魂にも匂ひは有ると申しまして 私達は霊体であります。いわゆる幽霊と申すもので。生きとし生けるものの成れの果てと申しては語弊がありましょうが、いずれ貴方方がとる形に御座います。 さてひとつ、奇異な噺を致しましょう。 えぇ、えぇ、きっとお楽しみいただけると存じます。貴方方肉をお持ちの生者には知りえぬことと存じます故。えぇ、はい。 匂い、が御座いますでしょう。 そう、今も貴方から香ってまいります、焚いた香の香ではなく、貴方が午睡遊ばされた木の花の馨りでもなく、貴方ご自身の、えぇ、体臭でございますね。 汗に混じっていたり、皮膚に染みていたり、様々に御座いますが、貴方方生きたお人なら誰しも醸しておられる”匂い”で御座います。消すことは出来ますまい。誤魔化すことも出来ますまい。例えご自身のお鼻で感じ取れずとも犬どもにはどうあっても知れてしまいますでしょう?私どもともなれば狗めらの比では御座いませんので。えぇ、まぁ鼻で嗅ぐのとはまた違いますけれども。 私たちが生まれるとき、初めに感じるのが匂いなのであります。ふふ、貴方方生者が生まれて初めに覚えるのは光で御座いましょう?しかし私たちに光を知覚する器官は御座いません。あぁいいえ、いいえ、昼と夜の区別はつきますとも。けれどね、これ、目、私たちにも目は御座いますがね、貴方方の目とはまた勝手が違うので御座いますよ。赤外線というのですか?貴方方が”科学”で発明された体温で物体を確認する機械、御座いますでしょう?あれと少し似通った処が御座いまして、私たちの目は生きたものを光と捉えるのです。えぇ、そう、輝きですね、貴方方は天の太陽を直視出来ませんでしょう、私たちは元々見るという感覚が違うわけですから直視するも何もありませんよ。お分かりいただけませんか?ほら、‥ね?私たち、”透けて”おりますから、日の光には溶けるわけであります。まぁ喩えですがね。 それでですね、貴方方は直視できないために色眼鏡を掛けますでしょ、黒い、あれをかけると太陽もご覧になれますよね、輝きは弱くなってしまいますが。黒い視界にひとつぽつんと光が、見えることになるわけでしょう。私達の視界とは概ねそのようなものでしてね、太陽とはつまり生き物なのです。お分かりいただけません?ん、まぁ生きている者は発光しているとでもご理解くださいませ。昼は昼、夜は夜で燐光のように発光しているのであります。昼と夜とを分けるのは感覚に他なりませんよ。なんとなく、ね、分かるのであります。あぁ、今は昼だな、今は夜だな、という風に。この身体自体が空気のようなものですから、昼と夜とではやはり空気も違うものでしょう? そんなわけでですね、私達に光の感覚はないのでありますよ。明度も照度もないのであります。見えるのはただ、弱いか強いかの貴方方の光でありまして。うん?強弱とはつまり、活きがいいかどうかを表すものですよ。霊感しかり精気しかり、生のエネルギーが強いものほど眩しいですね。惹きつける力も違います。 お分かりいただけました?ですから私達は”外”に出て一番初めに手にする感覚は嗅覚なのです。世を構成する要素は匂いなのです。そこに貴方方がいらっしゃらればまた違うでしょうがそんな幸運はまずありません。あっても大変珍しいことです。 ですが匂いは何処にも御座います。そこいらじゅうに充満しているのであります。その中から私達は、一番美味そうな、あ、いや、一番心地の良い匂いを辿って初めの一歩を踏み出すのであります。つまりは誕生ですよ。母の胎内から膣をくぐって外へ出るようにね、私達が存在として確立するための”動”であります。膣から出れば貴方方は光を感じる、私達は匂いを嗅ぎ取る、働く部位が違うだけで外を感じること自体は同じでありますよ。そして我々は本能に従って、えぇはい私達は本能と呼んでおります。だってそれ以外に呼び様が御座いませんでして。殺せぬ渇欲は本能に御座いましょう?本能で御座いますよ。本能に従って我々は匂いの元を探すのであります。何のためにか?それは、ほら、ですから”本能”なのですよ。元を見つければまた、本能に従うまでであります。嗅覚と食欲だけが私たちを形成する凡てであるのです。食欲です。食べるのです。ぺろりとね、丸呑みです。欲です。欲しかありません。それは貴方方も同じはず。欲と血肉の詰まった袋が貴方方ならば、私たちは血肉を失くしただけの純然たる欲のみの存在というわけで、つまりは貴方方より高純度なだけなのです。欲です。頭の天辺から足の爪先まで、私たちを満たしているのは食欲なのです。満ちておきながらそれ自体が空洞なために満たしたいという、ただそれだけの、欲求なのです。 さて、その匂いの元、一体何かと申しますと、もうお分かりでしょう。よくご存知でいらっしゃる。見えるのはぼんやりと揺らめく光、見えるということは見つけなければならないということです。匂いが手段ならば目的は光であります。光とは?貴方方であります。 えぇ、ですからね、食べるのです。甘やかな匂いを醸す、灼き付けるほどに照輝く、光の塊、力ある人間の魂を、ね。 「で?」 漸く容をもって見えてきたそれは少年だった。で?尋ねたのは彼であった。物騒な表情(かお)をしている。眇めた眼は軽蔑するような警戒するような、眉間の影は難詰するような疑うような 「あんたは俺を喰らうのか?」 「喰らうか馬鹿。俺はそんな悪食じゃねえ」 この噺は幽霊の噺であって、つまりは俺も含まれるわけだが、その中でも虚ろなるもの噺なわけで、しかしながら虚ろとは誰しもが抱えるものであって、詰まるところ俺にもそれは潜んでいるわけだ。 「そんで?今日目が覚めてみたら本能とやらが暴走していて気がついたら俺を剥いていた、と。そう云うわけだなお前は」 そうだ、と腹の上に乗って傲岸に胸を張り頷いた銀髪の小さな頭を、橙色の髪した彼は思い切り拳でぶん殴った。 「俺は眠いんだ馬鹿野郎!妙なことで起こすんじゃねえ!!」 下手に霊力が高いと戸締りも意味を為さない輩から夜這いをかけられるという災難な例。 終 人間トチ狂うと口調も変わりまさぁ。(地に頭擦り付けて謝罪しろ) 2006/03/20 耶斗 |