指切り






いつだったか、約束をしたね。小指を絡ませ、上下に振って、二人きり、約束をしたね。

「お前のためになら死ねるよ」
「お前のために死ぬよ」

心中しようといった男を一護は拒まなかった。男には倦怠も疲労も希望もなかったけれど、死のうと願う意志だけは確固たるものとして抱いているようだった。
死のうか、一護は応えて男の左手を取った。肩からぶら下がる骨ばった手を取った。筋は硬く、血の管が浮き出た成人した男の腕が黒い着物の下から覗いていた。

二人一緒なら怖くないなと笑った
二人一緒だから怖くないんだとはにかんだ

安堵したのだか足裏が地面に沈んだかのように動かない男の腕を一護は引いた。見上げた男の目尻は笑んで鋭い眼差しを和らげ、口角は浮いて酷薄な唇を温かく見せた。深遠な翡翠は変わらず男の眼の中心にあり、一護を映していた。
「行こうか」
一護が息を吐くように誘い
「行こう」
男が喉奥に響くような重厚な声で囁いた。
「何処に行こうか」
一護が男から足の向く方へと目を転じて問えば
「二人きりの場所がいいな」
男が夢見るように答え
「川がいいかな。沼がいいかな」
「湖もいいな。霧が立ち込めて、光も射さない暗い森で」
「山はどうかな。縄を持っていって二人で首を吊る?」
「崖から身を投げるのもいいな。二人で抱き合ったまま谷底まで」
「死んだ後の身体を、他の奴に触られるのは厭だなぁ」
「鳥も獣も居ない場所へ行こう。二人静かに朽ちていこう」
「刺し違えるという手もあるな。俺がお前を、お前が俺を」
「最期くらいは血に濡れずに眠りたいな」
「お前を感じながら死にたいな」
「片時も放したくはないな」
「冬獅郎‥」
く、と後ろに引かれた腕に男は足を止め振り返った。立ち止まった一護は俯いて、手を握る強さは変わらなかった。合わせた掌の温度も変わらない。ただ、重ねた証しのようにしっとりと汗を掻いていた。
「一護‥」
慈しむように男は目を細め、繋いだ手に少しだけ力を込めて空いている右手で一護の耳の上の髪を梳いた。橙色の短い髪はさらさらと指を擽った。
「怖いか‥?」
「怖くはない‥」
怖くはないよと一護は、思い遣る男の声に首を振った。怖くはないんだと繰り返して、より強く手を繋いだ。
「好きだよ‥」
呟いた一護の声に男は身じろぎもせず、一護もまた呆けたように己の足先を見詰めて静止画のように動かない。風さえも息を殺して二人を注視しているようだった。

お前のためになら死ねるよ
指切りで誓った永遠の約束を忘れたことなどないよ

「好きだ‥」
お前の皮膚、お前の肉、お前の血、お前の熱、お前の声、お前の指、お前の唇
お前の舌、お前の歯、お前の爪
髪の先まで
心の有様、生き様、血を流して訴える魂の慟哭も
肉の悲しみも、眼差しの哀愁も、舌先の畏れも
情火に焦がす指先も
俺を想うお前の凡てが
「好きだよ‥」
失われるのだと思うと、少しばかり寂しいだけで
「一護‥」
目を眇めて男は何を云おうとしているだろう。無理をしなくていいと宥めようとしているだろうか。そんなことは本当に必要ないのだと、伝えたくて一護は首を振る。緩く、億劫そうに、ゆっくりと横に振る。
「好きだよ‥」
さぁ、行こう、と一護が隠す畏怖を見透かす緑の目を見れないから、砂煙にけぶる道の先を見詰めて強張ろうとする膝を押し出した。










('07/09/15  耶斗)