うん」

井上は生きている。私も生きている。だけれど私がこの世に存在するには殻を被らなければならない。私は、私と、私の殻との空隙を思わずにはいられない。そうして、その空隙はそのまま井上と私との空隙なのだ。私と井上との間には空白がある。けして一線も引いて繋げることのできない絶対の空白だ。橋を架けるなど無論のこと、手を伸ばしてみてもきっと虚像さえ掻き消える。絶対の、領域だ。

「漂っているな。気持ち良さそうだ」
「そうだね、なんだか嬉しくなってくるね」

井上は嬉しそうに笑う。人の喜びが彼女の喜び。人の痛みは彼女の悲しみ。
意思はあるかと問うた口で、次には同調する心がそれへ在る様なことを云う。勝手な私にさえも井上は井上だ。
私も笑う。上手く笑えていればいいが、どこか諦念の滲むのを誤魔化しきれないと分かっている。それは私の身に染み付き過ぎているものだ。願わくば、お前が私と同じような者になってくれなければいいと思う。

「今日は、誘ってくれてありがとう。井上」
「ううん。付き合ってくれてありがとう、朽木さん」

井上が何を考えて私をよんだのかは分からない。けれど、彼女と云う人格を考えれば自ずと答えは導かれそうな気はした。気はしたが、知ることを望まない。
彼女は優しい。
誰へも、その優しさは不変だ。

「もう少し、ここにいてもいいだろうか」
云って、彼女の手を握る。これでは強請っているというよりも明確な意志の表れだ。我儘は承知している。もう少し、二人だけの時間に浸っていたいのだ。そう、出来れば今目の前にある硝子一枚越えた向こうででも。
いいよ。井上は微笑んで手を握り返した。横目に覗いた彼女のその微笑は私の思惑など露も疑ってはいない様相で。私は大きな安堵と少しの焦燥を覚える。寂寥と不満を抱える。

水族館に来た。海月を見た。壁一面の硝子越しの海と、林立する硝子の柱で泳ぐ半透明のぶよぶよした生き物と。薄ぼんやりとした青の照明の中佇んでいる私達は手を繋いでいなければきっと迷ってしまう子供のようだったろう。







2006/08/05  耶斗