愛惜(愛蹟)






男の自慢は未だかつて背中に傷を負ったことがないことである。
男の不満は、今もって背中に一筋の爪痕もつかないことである。


朝が来て寝巻きの帯を解く男は、背を滑り降りる麻の感触がただ心地よいだけのことに少しばかりの不満を覚える。
傍らには昨夜も抱き合った恋人の寝息。橙色の髪の少年は我儘を言わない代わりに我儘を言わせてくれない。
友人と恋人の違いは何かと真剣に頭を悩ませる年若い恋人は可愛いさ余って小憎らしいことも度々。

逢いたいなら逢いたいと言えばいい、
側にいたいなら側にいたいと言えばいい、
離したくないなら離さなければいい、のに

久しぶりの逢瀬の夜、明日の朝は会議があると予め断った男に少年は寂しそうな目をしながら物分りよく頷いた。


会議があるなど出任せだ。


少年の短い髪に指を差し入れる。方々にはねる元気の良いそれらは見た目に反して柔らかい。太陽の色をしているから、陽の光を織り込んだように柔らかいのだろうと思念が浮かぶのは寝起きの醒めない思考の所為だろう。障子を透かして部屋を染める青白い夜明けの影の中、二度寝には最適な温もりが少年の隣にはある。
行儀よく肩まで羽織った布団の中で少年の手は開かれているだろうか、握られているだろうか。握られているのなら掌は、爪の感触を味わっているのだろうか。

背中の皮を掠めることさえしない少年の爪がいじらしくも憎らしい。

泣き出すほどに追い詰めるのに、少年は爪立てようとする度握り込む。冬獅郎の背が覚えるのは揺れた指の腹が滑る感触か、握られた拳に浮き出る指の硬い骨の感触かだ。
それを知るほど背中の皮が疼くということを少年は知っているのだろうか。

男の自慢は未だかつて背中に傷を負ったことがないことである。

打たれたことも斬られたこともない背中の皮が、味わったことの無い痛みと痒みを求めて疼くのだ。
「もっと俺を欲しがれよ…。一護」
遠慮と打算を疑えるほど、お前の爪を焦がれさす。










('09/06/09  耶斗)