Traaumerei いつか、この手をはなす日がくると 知っていたから T しとしとと優しい雨の音がする。 雅な趣の庭には水溜りがそこここにできて 雨垂れが庇の下の石を穿つ涼やかな音がする。 あけた障子窓の格子の隙間から、ナルトは春雨の降る空を見上げていた。 金糸の髪がそぞろにちり、褪せた畳は湿り気を帯びてそれを受け止める。 白い喉元はしどけなくまとった着物の襟から惜しげなく晒されて。 心はここにない、とその眼には生きた光はなかった。 身体の交わりが崇高なものだと、考えるようになったのはいつだっただろう。初めはただ、肉欲と渇欲とが求める浅ましい行為とだけ思えていたのに。 毎夜抱かれるたび至上の幸福を得るようになったのはいつからだろう。 夢をみているようだった 熱に浮かされて、頭はなにも考えられず 腕に抱いた彼の人の身体だけが世界の全てだと 幸福の凝縮された時間を与えられて。 それは甘やか それは安らか そうして放棄すべき己の弱さ (2005/06/02) U 背骨が折れるのではないのかと、それ以上に肺を圧迫する肋骨の苦しさに声を喘がせた。 男の愛撫にやさしさはない。 貪るようにがつがつと、乱暴すぎる愛撫に白い肌には鬱血の痕が増える。 畳の擦過傷が紅く熟れたようにして、もどかしい痛みを訴えるけれど、ナルトはただ薄く目を開いて、泪でぼやける視界に男の姿をみる。 けれど月の影の侵入さえ拒むほどに堅く閉ざされた室内、光源はなく。ただ獣とも病人ともつかぬ息遣いを肌に覚えるだけだった。 どうして、優しく抱いてくれないのだろう。 それがナルトには不思議で仕様がない。 あの頃はあんなに優しく、持ちうる限りの慈愛と気遣いとで己を抱いてくれたのに。今のこの男ときたらまるで憎しみをぶつけるようじゃないか。 ナルトにはそれが悲しくて仕様がない。 想いあっていた、と。慈しみ、愛し合っていたと明瞭に断言できるのに。 今のこの男ときたら‥ まるで人が変わってしまった。 それが辛くて仕様がない。 伽はいつも真夜中で。その貌をみることも叶わない。 あの瞳を、あの眼差しを、あの唇を吐息を。 すべて己一人を包み込むためだけに存在していたそれらを。見たいと願うのに。それだけでこの悲しみを拭えるだろうというのに。 障子がかろうじて軒からもれた月の影を映しているけれど。それがなんの助けになろうか。室内の空気は凝って、精の匂いだけが支配して。 あのころの、思い出さえも。 汚される。 「う‥」 込み上げるものが嗚咽か胃液か判別できず。 「あぁあああぁぁあ!」 怒り心頭、とそんな貌でナルトは声をあげた。 あたかもそれは生まれなおした赤子のような。 殻を脱ぎ捨てた獣の咆哮。 ナルトの、痩せ細った身体を抱きしめていた男はその肩口に埋めた顔に笑みを刷いた。 (2005/06/02) V 初めに見た、否、ようやく再会した彼のやせ細った腕にちぎれるようにしてつながった鳥の骨のような指がまっすぐに己を求めて力なく伸ばされていることに男は知らず泪を流していた。 『何が‥あったのですか‥』 その問いはひどく空虚で、男が真実答えを求めているのか定かでなかった。 男の背にたつ女性は腕を組み、血みどろに汚れたまま床を汚して立ち尽くす男に、 彼の内に息ひそめて宿っていた妖が、その仮床を発った、と。 理由は付加せず告げただけだった。 だからこれはもうお前にやる。 好きに今生生きればよい。 無情を装わねばならない彼女を思って、それがまた、男の泪の堰を積み上げる妨げとなった。 初めは優しく彼に触れた。 次は己を哀れみ彼を抱いた。 次に理不尽への怒りに彼を揺さぶった。 また悔いる気持ちで接吻を落とした。 最後に訪れる感情が(おそらくは諦念だろう)何なのか男はもはやガラス球のような眼で考える。 どうでもいいことのようだけれど、どうしても知っておきたいようでもある。 知らないことをよしとした、幾多の事どもを思い出してもそれがいつかのそれらに類するものではないように思うことをやめられなくて。 放棄できない思考に、うつろい狂う男をみるようだ。 事実男は気が触れたように、浮かび上がる嬉笑を抑えることができなかった。 だからそれは至極自然なこと。 彼が焦がれるに値する無上の喜び。 共に世界を終わらせよう。 世界は僕らに優しくなかったから。 せめて小さな抵抗くらい、許されてしかるべきだろう? その手で殺されることを願った男は、その手がすべてを破壊することを望み。 さぁ、夢の世界を永遠にしよう。 己の心の臓を貫いて、内臓をこする音と共に引きずり出されたか細き腕がぬらぬらと朱に濡れている様を仰向けに倒れた男は眺め、そうしてゆるりと嬉笑した。 (2005/06/09) |