07.毒 最後の冬休み、例年通りホグワーツ居残り組みのルーピンは一人植物園の扉を開けた。 むんとする熱気がまずルーピンの顔へ吹きかけ、そうして体全体を包まれるとともに彼は扉を閉じる。外を透かす壁の向こうで雲に霞む太陽は遠く、直視しても和らいだ光は彼の瞳を痛めることはない。存分に陽光を集める教壇の置かれた中心へルーピンはゆったりと歩み寄った。 外の空気がすいたくて外に出たはいいが、雪の積もる庭は完全防寒した彼を長く留まらせるほどの魅力を持ってはいなかった。寒がりなのだ。単純に。 それでも暖炉の焔に暖められた部屋に戻る気も起きなかった彼は暫く城に沿って歩いた後、目に留まった温室へ導かれるように足を向けたのはごく自然な成り行きだったといえる。 教壇の正面の席、長い歳月で貫禄さへみせる古机を撫ぜて顔を仰のかせる。降り注ぐ弱い光線が肌をなぶるのを楽しむように目を閉じて、彼はうっすら笑った。 「ここは暖かいね。空気がこもっているのがやや難だけど。」 「そんな輩がいるから鍵はつけられているのだがな。」 応えた主は今しがたルーピンの入ってきた扉に凭れて腕を組んでいた。 音も何も前触れとなるものはなかった。まるで影の如く、そこにあるのが当然だとでも言うかのように男はいつもルーピンの領域に侵入している。 ルーピンが声をかけなければいつまでもそこ、背の高い植物や棚やらでつくられた影の中に佇んで一言だって発さなかっただろう男はルーピンを見つめたまま足を踏み出し扉から背を離した。 「あってないような鍵は鍵といえないよ。」 「あいつらの言いそうな台詞だな。とうとうお前も毒されたか?」 「随分前から僕も彼らと同種の人間さ。」 日光浴を楽しんだまま、ルーピンは男へ顔を向けようとはしない。そうすることに何の抵抗も感じないほどには心安い相手であると示すように。 鳥も鳴かない長寛の中で、男の床を踏む音は高く、ゆっくりともったいぶるように近づくそれを迎えるうちにルーピンの笑みは緩やかに深くなった。そうしてようやく足音がやんだ頃、ルーピンも顔をおろし男へ微笑んだ。 「そう云う君だって同じ罪を犯してる。」 その貌は、共犯を見つけた嬉しさを表しているようだ。 「我輩は犯人を捕まえにきただけだ。備品のひとつでも壊してくれれば捕まえがいもあるのだがな。」 「君こそ大概毒されてるじゃないか」 くすくすと可笑しそうに笑って、机を回ったルーピンは足の長い椅子に身体を滑らせるようにして腰掛けた。それを見送ったスネイプは丁度背中を向ける位置まで進み出て、先ほどのルーピンに倣うように陽光に喉をさらした。 嘘のように穏やかだ、と思う。高だか薄い壁一枚、数メートル四方で囲まれただけの空間は外の世界と完全に隔絶されたように平和だ。重厚な壁に守られた城の中よりも、守りも薄い、実に弱弱しい温室のほうが安らげるとはどのような心理なのだろうか。それとも守りも弱いだけ平和を感じさせるためだろうか。 実際には、まだ危機感が足りないだけなのかもしれないが。 「ここは‥静かだな‥」 仰のいた姿勢のままもらした声はわずか擦れ、憧憬を思うようにその目は細められている。外の世界と相まって、非日常的にすら思う。身を凍らすだけの氷の粒から開放された自然光の溜まるこの園は、まるで息吹く春だ。眠りを誘い、そしてそのまま目覚めることを厭わせる母の腕のようだ。 もっとも、安らげる母親などもったことはないけれど―― 黒のローブが温まり、その熱をスネイプの背に伝えだした頃、彼は天上から視線をはずし、偏った血が流れ落ちるのにずれる重心を支えて振り返ればルーピンもまた穏やかな表情をして中空を眺めていた。 「7年というのは案外短いものだね。トラブルメーカーな二人の側にいたおかげか時の流れも以前より倍早かったように感じるよ。 ‥寂しくなるな‥。」 最後にぽつりと、ほとんど人に聞こえさすまいとするかのように呟いた一言こそ彼の本音だったのだろうとスネイプは後になって考える。 この時はただ、喧噪から逃れたのちにくる静寂に過去の享楽を懐かしむ意味だったとしか思わなかった。 「ねぇ、セブルス?」 声音は相変わらず優しげなまま、どこか緊張したように己を呼んだ青年の陶磁のような貌をみつめたままで、スネイプは続きを予測したはいなかった。 「君は少し‥闇の知識をつけすぎなのではないかな‥」 気後れする自身を叱咤していると微かに震えた睫が知らせる。スネイプを見つめ返すことは出来ないながらも、目線を落とすことはなく毅然と背をのぼしている。こくりと上下した喉は大量の唾液を飲み込んだのだ。 「僕は‥危険だと思う‥」 微笑を象ろうと懸命になる口端が引き攣るように歪んで、真摯な瞳ももはや眇める眼の奥に隠れようとしている。 それを物言わず眺めやっていたスネイプは、ふと視線を逸らし床板にしみこんだ濃い染みを見た。影は濃く、物陰に潜んでいるのに己たちが佇む場所はなんと暖かなのか。影の冷たさを思って、スネイプは常に沈みがちだった気分が頭を擡げた気がした。 「貴様の心配することではないな。」 それだけ云って、スネイプは退散しようとローブの裾を蹴り払い、足を踏み出した。その所作は厭に粗雑で、ルーピンははっと立ち上がると、反動で椅子が倒れた。横転した椅子は背後の鉢植えを巻き込んで大きな悲鳴を上げた。 くだけた鉢から土がこぼれ、陽に洗われながら床に散っている。ルーピンが慌ててしゃがみこみ土をかき集めると背中で呪文を唱える声が聞こえた。 微かな光跡を残して鉢は元通りになり、床板の節目に入り込んでいた砂粒まで綺麗にその中へ舞い戻った。 「あ‥りがとうセブルス‥」 膝を突いたまま振り返ったルーピンが、そうスネイプを見上げると、彼は不機嫌な顔して鼻をならすとさっさと踵を返して去ってしまった。 今度は呼び止めることも追いすがることもできずに、ルーピンは陽だまりから薄暗い影の中へ、そうして扉の向こうへと消える背中を見送っていただけだった。 ―――ねぇ、こんなにも陽の光は暖かなのに ルーピンは俯き、唇を噛み締めた。 2005.Spring 耶斗 |