学校帰り、手を繋ぐ。人気の消えた路地脇道待ち伏せ人。
 夕陽、茜色世界を染めて。逃げるように影の中。逢いたかったとお前は言う。
 合わせた掌、指を絡めて柔く引くから
「何だよ?」
 見上げる瞳に背を屈める。翡翠色にも茜色。
 眩暈がする。
「好きだ」
 夢想的に青天の昼、世界が終わるように熔けていく黄昏
 こんな日は、言いたくなるのだと男は哂う。
 細い路地裏影の中、世界で二人捨てられたようじゃないか。
 眦の下、掠めた男の薄い皮膚。
 空の茜に誤魔化せればいい。悔し紛れに顔を覆って逸らして、馬鹿野郎と呟いた。
 云ってやろうか、



自信ある、お前より俺のほうがずっと好きだって
















↑対のような↓





 世界が妙に仰々しくて、どうにもつまらないものだから橋の向こうの世界へ渡ってとある子供に逢いに来た。
 すれば嫌味なことに、味なことに、世界は子供の色一色染まっていて。慕情も恋情も人恋しさも寂寥もいや増すというものだろう。
 探る霊圧は奇妙なむず痒さを覚えさせる。探ることが気恥ずかしいなんて、そんな気色の悪いこと。それでも辿る足に感覚はなくて。
「逢いたかった」
 己の言葉が奇怪だったろうか、それとも己の顔が奇妙だったろうか。鳶色の瞳を顕わに凝眸した。そうか、予告もなしに顔を見せたことに驚いたのか。
 手を差し出せばまた今度は明瞭に驚いてみせて。だから己は何か奇怪しいことをしているだろうか?
 小首を傾げれば焦ったように目線を逸らし、ぽりと鼻頭一掻きすると
 きゅうっとこの手をとってくれた。握り込まれる己の手の情けなさも今日このときには胸に沁みる痛みと覚える悦びに掻き雑ぜられる。
 意識の外で身体が動く。



手をぎゅっと握ったら握り返してくれたコト、すごく嬉しい






















 訳が分からないと男が云った。

 何を、お前は天才なんだろう?と己は揶揄かった。
 唐突に訪ねてきたと思ったら、挨拶も前置きもなしにそんなこと。珍しくて、そうして肩越しに振り返った先にある顔が困惑しているようだから可笑しかった。
 何を分からないと云うんだ?問えば
 分からねぇことを説明できるか。と機嫌悪く返され
 どうやら思考は混乱しているようだ。まともな会話能力は残されているか?


 窓を玄関に侵入した男は無遠慮な足取りでベッドのスプリングに悲鳴を上げさせ、床に胡坐をかいてビー玉を転がしていた己の背後に立った。
 迷っているな。
 小さなガラス玉は妹が分けてくれたものだ。少女らしい彼女の優しさは、こうして時折己の部屋へ装飾を施していく。
 指で弾けば転がっていく。弾性衝突。極力摩擦を失っしたSiO2、球になってフローリングの床を滑っても完全非弾性は叶わないか。
 保持された運動エネルギー。磨り減り磨り減り、タンゴからワルツへ。舞踏は終わる。
 項の辺りがくすぐったい。男の視線の先は、確かくは何処だろう。動物の眼が動くものを追うというのなら、もう一度ガラス玉を弾いてみようか。
 男の息が、己の名を呼んだ気がした。
 なんだ?訊けば
 応えはなく。否、動揺した空気が伝えたもの、それが男の応えだろう。
 本当に、今日はどうしたことだろう。込み上げる愉快に喉が震える。
 そうすればまた、不機嫌を滲ませ己を非難するのだ。


 首筋を風が掠めた。それは男の着物だった。
 細く、白い腕が緩く首へ回される。そんなに怯えたようにしなくとも、己はそう容易く壊れはしない。
 どうしたんだよ?手を触れれば直ぐに離れてしまうだろうか細さだから、身動ぎもできず問う。
 分からねぇ。
 それでも暫くこうしていたいと耳の裏、安堵したような熱い吐息には苦笑するしかなかった。



意味なんて求めてない。求めてるのはお前だけ






















 背に回された腕は細かった。貝殻骨へ届きそうな手は小さかった。
 布地越し腹の上、唇から吐き出される息は、熱かった。




 気だるい腰のむず痒いような感覚に、少しは楽になるだろうかと仰向けの身体を反す。傍らには何の警戒もなく眠る男。痛みにもならない腰の違和感を植えつけておきながら安らかに眠っている男が小憎らしく思えた。

 おかしな時間に目が覚めてしまった。妙に目が冴えてしまっているから、目蓋を縫い合わせる耐力ももちそうにない。
 どうしようか。
 枕に沈み込みたい欲求は確かにあるのに、そこに用意されているはずの安堵を感受できない。
 仕様がないから彷徨わせた眼は肩にかかる吐息の先に留まった。
 こんなにも、安心してるなんて顔。見せてしまっていいのだろうか。
 時折、哂ってやりたくなる。綺麗な貌。

 階下には家族がいる、とそんな懸念を抱かなくなってどれだけが経つだろう。遅すぎるということはないだろうに、己は随分と早くに馴らされてしまったようだ。
 悔しさは、それを保つことで自尊心を守れると思い違いをしていた頃の話だ。
 あぁ、だから今、馴らされて、いるのだろう。
 男の頬に指を伸ばす。あんまりにも近いから、少しだけ身じろがなければならなかった。身体が重くて、常ならなんでもないはずの動作も億劫だ。


 背に回された腕は細かった。貝殻骨へ届きそうな手は小さかった。
 布地越し腹の上、唇から吐き出される息は、熱かった。



 そうして、触れた頬はすべらかだ。
 薄く開かれた唇からもれる呼気がまるで自分を呼んでいるようで、あぁ駄目だな、と思う。そんな風に思うなんて、本当に、己は‥。頭を抱えて目を逸らしたかったけれど、それもまた効のない抵抗なのだろう。
――― 一護‥?
 男の、幼い表情(かお)が覗き見える。こんな機会を得られた者が今までどれだけいただろう。今は、どれほどいるだろう。先は、思案するだけ無意味だろう。
 夢の間淵に漂う眼。すぐにも戻りたいという目をしているくせに、留まろうと、醒めようと、引く手に抗っているようなのが可笑しくて目を細める。見詰めていたら、己にも睡魔が慈悲を与えてくれるだろうか。
――― 冬獅郎?俺な‥
 悪戯心に似たものだろう。男があんまり無防備な顔を晒しているものだから。
 こそりと吐息で一護は囁く。まるで強請るように枕を這って、明瞭としない男の瞳を覗きこむ。彼の意識は肌寒い現の夜へ浮上しようとするように、焦点を一護へ定めようとしていた。
―――
結構、お前に骨抜きにされてると思う
 視線の、合ったのが先か。言葉を終えたのが先か。
 どちらにせよ一護を視認した男は、当然だとでもいいたげに、明瞭とした眼で笑った。

 ほら、そんな哂い様だって俺を満たすのだから。
 多分、この身体を支えているのは背骨じゃなく、代替に注入された男の何かだろう。

 精液だったら笑えるな。
 俗なことも考えるようになった自身へ嗤いが込み上げる。
 男に、この自嘲の意味が知れただろうか。目を上げればとうに眠りに戻っていた。
 肩透かし。それもいい。さっき云った戯れ事も、次に目覚めるときには忘れていればいい。
 お休み、一護は囁いて目を閉じた。夢魔は確かに彼へも腕を広げたようだった。


 お前がいなきゃ立てないよ。
























好きという言葉はどこまで有効か


 検証1:目覚めのベッド

 暁の冴えた蒼白が晴れて鳥の声も温められる午前8時日曜日国が間違いさえ起こさなければ帰宅部学生には隔たり無く与えられる休日、当然休みであるぬくぬくと布団に包まる背中を枕に頬杖ついて眺め始めたのはつい先ほどのこと。まだ覚めやらぬ眼に瞬きを繰り返していればごろりとそれは仰向いて。カーテンの隙間から落ちる白い光に覚醒を促されて微かく呻きを漏らした後、薄っすらと目蓋を開いたからすかさず一言。
「好きだ」
「‥‥朝の挨拶は”お早う”が定例‥。っていうかお前の寝起きの声無駄にエロいから掠れてるから眠気眼が相乗効果だから
 勘 弁 し て く れ 」
 謝られてまた背中を向けられた。

 それ以前に、何時の間にベッドへ侵入したのかと夜眠りに就いた時には確かに存在していなかった傍の塊に一護が疑問を抱かなくなったのはひとえに彼のしぶとさと諦観とによるものだろう。
 人間って逞しい。と死神は思った。




 検証2:キッチン

 朝も早くから元気に外へ飛び出していった妹(姉)と、家に残って家事をこなしている妹(妹)と、玄関まで行き着いたはいいがそこで力尽きて倒れていたという患者を診ている父と、休日の朝は概ねいつも通りであった。
 ただひとつ違ったことはキッチンに立つ長男の腰に、常人では視えない者がへばりついていることか。真白のマグカップにインスタントコーヒーをスプーン一杯入れた一護が湯の沸くのをコンロの側で待っているところに一言。顔をつき合わせていようがどうしようが彼は拘らないらしい。
「好きだ」
「はいはい。湯ー注ぐから危ねーぞ」
 しゅんしゅんと音を立て始めた薬缶を火を止めて持ち上げた彼の向こうから聞こえてくる小さな器に水の溜まっていく音と立ち昇る湯気と漂うコーヒーの香。
 あしらわれた。
「何か言った?お兄ちゃん」
 居間に掃除機をかけていた妹が兄の独り言に問いかければ
「何でもねーよ。飯、レンジか?」
「うん。サラダが冷蔵庫に入ってる」
 腰の違和感は綺麗に無視して日常だけに向ける両眼。
 上目使いという彼的リーサルウェポンは弾道を逸らされた上、不発。




 検証3:公園

 若い者が不健全だと昼食後父親に追い出された一護が足の向くまま行き着いたのは公園だった。日曜と云うこともあり子供たちが遊び、若い母親たちが井戸端会議に勤しみ、ご老人は春の陽気に腰掛けたベンチの上、うつらうつらと舟を漕いでいる。そのベンチの端に腰を下ろしてみるともなしに跳ね回る子供たちや時折彼らに混ざる母親たちを眺めて、同じベンチに座る老人と同じく暖かな日差しに目蓋を持ち上げる力が緩み始めたとき
「好きだ」
 老人と自分の間に収まっている男が恐らくこちらを見上げて一言。
「うー‥ん‥」
 男の視線を感じながらそれに眼を向けることもなく。ベンチの背に凭れた一護はことりと頭を落とした。
 はぐらかされた。(無視された?)
 ちょっぴり寂しさを覚えた彼が、こちらの気も知らず楽しげに笑い合う声たちに物騒な感情を抱いたかどうかは、瞬間得体の知れない怖気に固まった彼らの姿で判断するとしよう。当然のことながら全員が全員見回してみたってその出所は確定しなかった。子供たちの中にはぼんやりとした影が見えた者もあったかもしれないが、目が合えば殺される!と子供ながら賢明な判断で無邪気な姿を装っただろう。無邪気さえも計算の世知辛い時代である。




 検証4:風呂場

 ざぁ、と湯をかけた身体から立ち昇る湯気。浴室は既に白く曇っている。身体を洗い終えた一護が浴槽に浸かって満足気な溜息を吐き出すのを待って、非常識にも服を着たままそこに入っている男が一言。
「好きだ」
「っつーか服脱げ」
 不思議!水を吸わない日本伝統衣服!
 相手にされなかった。
 目を閉じ、あーと口を開いて天井を仰いでいる彼の膝の間に収まって、その喉を見つめている男が浴槽の両枠に肘を乗せて裸体を晒す一護の男前っぷりに惚れ直したかどうかは彼のみぞ知るところだが、不意に感じた下半身への危機感に一護が彼を浴室から放り出したところをみると惚れ直しついでに悪戯を仕掛けようとしたらしい。
 往生際悪く男はすれすれ眼前で閉ざされたガラス戸に一言。
「好きだ」
「帰れ!」
「一護ー何一人で騒いでんだー?」
 息子の叫びを聞きつけた父親がリビングから尋ねた声と、なんでもねー!と叫び返した息子の声とに挟まれた彼は一護が出るまでマットの上に正座していた。




 検証5:再びベッドで

 明りを消し、外灯の光もカーテンで遮って布団へ潜り込んだ一護の隣に断り無しに続いた男が蹴り出されないまま向けられた背中に張り付いて一言。
「好きだ」
「耳に息吹き込むな‥っ」
 明日学校あんだよ!
 怒られた。
 首筋に埋めた顔を引っぺがされたので叩き出されないよう名残惜しいが背中を向けて心持ち恨みがましく膝を抱えて目を閉じた。その背中から漏れ出る哀愁に部屋の主が軽く罪悪感に苛まれたかどうかは定かでないが、結局彼は夢に堕ちるまでその体勢を保ったままだった。



 結論:保留。(淋しさのあまり何も考えられません)



 翌朝、相変わらず知らぬ間に消えている姿を確認してもそもそと起き出した一護は学校で語る。この際決まって子山羊に選ばれるのはクラスメートの中でも雨竜だけである。クインシーって基督教っぽから丁度いいじゃないか、とは恐らくそれを知る仲間全員が思っている。一護の言葉が続くにつれ倦怠感を募らせていく雨竜の姿に自ら関わろうと思う勇士はいなかった。極身近の仲間たちであってさえもである。織姫も茶渡も親友たちに止められたのだが。
 この日も一護の話はクラスの雰囲気を微妙な方向に傾けた。

『あいつ月に一回くらいのペースで奇怪しくなるんだよな‥。毎度のことだから放っておいてるけどさ、あれ、なんとかなんねぇかなぁ‥こっちの身がもたねぇよ。周りから見たら俺一人だぜ!?一人百面相だぜ!?馬っ鹿じゃねぇの不審者じゃねぇのツッコミもままならねぇこっちの身にもなってみろよっつぅの!一日あの視線突きつけられる上に周りからは好奇の視線に晒されろってか!無視し続けたら何しでかすか分かんねぇしさぁ!あいつホント時々すっげぇガキなんじゃねぇのかって思うんだよ!』

 机に両の拳叩きつけて押し殺した声で叫ぶ一護に、前の椅子に座って話を聞いている(聞かされている)雨竜はこの日も逃げ切れなかった我が身を儚んだ。(決まって彼が犠牲になる理由、それは彼だけが教室に入ってきた一護の異変に気付かず自分の席に座り続けその肩を叩かれるからだ。叩かれれば最後、悲愴な面持ちの人間を追い払える度胸など彼にはない。席が前後というのも悲劇の一因であろう。)
 それでも雨竜は、人のいい雨竜は彼のために吐息する。仕様が無い二人だなぁと、優しい雨竜は呆れに嘆息する。
 不調が来れば仕事がどれだけ切羽詰っていようと門を抉じ開け強行に現世へ降り立つくせに一日経てば何事も無かったかのように元通りになるあの男は知らないのだ。今己の、一護に言わせれば”どうしようもない”言動を一護がどんな表情で捲くし立てているのか。その通り、男は知らないだろう。

 朝起きれば唐突に飛び込んできた男の顔と言葉に背けた顔が
 台所に立てば後ろに張り付く男に振り向かない顔が
 公園へ行けば隣に添って自分を見つめる男に俯けた顔が
 風呂に入れば正面から突きつけられる男の視線と告白に仰いだ顔が
 夜ベッドに入れば耳元に吹き込まれる息と熱に背を固めるしかない彼の顔が


 皆一様にひとつの色に染まっていることを、ただただ単調に返答を求める男は知らない。


「ねぇ、一度だけでも正直に彼へ反応を返してあげてはどうなんだい?」  それが治療になるかもしれないよ、とかなりの確信でもって雨竜は助言するのだが
「‥っ、なこと‥できるか‥っ!」
 どうしようもない二人のどうしようもない片割はやっぱりどうしようもない照れ屋なのだ。



 ここまでくるといっそもう天晴れだよね。
 人と群れることのない雨竜もこの件に関してだけはクラスメートたちとともに頷きあうのである。



宇宙一好きとか派手に言わなくていい、好きって言われただけで、こっちはもう参ってる






〜2006/04/15 耶斗