相続人 第二部 15 一年前には黒一色だったそこが、この日は様々の色で飾られた。 披露パーティーの夜、玄関ホールへ新たに現れた人物に一護は軽い驚きを覚えた。 「あなた方は‥」 「京楽春水」 「浮竹十四郎だ。よろしく」 深い色のスーツを着こみながらも生来の派手さを隠しきれていないイタリア系の顔立ちをした、項の上で一つにまとめた波打つ長い髪を肩に流す男と若いながら見事に真白な細い髪を同じく首の辺りで緩く結わっている男が微笑みながら挨拶した。 先代の葬式の折集まった親族のうちの二人である。 黒髪の方の男が右手を差し出しながら言った。 「お招きどーも。僕等共同で会社を経営してまして、いわば社長と副社長。同伴が男で悪いね」 「いいえ、来ていただけて嬉しいです。今、冬獅郎も‥」 と、後方で別の客の相手をしているだろう冬獅郎を探そうとすればタイミングよく彼が現れた。 「今晩は、ミスター京楽、ミスター浮竹。お越しいただけて光栄です」 「こちらこそ、当主自ら迎えていただけるとは恐縮ですよ」 今度は浮竹が応えた。京楽も一護と手を離し浮竹の隣に並ぶと心持ち居住まいを正した。 「ご就任おめでとうございます。ますますのご発展をお祈り申し上げます」 「ありがとうございます。とはいっても発表はまだですので正式には平同然なのですが」 言葉を贈った京楽が悪戯っぽく片眉をあげた。それを合図のように浮竹の表情からも堅さが和らげば3人の空気は取引先の人間から仕事仲間、親しい人間同士のものへと変わった。 「いや、君今まで何処に行ってたんだい?僕等に連絡のひとつも寄こさないなんて随分薄情じゃないか。もしかして土壇場で後継者から外されたのかと思っていたよ」 「悪かったな。こっそり経営の手腕を磨いていたんだ。まだまだだといわれて」 「ふふ、それはあの人も手厳しいな。君ほどの男なら即戦力だと思っていたが、一体何処で勉強を?いきなりトップに立つんだものな」 昔からの親友さながらに会話する年の離れた二人と一人を見ながら一護は軽く混乱していた。まるで今夜初めて、再会を果たしたとでもいうような彼らのこの様子は!? 「あ‥あの‥」 挨拶から経営の話へとシフトしていた中へ遠慮がちに割り込めば、3人が3人とも同じような顔をして一護を振り返った。それに少なからず気圧されながら 「あんたらは‥葬儀の日‥」 幼い姿をした冬獅郎に会わなかったのか、とそれを問いたかったのだけれど、それを口にすることは憚られた。何を言っていると一笑に付される気がしたからだ。そうしてそれは口に出さなくて正解だった。 「あぁ、会ったね。僕君の近くに座ってたんだけど、忘れちゃった?」 至極当然のような顔でそういうものだからより呆気にとられて混乱する。 「あの日遺言状の発表があったんだよな。冬獅郎が当主の座に就くと同時に君を一族に加えると」 「は‥あ?」 「そのための勉強で一年、後継の儀を遅らせたんだろう?君を一族に相応しい人間に育てるために」 「冬獅郎君がみつけた人材だっていわれて驚いたものさ。仕事でいけない冬獅郎君の代理で葬儀へ参列したんだというんだからまた驚いた」 「しかしお祖父さまの葬儀へ現れないなんて、それほどの仕事だったのか?」 最後の言葉は咎めるように冬獅郎へ目を細めた浮竹の言葉だった。それに冬獅郎は申し訳なさそうに苦笑いして軽く肩を竦めた。 京楽が不思議そうな顔をする。彼は表情が豊かだ。しかしひょうきんに見えるその皮は経営者としての強かさで出来ているだろう。常に瞳の奥では計算しているような深みがある。それは傍らに立つ浮竹には窺えないものだ。浮竹は自然と人望を集める人間のように思われた。その瞳には嘘がなく、真っ直ぐな姿勢には人を信頼させる何かがある。京楽も真っ直ぐに立ってはいるのだが、どことなく緩い雰囲気を否めない。成程、共同経営者としてバランスが取れている。 その2人に見つめられて、彼らの言葉が理解できない一護は戸惑う。自分の記憶と全く違っている。何事が起こったのか説明を求めて冬獅郎の顔を見上げたが彼は笑って頷いただけで、とりあえず中へ入ろうと二人を促したのだった。 京楽と浮竹を見送った後で次々と続く客人たちへ笑顔を向けながら一護は冬獅郎の脇腹を小突いた。 「どういうことだよ」 小声で問詰める。そうすれば冬獅郎もわずか一護の耳へ口を寄せて囁き返した。 「知らん。そう言っておけと浦原に云われた。あいつが何か手を回したんだろう。どうやったかは知らねぇが、あいつらの目を見る限りじゃどうやら現実としてあっちの情報が正しいことになっている。深くは考えるな」 あいつのことだから、と発表の準備をしているだろう浦原をさしてそう答えた。 「それもだけど、俺のっ、何!?一族?に加えるとかなんとか!」 「それは俺も分からん。が、言葉の通りとればお前がこの家の人間になるということだろう。とは言ってもこの国の人間になれってんじゃねぇし日本に帰るのは自由だ。何処にいてもお前はこの家と関係のある人間になるってだけだからな。といっても、俺も実は初耳だ」 最後を付け足すように言った冬獅郎はこの事実に彼自身驚いていることを教えた。 本当に、浦原という男は何者なのだろう。付き合うだけ謎が深まっていくばかりの男は人間であるのかどうかさえ疑わしく思えてしまう。そこへ件の彼の声がかかった。冬獅郎の耳の後ろにつけたイヤホンからだ。 『日番谷さん、そろそろお時間ですよん』 至極楽しそうな男の声。それは極間近に立っている一護にも届き、思わず吹き出してしまう。 「行って来い、冬獅郎」 「あぁ。”相続”だ」 その言葉を口にするとき彼の声は神妙なものとなり、寸時一護の目を見つめた。それから一護がそれを問う前に踵を返しホールに向かいかけて一度、冬獅郎は半身を返した。なんだという視線を返す一護に彼は聞いておかなくてはいけないことを聞いていなかったと言った。 「なにをだよ?」 「さっきのことだ」 さっき?直ぐには思い至らず小首を傾げた一護に彼は正面に向き合い直して、その声、痺れるような甘い声で(それは二人きりのときだけ聞かせる特別な声だ) 「お前がこの家の人間になるかどうかを強制するつもりはない。が、できることならずっと俺と共にいてほしい。望めるか?」 それは、お前、愚問だろう 「バーカ、言っただろ。忘れんなよ」 相好を崩して一護は冬獅郎の肩を拳で小突く。その答をお前はとうに知っているはずだと。 あの日、門の前で、俺はお前に抱きしめられながら、お前を抱きしめながら言ったのだ。誓ったのだ。 「お前を置いて、何処かへ行ったりなんてしねー」 それはずっと一緒にいると、そういうことだろう? 照れ笑いに肩を竦め、一護は冬獅郎の体を反転させてその背を押し出す。冬獅郎のイヤホンからは浦原の声が聞こえてくる。何を言っているかは聞き取れないが、おそらくは急かしているのだろう。だから 「おら!さっさと行けよ当主様」 全てを、引継ぎに。 肩越しに振り返ったその男の顔は、これから壇上に上がりスピーチするには少しばかり人並みすぎたが、それもあの場所に立ってしまえば引き締まるのだろう。トップに立つ者の強かさと柔軟さでもって。 各界の代表者が集うホールで冬獅郎は遂に全てを引き継ぐのだ。そうして新たに黒崎一護という人間を手に入れて。 「浦原殿」 テッサイが玄関ホールを見下ろす踊り場で手すりに凭れて階下を眺めている背中に声をかけた。浦原は振り返ることなく、しかし楽しげな背中にテッサイは彼が心底喜んでいることを知る。冬獅郎のスピーチが終り、客達が各々交流を深めている賑やかさが照明の明るさとオーケストラの音楽の中で踊っている。冬獅郎もその中でこれから付き合っていく人間たちを選別しているだろう。一護は‥、早速友人になった者たちと談笑か。 「滞りなく終りましたな」 コックの制服にその筋骨は隠しきれずはちきれんばかりにしている。彼とすれ違った人々はまずその体格からガードマンだと思うが、次には彼の身を包む制服がコック服であることに驚く。一階よりも照度の落ちる踊り場に佇むのは浦原とテッサイの二人だけである。 「終わりましたねぇ。もっとも、パーティーが終わるまでは何が起こるか分かりませんが。」 終わりましたねぇ、と彼は満足そうに息を吐き出した。 「これからどうなさるおつもりで?」 テッサイの問いにうーん、と考えるように浦原は唸ったが、それがポーズであることを長い付き合いのテッサイは知っている。浦原は人から質問を受けるとき、それよりも早くに既に答を用意している男だ。 「結構、長い間ここにはいましたねぇ」 彼は今思い出しているのだろう。久しぶりに会えた気持の良い友人の影を。 「随分長い間、いました‥」 死に際友人が彼に言った言葉を彼はその時の空気、昼の明度、男の吐き出した息の回数まで全て欠けることなく憶えている。ふらふらと根無し草のように落ち着くことをしらない浦原を引きとめた唯一の人間。彼を浦原はそれはそれは大切にしていた。 『お前、私が死んだらどうするつもりだ?』 そうだ、あの時も彼は今テッサイが問うたことと同じ内容を問うた。これからはどうするつもりなのか、と。ここを離れてまた気の向くままに生きるのか、と。 『貴方がいなくなってしまったら、私をここに留まらせる魅力は無くなってしまいますからねぇ』 やはり、出て行くのでしょう。浦原は感慨も寂寥もなく、まるで何でもないことのように応えた。そうか、と老人は微笑して深く深く息を吐く。その呼吸の仕方を見るたびに聞くたびに、これが最後の息なのではないかと緊張するのを浦原は感じていた。この老人を失うことに寂しさを覚えている、とこれまでになかった感情に少なからず彼は戸惑っていた。 社会から隠れて生きているような浦原を面白いからという理由で男は拾った。拾ったというよりもスカウトした。お前とならこの先いくらとも知れない人生、面白いものがみれそうだと、それだけの理由で誘った。特に見返りを期待するでもなく、男と同じように自分の興がそそるまま動く浦原もまた、この男といると退屈はしなさそうだと誘いを受諾した。浦原は退屈を厭う男だった。 『貴方以上に私を楽しませてくれる方がこの先現れるか知れませんし、なんなら一緒に死んで差し上げましょうか』 からからと笑って浦原は言ったのだ。別段男を失ってのち訪れる退屈を恐れてではなかった。死を特別なことと考えていなかったためもある。そこに貴方がいくのならお伴して差し上げても構いませんよ、となんら変わることの無い日常の延長があるように浦原は笑ったのだ。死とは夢のようなものなのだ。 『ふ、ふ。それは儂がつまらないな』 咳だか笑声だか、判別つきにくく彼は笑って、また深く息を吐く。ひゅうと乾いた音が混ざるのに浦原は眉を微か顰める。あぁ、長くは無いなと、もしかすると次の言葉を言い終えて息を引き取るのではないのかと思った。 『退屈が嫌いなお前に、ひとつ、贈り物を残していこう。儂からお前へのとっておきのゲームだ』 くつくつと笑う彼は真実楽しそうだ。今度はそいつを相手に人生を楽しめと彼は言った。老人の言い様に興をそそられるものがあり、浦原は問うた。 『そいつとは?』 『ふふ、直に‥会う』 儂の葬式の日にでもな。 生を全うした人間にとって死はなんら恐れるものではないのだと浦原は思った。自分とは違う思想で彼は死を理解している。老人は自分が地上を離れるその瞬間さえ既に心得ているかのような穏やかな顔で浦原に微笑みかけている。と、その瞳に憂いが滲むのを認めた。 『そいつに儂は恨まれて当然のことをした。それを今になって儂は後悔している‥今までこんな想いを抱いたことなどなかったというのに。死を目前にして儂もようやく人並みになれたということかな‥』 これを、と男はベッドサイドに置かれている棚の引き出しへ手を伸ばそうとしたが届かぬうちに力なくその腕は落ちた。そのまま彼が開けようとした引き出しを指差すから浦原はそこを開けた。鍵が、入っていた。 『プレゼントの箱を開ける鍵だ‥』 皺だらけの顔が向きを変えたために陽に照らされる。浦原は窓を背に立ち、今まで老人は陰の中に横たわっていた。白い髭と白い顔、陽に少しばかり明るく見えるが死に際の人間の皮膚だ。それまで彼に満ち満ちていた精力はことここにきて全て抜け去ってしまったかのようだった。 『儂が死んだ後で、開けろ‥』 お前ならそこにあるもので全て理解するだろうと、信頼の証のように老人は言った。それから彼は枕の上の頭を元の位置に戻して、宙を眺めた。そこに彼が後悔の何かを見つめているのだと浦原は分かった。 『ひとつ‥もし、あの子が人に戻ったとき、その故を問うたときにはこう、答えてくれないか‥』 ”あの子”も”その”故も何のことだか知らなかったが、記憶に留めておけばやがて贈られるという箱の中身で知ることが出来るだろうと浦原は頷いた。 『えぇ、なんでしょう』 『血が途絶えることよりも、家が廃れることよりも、儂はお前を失うことを恐れたのだ。あの時示せなかった愛を儂は後悔していると』 それが何かを知らぬまま儂はお前を作り直した。それが何かを知らぬまま儂はお前を探した。それが何かを知らぬまま儂は娘を放っておいた。それが何かを知らぬまま儂は娘を追い出した。 全ては愛の一言に収束するものだったのに。 『愛しているのだと、お前も‥母さんも‥』 弱弱しくなっていく声に浦原は思わず身を乗り出して老人を名を呼んだが、老人はその目に浦原を映すことなく宙の虚ろを見つめている。その虚ろを引き込むように暗くなっていく目はやがてゆっくりと目蓋を下ろしていき、最後浦原が再びその名を呼ぶと同時にぴったりと閉じ合わせた。薄く開いた口から細く、最後の息が吐き出された。 医師の診断で老人の死が正式なものとなった次の日、浦原宛に荷物が届いた。金庫だった。両手に抱える程度のその鍵は老人が浦原へ渡したものだった。短い手紙と、計画に必要なだけの資料、それは一人の半生と甦って後の彼の状況報告書。そして一人の青年の写真と簡単なプロフィールだった。写真の人物は地毛かと疑うほどに鮮やかな橙色の髪を持っていた。そうして直ぐに浦原はその人物を迎えに行かせたのだ。結果として誘拐紛いの荒々しい方法になってしまったが。 回想から立ち返って浦原はテッサイに振り返った。ゲストたちの声を背中に彼は手すりへ凭れる。 「終りは始まりと申しますし。もう暫くここに滞在しましょうか。日番谷さんも黒崎さんも面白い人間のようですしね」 彼らのいるだろう方向へちらりと目線をくれて浦原は笑う。 「は、そうですか。それならば新しく雇い入れる予定だった者たちの履歴書はもういりませんな」 「そうですね」 ゲーム(観察)を続けましょ。そうしてついでに彼の遺言(言葉)も教えて差し上げましょう。底意地の悪い笑みを浦原は零し、それを見咎めたテッサイはそれでも見ぬ振りをして前を向いた。今更のことだったからである。己が注進したところで浦原はなんら聞き入れることはない。仕様のない方だと、テッサイはこっそり溜息を落とし、浦原が身体を起こせばパーティーへの給仕のために二人は並んでその場を後にした。 さよならの前に |