[欠陥人間] ―――また振られたのか。 一体何度目だかと呆れた嘆息を隠すのもそろそろ難しくなっていたので正直に感想を溢してやれば ―――五月蝿ぇな! 怒声が飛んで来る。 恋愛に不向きな人間というのはいるものだ。奥手でもなければ無神経でもない。無条件に女性から嫌われるのでもなければそれ以上の存在になれないわけでもない。 ただ、恋愛が、出来ないのだ。 彼は出来ているつもりでいる。だが出来ていないから女たちは離れていくのだ。彼は原因を探らない。探ったところで見つけられない。よしんば探り当てたところで納得するか知らない。 「お前、いい加減諦めたらどうだ」 彼は女に縁がない。運もなければツキもない。とにかく一切合財女性とのお付き合いに必要な全ての能力が、あるべき基礎的なものが欠けている。 ‥ように思う。 今、黒崎一護は人の部屋の隅に頭を押し込めるようにして蹲っている。放っておけというのなら何処か他所で不貞腐れればいいものを。わざわざこの場所を選ぶのだから意味が分からない。火を灯そうとすれば全身で拒否の気配を発するし、無視して灯せば親の敵でも見るような目で睨まれた。だから何故そこまでの面倒を押して己(おれ)の処なんだ。 なので今の状態の彼がこの部屋にいる間の言葉は額面どおりにとってはならない。全て嘘だ、強がりだと聞き流すか受け流すかしてやらなければならない。 そうでなければまた荒れる。 「お前、いい加減諦めろよ。なんだってそう女に固執するんだ」 「固執してるわけじゃねぇよ。好きになったから好きだって言ってるだけだ。そんで相手も好きだって応えてくれるから付き合うんじゃねぇか」 ズズ、と鼻を啜る音がする。ちり紙でも投げてやろうか。傍らをみたが既にない。いつのまに取っていったんだ。来て直ぐか。準備がいいというか抜け目がないというか。溜息を重ねそうになってこれ以上疲れるのは御免だと嚥下した。 「軽い気持で付き合うから直ぐに別れるんじゃねぇのか。そういう付き合いは恋人とはいわねぇもんだ。お前に自覚がない分相手に負担がかかる。女を可哀想だと思う心があるならやめてやれ」 この言い様はいささか辛辣だったろうか。しかしながら慰める方法など己は一個も知りはしないし皆目検討つきもしない。そんな己にはそもそもから恋愛を語る資格を持ち合わせていないようなものだがそれを彼が指摘したことはない。つまりは、どんな台詞でもいいから独りじゃない標が欲しいのだろう。だからどんな言葉でも彼は聞き入れるし反駁するし一々咀嚼する。今回もやはりそうだった。 「軽い気持ってなんだよ俺は本気だったっつうの。大体俺は振られた方だぞ俺はまだずっと付き合ってく気でいたんだ、付き合っていける気がしてたんだ、それを彼女は疲れたって言った。たった一月だぞ!?一月一緒にいただけでお付き合いしただけで俺を見限った。俺なんか悪いことしたのかなぁ。気付いてないけどしてたのかも‥でも俺は彼女を幸せにしたいと考えてたんだ。一緒に幸せになれたらいいなと思ってたんだ。それが彼女にとって可哀想なことだったのかよ」 彼は、己の言葉を聞き入れるし反駁するし一々咀嚼する。何の苦もなく忠言にもならない戯言を聞く。ふりをする。 彼は人の話など聞いちゃいない。だからどんな言葉にだって頷いてみせる。 それを分かってる己は窘めもしないし誡めもしないし結局無関心だ。届かない言葉に意味がないとはいわない。意味のある言葉を投げることにも意味はあるし、意味ある言葉を聞き入れることにはもっと意味がある。 だけど彼にはもとからそんな器官はないようにしているからこちらも割り切って付き合わなければならないのだ。 「諦めろよ」 己は言う。 応えない彼は膝に顔を埋めて。その首を振りたいだろう。横に振って、諦めないと言いたいだろう。 言わないのは、言えないのか。 時々、言葉が通じないのは彼の方なのか己の方なのか、冬獅郎は分からなくなる。そんなときには自分の言葉と自分の行動と自分の置かれている状況を振り返って自分がけして間違っているわけではないことを確かめなければならない。 「お前は女を幸せにゃ出来ねぇよ。求めてるもんが違うんだ」 「求めてるって、何を求めるんだよ」 「女はお前におそらく自分だけの場所を求めるだろう」 「そんなもん好きになった瞬間に出来上がってる」 「女はお前を独占したいと思うし、半面自分は自由でいたいと望むだろう。逆の女もいるかもしれない」 「知ってるよ。皆それぞれ違った」 彼は様々な女と付き合った。それこそ多種多様な。そうして彼は彼女等全員に従順だった。彼女達の望むままの男になった。 (それが‥怖ろしいのだろう) つまらないのでも面白くないのでもなく。 (畏しいのだろう) 可哀想だ。冬獅郎は思う。感慨はないが、それは可哀想なことなのだろうと冬獅郎は想像する。 女、女と形のない名前を繰り返すうちに舌は麻痺して、己の頭の中にある女という観念まで歪んでしまったかのようだ。 また、迷惑を被っていると、その数を数えることに厭いた冬獅郎はそれでも嘆息を飲み下す。疲れたくはなかった。肉の間隙にまで倦怠を負いたくはなかった。 「お前には無理だよ‥」 「何が無理だってんだよっ」 説明なんぞ出来はしないが、兎に角黒崎一護という人間に女を幸せにしてやることは出来ない。と思う。説明できないのは冬獅郎にも一護の望んでいるものが何か判らないからだ。水の中に落ち込んでいくような感覚を覚える。闇を抱く海底へと沈み込んでいくような、そんな恐怖とも恍惚ともしれぬ感覚、歯痒いとも諦観ともつかない感覚を一護との会話はもたらす。 通じないのだ‥ 同じ言語を用いていても、彼の言語と己の言語は絶望的に違(たが)っている。 彼には冬獅郎の言語が実のところ理解できておらぬのだろうし、だから冬獅郎も自身さえ理解していない言葉を転げやる。理解しないから、考え直したりもしない。自分が放った言葉が彼にどう作用するのか見守りはするが、土台期待していないから仕様がない。 以前に一度、お前は一体どうしたいんだ、何を望んでいるんだ求めているんだと訊ねたことがあった。そのとき一護はこう答えた。 『俺はただ、彼女と一緒に幸せになりたいだけだ』 嘘だ。と冬獅郎は思ったのだ。それは、一護の用いる言語と己の用いる言語が異なる仕様であると理解した瞬間でもあった。 一護は一護の云うとおり彼女と幸せになりたいと真実願ってはいるかもしれない。だけれどそれを判断する術が冬獅郎にはない。ないから冬獅郎は未だ一護の本当の望みを知りえないままでいる。 そもそも『彼女』を特定しない一護に『彼女』を求めている確信を得よというのが無理な話だと冬獅郎は思うのだ。一護が求めているのは通常男が求めるような伴侶としての、人間としての女ではなくてそれ以上の、それらが届かぬところの何かなのではないか、と。 そうだ例えば神のような 考えて、突飛すぎると冬獅郎は首を振った。そんなものを一護が求めていないことは分かるのだ。一護がそこらの男たちと同じように慰めとして活力して女を求めていることは分かるのだ。ただ、一護の望みに適う女が実在せぬというだけで。 一護は求めている。男が女に求めるものを、同様に女に求めている。だがそれを与えられる女はいない。女に与えられるものではない。 「諦めろよ」 「うっせぇ」 「諦めて、俺のものになったらどうだ」 「うっせぇっつーの馬ー鹿」 冗談めかした言葉は通じるらしい。笑声の混ざる憎まれ口を小気味よく思う。 女に与えられるものではない。それが何かは知らないが、一護は女に与えられないものを女から得ようと腐心している。女にしてみれば搾取されるようなものだ。何を与えればいいか分からないから勝手にもぎ取られていくだけだ。 「お前は、本当に仕様のない奴だな」 「うっさいばーか」 身体の力が抜けた冬獅郎が腕組みした左腕を文机に押し付け寄りかかると、一護の背中はくつくつと震えていた。 ―――もう来るなよ。 顔も口も歪めて心情顕然に言ってやったが。(その晩も人の布団を奪って)寝て覚めたらけろりとしている子供は笑って応える。 ―――いいじゃねぇか。また慰めろよ。 それでまた次の女を探すのか。失くした何かがそこに在ると捜すのか。 ―――慰めた覚えはねぇぞ。 真実押し入られただけだと思っているのだが、子供はやっぱり笑いながら冬獅郎の家を後にするのだ。 来なければいい。 冬獅郎は思う。 来なければ彼は幸せの中にいる証だ。 けれどすぐにも来ればいいと腹の裏は考えている。 女がいる間は寄り付きもしないが、振られる別れる捨てられる、独りの時には慰みに人の家へ居つく傍迷惑な知人は随分と前から冬獅郎の生活を乱してくれている。もはや、お前がいなければ成り立たないほどだと詰ってしまいそうなほどに人の日常を掻き乱してくれている。 安穏と、惰眠を貪るような時間の漂流を望んでいた男は既に土がなければ安堵できないことを覚えてしまった。 2006/05/28 耶斗 |