06.想 この部屋へ入るのは何度目だろう。もしかすると初めてなのかもしれない。奇妙なデジャブと見慣れた校長の顔に感覚が騙されているのだろうか。 呼ばれた理由は察しがついている。ついているからこそセブルスは哂いそうになる口元を押さえるのに必死なのだ。 昼下がりの太陽が物憂げに光を差し込ませる室内は深閑とし、そこにある珍しい器具類はただ無機質に一定の動作を繰り返している。洒脱な額に飾られた歴代の校長たちもこの静けさを壊さぬよう気を使っているのかと思えるほど大人しく眠っている。 けれどそんな沈黙も息苦しいものではなく、むしろ日の翳る屋根裏でひとり窓辺に座って気に入りの本でも開いているような、秘密めいた高揚さえ身のうちに感じている。 重厚な机に肘を突き、未だ煮え切らない表情の老人を眺めて思う。 はっきり云えばいい。遠慮なく。貴方にはそれだけの権利がある。 「セブルス・スネイプ‥」 重々しく、彼の気分を顕すように重苦しく、けれど静かに、ともすればその中に慈愛さえ垣間見えそうな人格者の声が床に蟠る空気を揺らめかせた。 ヴォルデモートの脅威はもはや明白にこの地を恐怖で覆いつくした。戦うものたちは集い、刃を磨ぎ闇の動向を窺っている。より確かに、より迅速にそれを知るための手段は当然求められていた。 「セブルス」 叫んだ声がようやく届く位置にいたスネイプは、公然と己の名を呼ぶという行為とは無縁かと思われていた人物の声に内心驚きながらも平素な顔で振り向いた。 見れば、丁度柱の影からその人物が現れたところで、中庭に立つスネイプへ走りよろうとするところだった。 脇に挟んだ幾冊かの(厚くも無いが薄いとも云えない大判の)本を落さないようもう一方の手でも押さえながら白い息を吐き出している男は名をリーマス・ルーピンといったはずだ。良く知っている。そうだ、良く‥。 けれどスネイプは今しがたその存在を忘れようと努めていたところだった。 「何の用だリーマス・ルーピン」 「‥やけに他人行儀な言い回しをするんだね。まぁ他人には違いないのだろうけど。」 そういって苦笑した男には多分に自嘲的な被虐精神が窺えてスネイプは口もゆがめず舌打ちした。 「それで、何の用だルーピン。用があるなら手短に頼むぞ。」 言い換えたのは多少の呵責からだ。せめて今だけはいいだろうという己への甘さかもしれないそれは心中彼を責めたけれど、目の前の男が傷ついた色を瞳に浮かべるのをみるよりましだと、スネイプはさっさと己を責めているであろう妙な義務感を払い除けた。 「あ、うん‥その、別に、これといって用があったわけじゃないんだけど‥」 気まずそうに、気恥ずかしそうに彼は視線を地に落としていいよどむ。常のスネイプなら、いや他の者と対峙するスネイプならばその時点でなんの迷いも無くローブを翻しただろう。けれど、彼自身後になって首を捻るほどに、その場では全く自然にその先を待ってしまうのは逡巡する男の貌が他ならぬあの悪童たちの親友だからか、単純に、己を友といって憚らない、リーマス・ルーピンだからなのか。スネイプは考え、しかしどちらの想像も退ける。違うのだ。理由など無い。なんの因果か知らないが、視線が身体を支配するというその奇妙な現象が今身のうちに起こっているだけなのだ。 黙ったままのスネイプに、苛立っていると思ったのかルーピンは焦りを深くして顔をあげた。そして観念したように、子供が母親に悪戯の告白をするように、所在無げに云ったのだ。 「君の姿があったから‥」 目の前を通り過ぎたから、つい追いかけてしまったのだと彼は云った。 その答えは余りに意外で、才子であるスネイプでも予測していなかった答えで、一瞬間彼の思考する能力を奪った。 「‥それだけか?」 「う‥うん‥ごめん‥」 ようやく搾り出した声は、スネイプが思うほど必死さに掠れてはおらず、むしろ何事も無かったかのような平素さで、滑らかに滑りでた。 それが余計にルーピンを追い詰める因子となったのか、卑屈なほど縮こまってしまったルーピンにスネイプは片手を差し出し、それを不思議そうにみやるルーピンに云った。 「重いのだろう。手伝ってやる。」 貸せ、と自分も教材を一抱え持っていてなんでもないようにルーピンを促す。それを知っているルーピンは当然迷って断ろうと口を開こうとしたが、その前にスネイプが言葉を被せた。 「どうせ我輩も図書室にいこうとしていたところだ。 ‥調べものがあってな。」 ちらりと覗き見たセブルスの教科書の色は、彼が得意とする教科のもので。何をいまさら調べるものがあるのだろうと思ったけれど、ルーピンは彼の好意に素直に甘えることにした。 遠慮がちに差し出される、おそらく軽いものをと思ったのだろう選ぶように抜き取られた数冊を受け取りながら、ルーピンの薄っすらと染まった頬をみたスネイプは膨らむ胸中にひっそりと溜息を吐いた。 危険だな、と。満足を覚える胸とは正反対に警鐘をならす頭は過ぎるほどに冷静だ。分離したもう一人の自分を見つめているかのような感覚で、(宙に浮いているほうの)セブルスは嗤った。 「命を、あずけてくれるか?」 完結にまとめられた話を、英物はその言葉で結んだ。 セブルスは嗤う。声にも顔にもださず、嗤う。 その問いかけは間違っている。返す言葉はひとつなのだから。 「命をささげますよ。プレジデント・ダンブルドア。」 闇工作は己の性にあっている。むしろあちらに引き込まれない用心が必要なくらいには、己は闇に近いのだ。 「命をかける同胞に、私も命で応えます。」 情報はいかな武器よりも有効だ。 2005.Winter 耶斗 |