美しく笑う人がいた。 曲がろうとした角の先に3人の黒装束が歩いてくるのを見たと思えば、強引に肩を引かれ進路を変えられた。変えたのは隣を歩いていた先輩死神で、彼はいつもの三白眼をさらに細めて、さらに怖い表情をして変えた進路の先を睨みつけるように見詰めていた。まるでそこから意地でも視線を逸らすまいとするようで、恐らくその理由は僕の肩を引いた理由と同じだろう。 「見るな。あれは三番隊だ」 きょとりとする僕の無言の問いかけを無視して、僕の肩から手を離した先輩は先に立って歩き始めた。もうひとつ先の角からでも行けない目的地ではない。碁盤の目をした街だから、それは当然といえば当然だけど。 「三番隊って、隊長が今ご不在の…」 「そうだ。うちと同じ、な」 ”うち”、僕の所属する九番隊にも隊長は不在だ。理由は明かされていないけれど、皆なんとなく感づいている。それを知らないものと思っている人なんていないだろうに、皆口を閉ざして話題にしない。触れてはいけない禁則事項であると誰もが理解しているからだ。隊長にもなれる実力があるけれどそうしない先輩の肩と並ばないよう気をつけながら僕は彼の横顔を覗き見た。彼のトレードマークの刺青がくっきりと頬に浮かんでいる。 「三番隊は嫌われ者だと聞きましたが…、僕の友人は三番隊に憧れて入隊しました。他の隊とも変わらないように思いますが…」 何故、目に映してはならないほど厭われているのですかと言外に問い、答えを待った。先輩の小さな黒目はやはり前を向いたままちらりとも僕へ向けられず、厭々という風に先輩の薄い唇が開いた。 「三番隊は嫌われ者だよ。十二番隊の次に、な」 十二番隊が嫌われているのは知っている。嫌われて、というよりも不気味がられている。トップをしめるのが研究者集団だからだろう。人体実験も厭わない隊風で、隊長はマッドサイエンティストだと聞いた。薄暗いイメージが纏わり付く隊を倦厭するのは解る。解るけれど… 三番隊にはそのようなイメージは皆無だ。 すると僕の思考が落ち着くのを待っていたみたいに先輩の言葉が続けられた。見ていないようでいて観察しているのかもしれない。それと気付かせないから隊長代理なのだろうなぁと僕はのんびりと考えた。 「陰惨なんだ。戦い方が」 「いんさん…」 意味を理解できなかった訳ではないけれど、イメージするには難しすぎた。だって、さっきの三人組の真ん中を歩いていた人は 「戦いは絶望だという綱紀を掲げる隊だ。隊花がそれぞれの特色を表しているのは知ってるな?三番隊のあれは金盞花だよ」 そうは言われても花言葉に詳しいのは女でもそうそういない。と、思う。しかし隊花である以上自分で調べておけという牽制だったのかもしれない。うちの花はなんだったかな。 「金盞花は、絶望という意味なのですか?」 先輩は答えなかった。答えなくとも肯定であることは彼の沈黙からでも読み取れた。無駄に言葉を紡ぎたくないのかもしれない。この会話自体彼に疲労を強いているのだとしたらここで止めるべきなのに、僕はもっと聞きたくてならなかった。それはあの人への興味にあっただろう。青白い顔をして俯いて歩いていた、薄い金髪の青年。今にも折れてしまいそうな痩躯に影すら薄そうで、だけど地に貼り付けられた影法師は確かに存在する者の証として、黒々と濃かった。 絶望の意味を知りたいと思った。絶望であると、それを隊規にする理由を知りたかった。 「それはアイツに聞くのがいいだろうな」 先輩は言った。 「それはどなたですか」 重ねて訊ねた僕に 「さっき、真ん中歩いてた奴だよ」 先輩は彼を『トモダチだ』と付け加えた。 その人はやっぱり美しかった。 この人の何が美しいのだろうと、不躾だと知りながら僕はしげしげと彼を観察していた。彼は先輩の友人だという説明に違うことなく、先輩からの紹介である僕を丁寧に出迎えてくれた。左腕の腕章が彼の身分を表していたが、それによって受ける筈の威圧感は無かった。むしろ、心許無さを覚えるほどに彼は副隊長というには頼りなく見えた。 「うちの隊について知りたいことがあるとか」 既に先輩から聞き及ばれていたのだろう、彼は早速本題に言及した。促された僕は予想していたというのに狼狽してしまって、舌が縺れて一先ず謝らなければならなかった。そんな僕にも彼は優しげに微笑んで、どうぞ気にしないでと気遣ってくれた。 「あの、吉良副隊長の所属される三番隊の隊花は金盞花だと聞いたのですが」 「うん」 如何にもという風に彼は頷いて 「その花言葉が…」 「絶望と、いう意味だね」 頷いたところまでは温かかった表情が冷ややかに変化することに僕は息を潜めた。吐き出す息さえ冷えていくような、静かで確実な変化だった。 「それでだね?君が来たのは」 既に予測していらしたらしい彼は、檜佐木先輩が不精がったのかな。彼の口から伝えてくれても良かったのにと独語して、困ったような笑顔で冷やした空気を暖めた。笑顔のままで。なんて器用な人だろう。 「隊それぞれの戦い方なんて、所属したことがなければ分からないのが実情だよね。隊によっては明け透けでもあるけれど…十一番隊だとかはね」 どこか呆れているようでもある最後の一言に続けるべく、僕は先日先輩に聞いた三番隊の戦い方が”陰惨”だということを直接に口にしていいものか迷った。本来ならば迷うまでもなく内緒にしておくべき事柄なのだけれど、彼の雰囲気がそれを言っても良さそうなものだったからだ。けれど躊躇は止まず、僕は口を閉ざしたままでいることに決めた。するとまた突然に彼は口を開いていた。 「うちの隊は徹底的に陰惨であるよう努めているよ」 蒼い瞳が僕を見ていた。透き通った空色はガラス玉のようで、蒼白い彼の顔色と相まり、彼ごと作り物めかせていた。目の下に薄い隈が滲んでいることに僕は漸く気付いて、彼の纏う空気は倦怠なのだと得心した。 「入隊のときにね、そう説明するんだ。うちの隊は徹底的に陰惨だよ、と。でもね、やはり初めは誰も理解しない。学校で習ったとおりの戦い方をするんだ。鮮やかに、猛々しく、勇壮であれ、とね。 だけど三番隊はそういったものを求めはしない」 ”戦い”の解釈が違うんだと彼は言った。 戦いは絶望である。これが三番隊での戦いの前提だ。 戦いは陰惨であれ。これが三番隊の方針。 戦うことを恐れさせよ。蔑ませよ。遠ざけさせよ。これが、三番隊の理想だ。 簡潔だった。彼の言葉は短く、簡潔だったけれど難解だった。暫くの間僕は言葉を継げられずにぽかんとしていた。 「理想、とは…」 理想とはそのようなものだっただろうか。”理想”、とは 「もっと輝かしくて光に満ちた、温かいものではないのですか」 僕の絶望的な問いかけに、彼は寂しく笑んだだけだった。 灼熱の太陽も、彼の前では同情するかのように威力を弱める。 美しい人は優しい人だった。 「話をしたんだ?あの人と」 面白がるように笑ったのは黒崎一護という死神代行の少年だった。色々と有名な人物で、九番隊を訪れることは極稀であるのだけれど、今日は目的としている人物が留守だからとふらりと立ち寄ったらしい。この付近でふらふらしていると出会いたくない人間があるんだとか初めに言っていたようでもあった。 「俺も話したことあるぜ。いっつも疲れた顔してる、顔色わっるい副隊長だよな」 根暗っぽい、と辛辣な冗談を吐いてひとしきり笑ってから、死神代行の少年は 「でもいい人だっただろ」 と、慈しむような眼差しをして唇を撓ませるだけの柔らかな笑みを浮かべた。 彼の言う”いい人”をどう解釈すべきか逡巡したけれど、きっと良い意味での”いい人”なのだろう。好ましいという風な。 「皆を守るために独りになることを選べる人だよ。俺はああはなれない」 あの人はきっと完璧主義なんだろうな。自分に厳しい人なんだろう。 独りになろうとして本当に独りになることが出来る人なんてそうはいないんだ。皆を想っての行動なら特にな。 あの人を思い浮かべながらだろう彼の言葉には尊敬の念しか感じ取れなかった。不憫がるような響きはどこにも無かった。戦う者の在り方のひとつがそこにあると、明瞭(はっきり)と認めているらしかった。 「本当に、ツイてたよなアンタ。吉良さんは忙しい人だからそんなに簡単には会えないんだぜ?」 「檜佐木隊長代理のお陰です」 「隊長代理?って呼んでんだ」 あはは、と死神代行の少年は笑った。呼びにくいなーと笑った。代行だと聞いたときには生きた人間の魂であるということに酷く違和感を感じたものだが、彼が闖入者だという意識は大方のところ、消えないまでも、薄らいでいた。 「黒崎、日番谷隊長戻られてるみたいだぞ」 扉の開く音と共に聞こえたのは檜佐木隊長代理の声だった。先輩は相変わらずの三白眼と刺青と、ツンツンに尖らせた髪をして、剥き出しの肩に書類の束を担ぐように手の甲をのせて立っていた。扉を開いた恰好のまま動かないのは少年を促してのことだろう。頬の側を伝信用の地獄蝶が舞っている。マジで?サンキュー檜佐木さんといいながら少年は腰掛けていた僕の向かいの席の机から下りて戸口へと向かった。 「表は更木隊長がいるから裏通ってけ」 少年が戸口を通り抜けるのに合わせて腕を下ろした先輩が、彼とすれ違い様に言ったのはそんなことで、少年は僕に笑ったときと同じ顔ではははと笑ったのが、もう一度サンキューと言ったときに振り返った横顔で分かった。後は振り返らないまま手を振り振り少年は去っていき、元々僕一人だった隊員室に先輩と二人残される恰好となった僕は少々気まずさを覚えていた。 「あの、」 「吉良と話せたか」 「あ、はい…昨日」 隊長室を使わない先輩は僕たち席官と机を並べて仕事をする。並べてといっても、皆を見渡せる場所に机は置かれているけれど。 そこへ向かう途中の先輩に声を掛ければ遮るように訊ねられて、それが用意していた話題に的中していることを飲み込むまでに少しの遅れが残った。 「そうか。いい奴だっただろ」 「……あの」 違和感だった。 「なんだ」 「檜佐木隊長代理は、吉良副隊長のことを嫌っておいでではないのですか?」 「…何故だ?」 本当に分からないという一拍を置いて問い返されて、僕も返答に詰まる。この間道で吉良副隊長と出くわしそうになったときには敬遠するような言葉を聞かせておいて、吉良副隊長を友人といい、彼を褒めるようなことまで口にする。 どうしたいのだろうと、思ったのだ。 先輩にとっての吉良副隊長という人物は、本当のところどういう認識なのだろう。 「隊長代理は…、三番隊には近付くなという風なことを仰られていたので、私はてっきり三番隊を好ましく思っておいででないのだと」 思っていました…と自信無く告げると、先輩は机を回って椅子に腰掛けようとしているところで、腰を下ろしながら、あぁ、と天井を仰ぐ真似をした。 「吉良、と、三番隊は、別だからな」 先輩の言う”別”という真意を計り取れずに、僕は沈黙を守ることで言葉を待った。 「吉良の解釈も間違ってない。が、三番隊の戦い方を外から見るとやっぱり陰惨なんだ。酷たらしくて俺は好きじゃない」 「だから”見るな”と」 「お前は死神になってまだ日が浅い。染まりやすいんだよ。良くも悪くも」 忘れるな、と先輩は書類から目を上げて僕をみた。あの人とは違う黒々とした虹彩は小さな黒目に凝集して、射抜くような鋭さを持っていた。 「忘れるな、お前は、九番隊なんだ」 あんな戦い方はしなくていい。 そう言った先輩は、あの人の在り様に同情しているのかもしれなかった。少なくとも、先の代行人とは色合いが異なって僕には見えた。 「はい」 と僕は応えたけれど、あの人を苛むように照り付ける日差しの中で、健気に顔を上げて儚く微笑むあの人の顔を忘れられるとは思えなかった。 '08/09/02 耶斗 |