空を祝いながら逝った君よ。 仰いだ空は雨が流した蒼だった。透けるような薄い雲は静止して、微風が頬を慰める。翡翠の眼は蒼と混じり、彼方を求め凝眸する。白銀の髪は柔らかく風に揺られることを許していたが、男の表情は頑なだった。 日の、昇りきらぬ時刻であればこそ、真昼の暑さを思い描いて 「雨が降るかな‥」 ややばかり緩めた眉間で呟いたそれを、何時の間にやら立っていた背後の人物が受け取った。 『降ったばっかだろ』 笑いを含んだ声は彼の胸に心地よく、天から目を放した彼は伏せた視界に緑をみた。振り返らないのは、振り返りたくないからだ。あるはずのない色は、ただ悲しいだけだ。 鮮やかな橙色は日の光さえ撥ね返し、真の色を主張するだろう。 「降ったばっかりでしょ隊長」 手で笠を作りながら蒼天をみやった彼女は、平静に少しばかりの悪戯気を混ぜて笑っている。腰まで流れる長い髪は、緩く波打つ金色だ。 重ならぬ色。似ても似つかぬ彩。 ただ、笑うその声の調子が 「暑くなりそうだからな。にわか雨が来るかもしれねぇ。で?なんだ、松本」 男の声はその心中とは裏腹に普段通りの音であった。今眼前に見るものが褪せた過去の記憶だとして、それを悟らせることを彼はしない。 云いたいことは分かっている、と知らせるような声音に彼女は肩を竦めて軽く吐息すると、その灰色味をみせる青の瞳に己の上司の背中を映し、痛々しげに背に負った文字を見た。 「そろそろ職務に戻っていただきませんと。机の上に書類が溜まってますよ」 十の字を負う背中は今少しばかり小さすぎて見える。跳ね除けてきた重責はこのときになって確実に彼へ重圧を与えているのだろう。 しかし休息を彼は拒んだ。 「分かってる。直ぐに戻る」 だから先に戻れと拒否する背中を、乱菊は咎めもしないし祝いもしない。一礼して後、己の隊舎へ戻るだけだ。 歩を進めるだけ空いていく距離を背中で計りながら、乱菊は諦めにも呆れにも似た溜息を一つ落とした。 空ばかり。空ばかりを見る上司は、そこには決して現れはしないすぎるほどに鮮やかな、不自然の彩を見出そうと目を凝らす。 無駄なことだ、愚かなことだ、哀しいことだ、なのに何故 己もまたそれに従いたいと、そうしてそれを許さぬ男の理不尽さだけは詰りたい。 きりと形の良い唇を噛みながら、乱菊は別れの丘から戻るべき隊舎の屋根を睨みつけた。 空を祝いながら逝った君よ 見えているか聞こえているか笑っているか 俺は空を呪いながら逝くだろう。 2005/09/07 日記 2006/04/19 掲載 耶斗 |