「俺は、お前と兄弟に生まれたかったよ」 8人兄弟の長兄にして、13人の隊長の一人である白髪の死神は寂しそうに笑って 「僕も、君と兄弟に生まれたかったなぁ」 幾人兄弟がいるか知れぬ貴族の次男坊にして、同じく13人の隊長の一人である伊達男の死神は困ったように笑った。 人は恋して生きるものと、風流人である京楽春水は己の生涯をそう定め、またその通りに生きるべく如何な努力も面倒も怠らなかった。己が定めた通りに生きることに絶対の自信と自負とを持って、真実そのためだけに生きてきた。 感謝に至りて人の道に通ずると、幼き頃、肺病により死の淵を彷徨った浮竹十四郎は、己の命があるのは、必死の思いで己を救おうとしてくれた父母、親戚の為と認識し、ならば己が生きるのは彼らの為であり、己と関係を交わらす全ての人々の為と信じた。彼らの為に生きるに必要なあらゆる力を得るがために努力し、それこそ血を吐きながら精進した。 そんな彼らが出会ったのは死神となるための統学院だった。浮竹は絵に描いたような優等生に和やかな雰囲気を纏い、京楽は女を追い掛け回す洒脱な男だったが、死神としての能力は充分に秘めていた。 彼らが直接交わるに至ったのは同じ学級であったことには殆ど関連しない。浮竹は常に友人達に囲まれていたし、京楽は女を追い回すくせ、独りになりたがるきらいがあったから、自然二人の距離は一定の空白から縮まらなかった。それでも彼らが今にみるように親友となるには何らかの切っ掛けがあったのは明白であり、それには幾分血臭が混じる。 授業が終り、夕暮れの朱が染める教室へ、誰も残っていないだろうと忘れ物をとりにきた京楽は引き戸を開けた。連綿と並ぶ教室のどれからも人の声は聞けず、天井の高く、広い廊下にも人影ひとつ見当たらなかったから、京楽が校舎にいる人間は自分だけだと思っていたほどそこは静かだった。ひっそりと寝静まる夜陰の静けさが、いまだ沈みきらぬ太陽の熱に炙られているようだった。戸を開いた京楽は玻璃で増幅された朱光の中に佇む人を見た。こちらに背を向けているその人物は、暮れ色に染まってはいたがどうやら男子生徒用の制服を着ていると見て取れた。そうしてその人物の髪が嫌に朱いなと覚えて、染める暮れ色に抗う一切の色を持たぬ髪なのだと理解して、そんな髪色を持つ人物を数多いる統学院の生徒たちの中には一人だけしか知らなかったから京楽は迷うことなく彼の名を呼んだ。 「浮竹?こんな時間まで残って何をしているんだい?」 居残って勉強でもしていたのだろうかと京楽は思った。京楽の浮竹に対する認識は学級長を務める人柄の温厚な優等生としかなかったからだ。ご苦労だねぇ、偉いねぇと、全く傍観者の口ぶりで浮竹を褒めながら、京楽は机の中に忘れた女生徒からの手紙を探した。 「あれぇ?ここに忘れたと思ったんだけどなぁ。浮竹ー、そっちの机に僕宛の手紙が入ってないか見てくれないかい?」 京楽は前の方の入り口から入ったのだが、探し始めたのは後方の席だった。後方の、窓際の列である。浮竹は一番前の長机の前に居て、窓を向いて立っていたから、京楽はまず浮竹の背中を見つけ、そして大回りして窓際の一番後ろの席へ向かったのだ。その際、身体の前面を隠すように、京楽が移動するに伴って身体の向きを微妙に逸らしていった浮竹の様子を、京楽はさして不思議に思うことはしなかった。浮竹が嘔吐を堪えるように、口元を両手で覆っているらしいということも、京楽の興味を引くほどには京楽にとって違和感ではなかった。 「浮竹ー?ねぇ、ちょっとー。そこの机にさぁ‥‥浮竹?」 呼びかけに応えない、顔を背けた級友に、京楽は漸く自分が避けられているらしいと思い至った。しかし己が個人的に彼と接触したこともなければ、不興を買う行いをした覚えもない。不当だと思えた。だから、すこしだけ気分を害し、すこしだけ腹が立った。無視しなくともいいじゃないか。己が気に入らないならさっさと立ち去るなりなんなりすればいいじゃないか。 「なんだい。感じ悪いなぁ。君、そんなヤな性格だったかい?それとも君のような硬派には軟派の僕が気に入らないのかな。」 分け隔てなく他人に優しい学級委員長様は、その実差別主義だったとみえる。揶揄と批難とを込めて、不当に傷つけられた己の自尊心を慰める薬とした。口調はあくまでのんびりと、緩慢な足取りで浮竹の覗いてくれぬ席へ近付けば、浮竹は逃げたそうに身動ぎながら、京楽に背を向けたまま身を強張らせているようだった。深く俯いた首筋が細くて、その白さは朱色の中にあってより際立った。不意に見てしまった級友の、男とも女ともしれぬ中性の婀娜に、京楽は胸に刺さった小さな棘を忘れて足を止めた。骨ばった肩は薄く、細い髪が首筋を流れ、嘔吐を堪えているというより声を上げるのを堪えているような、腕を引き寄せ竦んだ背は骨も浮いていそうなほど頼りなく、京楽は彼が怯えているのじゃないかと思った。拒絶ではない。怯えているのか。 「浮竹?どうしたんだい‥?具合でも悪いの?」 手を伸ばす気配が伝わったのか、浮竹は敏感に肩を撥ねさせると、しかし逃げ出しはせずますます身体を強張らせた。身体が弱いということは知っていた。微熱がありながら授業を受けている姿も何度かみた。気丈に振舞う強さがあることを知っている。だから、こんなにか弱そうな背中を見せられて、京楽は戸惑ったのだ。まるで知らない人間を前にしている気分だった。それも、男か女か分からない人間をだ。 「浮竹?ねぇ。返事をしておくれよ。一体どうしたんだい?」 心配になっていた。立っているということは、動けているということは、とりあえずそれくらいには無事だということだろうけれど、浮竹の小さな背中は今にも倒れてしまいそうだった。殆ど己と変わらぬ体格をしている筈の少年の身体は、今や細くたおやかな女生徒ほどにも心許なくみえた。 「浮竹?ねぇ‥」 そんな風に級友を見てしまっている己が酷く不道徳者に思えて、京楽は自身のそんな思惑をかなぐり捨てたく、浮竹の肩に手を置いた。案の如く骨ばった肩は思わず掌が驚いて離してしまいそうなほど薄かった。 肩に手を置けば振り向くと思っていた。平生人はそのように反応するものだからだ。それなのに浮竹は振り向かなかった。肩に置かれた手に緊張して、さらに顔を背けたくらいだった。 「浮竹?どうしたっていうんだい、本当に」 奇怪しい。様子が変だ。明らかな異常を察して京楽は急激に焦った。こんな場面に遭遇してしまったことへではなく、浮竹の具合が悪い場合彼を看病するのが、たとえ一時ではあっても己であるが、己はそのやり方を知らないということへだった。 どうしよう。運べばいいのだろうか。だが医務室は既に鍵が掛っているだろう。それでは教務室か。 「浮竹、ねぇ、こっちを向きなよ。君の様子が分からなくちゃ僕もどうすればいいか分からないよ。具合が悪いんだろう?先生か、でなければ寮へ帰ろう」 その時、咽ぶような咳の声が聞こえた。喉に痰の絡げたような、嫌な音だった。 「浮竹‥!?」 結論から言えば、浮竹は己の吐いた血で真っ赤に染めた着物を見られたくなくて京楽に背を向け続けていたのだった。 無理矢理に振り向かせた京楽が真っ青な顔になっていくのを見て浮竹は己が原因だというのにくすりと笑った。余りに場違いな失笑に京楽がぽかんとすれば、浮竹の笑いは少しずつ大きくなった。 「浮竹‥?」 「ご、ごめん‥、お前がそんな顔するなんて思わなかったから‥ごめ、ぐ」 ごほ、とまた咳をして紅い飛沫を撒いた浮竹にますます蒼白になった京楽こそが倒れてしまいそうだった。 「ごめん、ごめんな。驚かせるつもりはなかったんだけど、いきなりの発作で俺も対処できなくてな。呆然としてたところにお前が来たから‥」 呆然としていたのか。同じように呆然としながら京楽は、己が教室の扉を開けた時立ちすくんでいた背中を思い出していた。そうか、あれは、突然の闖入者に驚き、惑乱していたのか。 「いや、ごめん、ね。僕も」 ちょっと驚いただけだよと、力なくも微笑むと、浮竹は安心したようにはんなりと微笑み返した。いまや菫色の混じる黄昏に、朱の帯に照らされていたほどの血色は浮竹になかったけれど、酷い咳だったのだろう潤んだ眼を細めて笑った彼を、美しいと京楽は思った。 いつや切れると知れぬ情の絆より 切りたしとて切れぬ血肉の縁の方が どれだけ君を縛れたろう 2007/04/22 耶斗 |