相続人 第二部 6 敷地の中へ入れてもらえないなら座り込みでもする覚悟だった。もっとも、玄関から遠く離れた門前で、見ているものはモニターだけという状況ではこれといった効果も見込めないだろうが、友人の愛車とともに一昼夜でも三日三晩でも居座ってやるつもりだった。だけれども門の前で停車するためにスピードを落とす必要はなかった。門に向かう真っ直ぐな道を残り50M程まで近づいただろうか、予想外の出来事が起きた、門が、車がでてくるでも人が歩いてくるでもないのに開き始めたのだ。丁度、自分の乗るバイクを招き入れるかのように。 ハンドルを握リ締めて一護は一瞬間躊躇したが、好都合だとスピードを上げて直進した。目前で閉まるかもしれないという危惧もあったが、大きく開いた門は腕を広げたままで一護を受け入れた。門を通り抜けたとき妙な感慨を受けた。我が家に帰って来たような錯覚だ。 ロータリーを周って玄関前に停車すれば、そこには既に人が待っていた。最後に見たものよりは若干悪意が抜けたような浦原の顔だった。 ヘルメットを取ってバイクから降りると、ポーチへの階段を上りながら一護は挑戦的に浦原を睨み上げて声を張り上げた。 「冬獅郎に会わせてください!」 冬獅郎に会わせてください、その為に俺は来ました、アンタがまた俺を追い出しても俺は何度だって来ます、あいつに会わなきゃいけないんだ、それが俺の役目だ! 捲くし立てて、浦原の前に立ったとき、一護の息は少しばかり上がっていた。肩で息をしながら一護は浦原を睨みつける。飄々と、一護の勢いをいなすような笑みだ。そして彼は言った。 「おかえりなさい」 ‥‥‥‥は? 思考が止まった。否、もともと昂奮から思考らしい思考はなかったが、一護は勢いを挫かれて呆気にとられた。だからそれがそのまま声になって、それに浦原が同じ言葉を繰り返してもやっぱり理解できなかった。 「は?」 「おかえりなさい」 浦原はニコニコと笑っている。悪意が抜けていると見えたのは若干どころではなかったかもしれない。 彼は、心底、嬉しそうだ。 そのことに一護は逆に空恐ろしさを憶えて異物かなにかと疑うように彼を窺った。 「浦原さん‥?」 「おかえりなさい、黒崎さん。よく帰ってきてくださいましたね」 この男、人外か。 おかえりなさい?よく帰ってきてくださいました?その言葉はまるで俺を待っていたかのようじゃないか。 追い出しておいて? 理解の範疇を超過している。 「アンタどういう‥っ」 意味かと大声を上げかけたとき、開け放たれた扉の前に立つ浦原の後ろに人影が見えた。その髪の色に身体が動いた。浦原の肩越しに覗き込むように重心を移動させた一護は連想した人物を名前を呼ぶ。呼ぼう、と、した。 「とーっ‥‥ぉ?」 獅子の鬣のように広がる白銀の髪、張りのある陶磁のような肌は屋内の陰の中透けるように白く、きりとした眉と一本通った鼻梁に薄い唇、精悍な眼差しでこちらをみつめる両眼をその色を見止めることはできないがきっと翡翠が嵌めこまれている。何故そう思うのか?それは、彼が 「誰だ?そいつは。浦原」 一護の知る少年の特徴と余りに酷似していたからだ。 「あ‥浦原さん‥あいつは‥?」 身長と、体格と、推定年齢を除いて。 浦原は二人の立つ線から降りるように身体の向きを変え、彼らを交互に見やった後一護にだけ聞き取れる声で問いかけた。 「貴方が自らここに帰ってきたということは、相応の覚悟を決めて来られたと理解してよろしいのですね?」 「‥は?」 「どんなことが起ころうと、日番谷さんを護るおつもりでここに来られたんですね?」 浦原は何確かめようとしているのだろう。己から何て言葉を引き出したいと思っているのだろう。 「何があろうと、彼から離れたりはしませんね?」 それでも一護は無意識のうちに頷いていた。浦原の言葉から何かよくないことを嗅ぎ取りつつも確かに一護は覚悟を決めてきたのだ。何をしてでも今立っているこの敷地に戻る決心をしてきたのだ。 「俺は、冬獅郎の側を離れたりしません」 微笑を湛える浦原は頷き、右手を上げて男へ一護を紹介した。 「黒崎一護さんです。お客様ですよ。‥‥‥日番谷さん」 気温が、下がったかと思った。 「ひつ‥がや‥?」 まさか、と一護は力なく首を横に振った。そう呼ばれる人間を己は一人しか知らない。だから、自分が知らないだけで実は他にもいたのかとまるで救いを求めるような目で浦原を見れば、彼は苦笑して 「正真正銘、日番谷さんですよ。日番谷、冬獅郎。あなたの知っている彼の姿ではありませんが、彼は日番谷さんです」 −−−−−何があろうと −−−−−彼から離れたりは 「‥っ、‥っ!!冬獅郎!!?」 己を指差し盛大に叫んだ無礼なる”客人”へ、”日番谷冬獅郎”は不快気に眉を顰めた。 かちゃりかちゃりと微かに陶器の擦れあう音が響いてその部屋の静寂を際立たせる。 リビングのソファに一護は一人座っている。その前に置かれたテーブルへ浦原が茶を運んでいた。久しぶりの、浦原の淹れた茶だった。冬獅郎と一言叫んだ後なにやら意味のとれない言語もどきを喚き立てる混乱した一護と、その様に苛々と浦原を問い詰める冬獅郎とに辟易した様子の浦原がなんとか両者を宥めて、一護をリビングへ押し込んだのである。その際冬獅郎は興味を失っしたようにーー面倒事から解放されて清々したといったが正しいかもしれないーー階段の方へと歩いていった。彼の部屋へ戻ったのだろう。 部屋の空気は重い。茶の準備を終わらせた浦原が一護と向かい合わせの席に座る。カップを見つめていた一護が浦原へ目を上げた。一護が何か言い出す前に浦原は口を開いた。 「お聞きになりたいことは分かります。しかしながら申し訳ないことに私の口から申し上げることは出来かねるのですよ」 「何故?」 「私にその権利がないからです」 この屋敷の先代の葬式の日を思い出す。あの日もこうやって己はこの男と向き合って話をした。話をした、というよりも説明を受けた。曖昧な、漠然とした輪郭を構築するだけの。あの時の浦原の言葉を思い出そうとして一字一句完璧にというのは無理だった。浦原の話から受けた印象ばかりが強烈で感想しか思い出せない。それでも懸命に記憶を掘り下げて一護は反芻する。あの時、浦原は何と言っていた? 「冬獅郎が何者か‥分からないと浦原さん言ってましたね」 カップの円に揺れる紅茶の表面を見つめながら一護は思い出した過去の浦原が云った言葉を紡ぎなおす。 「‥えぇ」 「年齢も出生も、全て、謎だと‥」 「えぇ」 「でもアンタはあいつの変化に驚いていない。まるで見越していたみたいに、今のあいつを受け入れている」 「はい」 「アンタ、知ってたな」 睨めつける眼差しも浦原は易くかわしてみせる。今回も煙に巻こうと口八丁手八丁仕掛けてくるだろうか。否、それはないと一護は確信している。 いくらなんでも状況がそれを許さない。いい加減な嘘は通用しない。たとえささやかでもこの場には真実が必要だった。 「知っていましたよ」 男の声は静かだ。ただ常にその顔を形成している笑みだけが色合いを異ならせている。一護に真摯に向き合っている。黄金めいた瞳に嘘はなく、一護は浦原を、浦原の言葉を信じようと思った。 「訊きたいことはたくさんあるんだ」 「はい」 「だけど全部は訊かない。聞くだけ混乱しそうで、俺は理解する自信がない」 「はい」 「だからひとつだけ訊く」 「はい」 「だからアンタも本当のことを教えてくれ」 浦原の蜜色の瞳が探るように一護の瞳をみつめる。どんな質問が飛び出すのか、予測しようとしているようだ。一護は見つめてくる目を負けじと見つめ返し、浦原の答えを待った。真実を教えてくれと願う己に真正面から向き合ってくれる答えを待った。 やがて浦原は答えた。一護の質問を先読みしたかどうかは知らないが、彼は正直に答えるつもりのようだった。 「はい」 そう答えた浦原に僅かの間しか挟まず一護は問うた。確かめた。 「あいつは、冬獅郎なんだな?」 「はい」 それだけ確かめられればいいとばかりに立ち上がった一護は、彼に当てられた部屋がまだそのままあることを確信していて、浦原にひとまず部屋に戻りますと告げた。浦原は頷き、お帰りになる貴方のために清潔に保っておりますよと答えた。それから、バイクはこちらでガレージへ移動させておきましたと言った。相変わらず手際のいいことだと一護は少しだけ呆れた。 立ち去るときになって紅茶に一口も手をつけていないことを思い出した。振り返った一護に浦原が軽く瞠目すれば、一護はカップをとり、一息に呷った。飲み干して顔を元の位置に戻したとき見えた浦原の呆れたような笑顔にごちそうさまと下手くそに笑って今度こそ立ち去った。彼の部屋へである。 一護が深くを追究しなかったのは浦原を疑ったためではない。掴みどころのない彼の行動のいちいちを明快に理解できるとは思えなかったからだ。だから彼は自らの目で見ることだけを信じようと決めた。先ほど会った人物が冬獅郎だというのなら(信じ難いことだが)信じよう。この際現実問題などどうでもいい。 俺は、離れないと決めたのだ。 恋次に喝を入れられて自分も取り戻した。もう自信を失うことなんてしない。堅く、心に決めたのだから。 もう冬獅郎の側から離れない、と。 3階への階段を上りながら一護は肝心の一事を問わなかったことに気付いた。一護のアパートを滅茶苦茶にしてくれた人間のことである。 まぁいい、とけれど一護は首をふった。今度はちゃんと鍵も閉めてきたし夕食のときにでもまた訊けばいい。それで正体が浦原の知り合いなら遠慮なく落とし前をつけさせてもらおう。一護は確かに本来の逞しさを取り戻していた。 NEXT |