「アタシらの息子が、苦しんでいるようですね一心さん」 苦しめて、いるようですね‥ 月が中天に昇り、それを寿ぐように、憚るように、声という声が顰められた夜だった。 「一心さん、あたしは生半可な死に方は出来ないと考えてきました。ですが今は、ただ死ぬことは許されないと考えています。永劫の苦悶に落ちても贖えないと、考えています‥」 一心は応えなかった。浦原の隣にごろりと横になって、立てた肘で顎を支え天(そら)に空いた穴を眺めているようだった。 一心さん‥、浦原は一心に倣うようにそれを見つめて一心の、何でもいい、何か応えを求めた。 「月の都なんてものを昔は空想したもんだが。なんてこたねぇ。単に宇宙に浮いてるだけの塵(ごみ)だった。死神なんてものになる前にゃあ、月の都は瀞霊廷みてぇなもんを思い描いていたようだが、阿呆な話だ、瀞霊廷は月の都のように綺麗なんかじゃあねぇ。」 穢いだけだ。吐き棄てる様に一心は言ったが、微動だにしない表情がそれを本心かどうかは教えなかった。 「浦原、悔やむなよ。悔やんで誰かの赦しを求めようなんてすんじゃねぇ」 俺たちは恨みの中にいなきゃならねぇんだ。 「俺たちは人々の、恨みの声を聞かなきゃならねぇ。目一杯奴らが俺らを詰れるように、俺らは飄々としてなきゃならねぇ。弱った姿なんか見せんじゃねぇ。笑ってろ。居直っとけ。胸張って、あぁ俺たちがやった。なんか文句あるか、と傲岸に言い返してやれ。それが俺らの」 「償い、ですか」 だぁから、と一心は面倒くさそうに肩を回して 「償いなんて、しようとすんじゃねぇっつってんだ。居直るんだよ。俺は俺のやるべきことをやったんだってな。最後にどう転ぶかなんて分かんねぇ。初めっから間違いだったのかもしんねぇ。だけどそれはもうとっくに覚悟してたことだ。何を巻き込んでも誰を不幸にしても、俺たちは俺たちの我を通すってな。俺たちが今理由を述べようとすればそれはいいわけにしかならねぇ。終わってみれば理由にもなんねぇかもしれねぇ。だけど道の途中で振り返ることは出来ねぇんだ。どんなに背中が不安に思えても、振りかえりゃあ助けを求めてるようにしか見えねぇ。迷ってるようにしか受け取れねぇ。 俺たちは、迷っちゃあ、いけねぇだろう」 ぽつりと静寂が立ちこめた。静寂はただ密やかで、その身を責める冷たさは無かったが、代わりに空気さえ存在しないような空虚を浦原は感じていた。浦原は自身がいつのまにか月影に白く浮かび上がる砂とも埃ともつかぬ塵を見詰めていたことに気付いた。 「一心さん‥」 吐き出された息は細く、彼が何を言わんとしているのか、何を伝えたいと思っているのか、一心には分かるような気もしたがそれを考えることはしなかった。もしかすると感歎なだけだったのかもしれないと。 「浦原。待つしかねぇ。待って、結果が出たら考えよう。後悔だってその時すりゃいい。だけど結果に出会うまでは、たとえ途中で殺されたとしても後悔はしちゃならねぇ。何も終わってねぇのに分かることなんてないんだ」 「俺たちは導く。浦原。俺たちは道を示すためにいる。ひとつの選択肢だ。そこに行くか否かは選ぶ奴らが決めることだ。そして責任もそいつらが担うべきだ」 「一護さんを、犠牲に」 「世界の子だ。あいつは。浦原、あいつはとうに俺たちの息子なんかじゃあねぇ。世界が抱えるただひとつの胤だ。あいつはもう発った。庇護を与えようなんて傲慢だ」 「まだ‥16です」 「もう16だ」 十分だ。一心はいかにも確信ありげに言い切ってみせる。その強さを羨ましいと、浦原は何度思ったことだろう。 「世界の、子‥」 それは、生贄と同義ではないのか。 「しけた面すんな。浦原。今だけはいいけどよ。明日になって、夜一にでも見せてみろ。はったおされんぞ」 からからと一心は笑い、その闊達な笑い声に浦原も引き摺られながら、反して沈み行く心の一部を捕まえられないでいた。 造ったんです。アタシたちが。 作りました。必要だったからです。 けして世界が創ってくれぬものだったから、ガラクタ捏ね合わせるしか脳のないアタシらが、世界の救い主を創ったんです。 人は創られながら人とよんだ。 それは神が創ったからだ。 人が作った人は 何と呼ぶ事が許されるでしょう。 「一心さん。あの子は、人ですか‥」 人ですよね、浦原はそう、同意を求めたかった。 「あぁ、人だ」 果たして一心は望まれた応えを返し、そして 「人間で、死神で、虚で、そのどれでもねぇ、異端児だ」 誰よりその子を哀れんで 誰よりその子を慈しんでいる男の 己を律する言葉と覚悟が切なくて 浦原はただ唇を噛み、砂とも埃とも取れない、白く照らし出される月影の塵を眺めているしかなかった。 |