飽き足りぬ
 傍に居るだけでは飽き足りぬ
 見つめているばかりでは飽き足りぬ
 腕に囲っても飽き足りぬ

 その日なたの匂いのする髪へ鼻を埋め
 その青い静脈さへ透く薄い首の皮へ頬をすり
 唇の石榴の紅を食んでもまだ足りぬ

 己がうちへお前を取り込んでもおそらくは
 まだまだまだまだ足りぬだろう


 お前が視界から消えるというなら夜の安らぎさえ俺はいらない











 2年半ぶりに逢ったその人は相変わらず静かな空気を纏っていて、優しい目をして己を呼んだ。
「おかえり」



交喙(イスカ)



 招かれるまま傍に寄って、久しぶりだと笑えば、そうだなと笑い返して、座るよう腕を引く。片膝をたてて座る男にならうように、ナルトもまた片膝をたて胡坐をかいた。
「随分雰囲気が変わったな。多少は落ち着きを覚えたか?」
「そういうネジは相変わらずだってばよ。」
 開け放たれた障子の向こう、縁の先、円かの月は蒼い影を落としている。未だ己の手を放さぬままの彼は支給される任服を、ベストを脱いだだけの格好で縁と寝間との間に立つ柱のひとつに寄りかかって半身を月の影に象らせている。
 夜の眠る空気を震わせるのは二人の微かな笑い声。
「帰って早々修行でもしたのか?」
 土の匂いがすると云って哂い、頬についている架空の泥を拭った。どこかくすぐったいそれに身を捩ってナルトも哂う。哂って、それから表情を拭った。
「約束‥な、果たしにきたってばよ」
 まっすぐにみつめる瞳の碧さは変わらない。ただその深さは増していた。
「‥‥‥あぁ」
 まるで憂うように笑んだ男は、しばらく考えるようにナルトを見つめて、そうして一度目蓋をおろしナルトを引き寄せた。
 ぐるりとまわした腕はやすやすと少年を抱きこんで、あぁお互い成長したのだとナルトは速まる鼓動とともに強く実感した。




 肩口に埋めた顔を男は上げて、それにナルトも顔をずらして口付ける。食むように唇を合わせて舌をのぞかせ皮膚を濡らす。頭を引き寄せ舌を差し入れたのは男の方で、怯えたように奥へ逃げようとする舌を絡めとり、喉の奥で震えた声を閉じ込めるようにさらにつよく唇を押し付ける。男は自覚する。餓えていたことを。
 硬い腕の筋肉は、己よりも格段に男のそれで、軽い嫉妬も胸を焦がしたけれどそれよりも大きな安心感が包み込む。それに支えられながらゆっくりと背を倒し、支えながらその腕は少しずつ下方へずれていき、ナルトの背は男の腕をはさんで弓なりに横たわった。微かに鼻腔をついていた畳の匂いが少しだけ強くなる。
「ネジ‥」
 酸素を、とようやく離れた唇の隙間から大きく息を吸い込んだけれど、また直に塞がれて見計らっているのかと疑ってしまう。翳む思考は酸素が足りないせいだ。腹の下でうずき始めた知らぬ感覚に、覚悟は決めても泣きたくなった。それは多分羞恥に似ているのだと思う。額宛はとうに滑り落ちた。背に差し入れられた掌は冷たく、思わずびくりと背が震えたけれど、声は塞がれくぐもった呻きが漏れただけで。男は構っていない風に脇腹を撫で上げ服は捲れあがる。いきついたそこにある突起を男は親指の腹でつぶすように擦れば身のうちに走った刺激にナルトは背をしならせた。
「ふ‥ん、ちょ‥待って‥」
 鼻にかかったような声でナルトはネジの腕に手をかけたけれど、ついで首筋に歯牙をつきたてられて身を強張らせた。痛みさえ伴うそれにナルトは指に力をこめたが、胸の突起を揉みしだくのに別の意味をもち始める。
「女とは?」
 耳殻に吹き込むようにして囁かれた声は濡れていて、ナルトは薄く開いていた目を固く閉じた。「ナルト?」応えなければならないのかとするすると下がっていく掌が軽く腹を押すのに腹に力をいれながら、ふるふると何度も首を横にふった。
「‥そうか。」
 男が哂ったのが分かったけれど、それが愉悦からか、単純な驚きからかは判別できなかった。
 下衣に手をかけられて、思わず腰を引きそうになったけれども擦り付けた畳の感触と、被さる男の重みに結局は叶わなかった。その時に少しだけ浮いた腰から男はすばやく下衣を引き下ろし外気に晒されふるりと震えたそれを握りこむ。顔が火を噴きそうだとナルトは顔をそむけたけれど男はそれも許さずにナルト、と名をよんでもう片方の手を頬に添えた。
「ネジ‥ッん」
 ゆるゆると動く掌はいつのまにやら温まっていて、それが己の熱によるものか男自身によるものか分からなかったけれど、揉みしだくように上下する掌に腰が甘いうずきに震える。
 ネジはいつだって優しい。こんなときにも優しい。
 それは嬉しいことなのだけれど、余計な理性が残ってしまって羞恥に憤死しそうだとナルトはネジの首に腕をまわしてしがみつく。
「ナルト‥すまない。少し急く。」
 云い終わるか終わらないかでナルトは己の後孔に何か冷たいものが触れた。
「な‥ッに‥」
 ナルト自身を愛撫する手はそのままに男は何時の間にやら取り出していた潤滑油をナルトの後孔に塗りつける。塗りつけながら指を一本中に差し入れた。言い知れぬ怖気とも不快感としれぬものが背筋を渡って駆け抜け、ナルトは反動のまま腕に力を込める。それが苦しいと思ったけれどネジは何も云わずただ前を弄っていた手を背にまわし、宥めるように撫でさすった。そうしながらもほぐれはじめた内壁にもう一本を差し入れて、なるべく性急にならぬようにと内壁を擦る。根元まで突きいれてくいと指を曲げれば
「‥‥ひぁッ‥」
 それまでとは色を変えた反応にその一点を刺激し続ける。
「う‥んネジ‥、ネジ‥ぃ‥」
 明らかな欲を滲ませる声とうっすらと濡れる眦にネジは3本目を差し入れて、けれどあぁダメだとまわしていた腕をはずし入れていた指も引き抜いた。抜けていく喪失感にもまたナルトはふるりと身体をふるわせ、くすぶったままの熱に悩ましげな息を吐く。けれど次には同じ場所にあてがわれた違う質量のそれに息をつめた。己の腰はかかえあげられていて、足は大きく開かされている。
「‥ッあ‥」
 それを視覚することで己の状況を確かに把握しナルトは慌てた。とたんに襲い来る羞恥は比較すべくもない。
「ネジ‥願、まって‥」
 けれどその瞬間彼が見たのは、困ったように哂うネジの欲にぬれた眼だった。
―――――約束
「ん、く‥うぅ、あ‥」
 痛みは、ない。押し入られ、押し広げられる内壁はぞわぞわと背を這い上がる甘美感を生み、そしてそれは目の端に映った、男の耐えるように顰められた眉と閉じられた目蓋が助けたのかもしれなかった。
―――3年後には俺たちもう、大人だ。



 別れの言葉はなかったな。
 再会の約束も、俺たちの間にはなかった。
 言葉一つ、眼差し一つなく
 俺はお前を送りだして

 あの日世界を朱く染めた夕陽を憶えている。


『ネジ』
 変声期間近の、ゆるゆると青年へと移行を始めた少年の声が非難するようにネジの背を呼びとめた。黄昏が訪れつつある。彼ら二人のいる畦道は虫の声こそ賑わしかったが、寂寥が彼らの頭上に重くあった。
 少年は信じられなかった。まさか、己が彼に拒絶されるなんてこと露ほどにも考えたことはなかったのだ。絶対の信頼でもって彼を見ていた。
『なんだよ、ネジ。俺気に障ること言ったか?』
 それは詰問する者の調子ではない。縋る者の哀願だ。ネジはそんな彼にどのような感想を抱けば良いのか迷った。蔑むか?お前はそんな脆弱だったかと。喜ぶか?俺はそれほどお前に必要なのだと。胸の疼きは悦びだと教えはしたが、ネジにそれを素直に受け取る意志はなかった。
『何もしてはいない。修行の時間になっただけだ』
 行かなければ。
 どこかいい訳じみた口調だった。追及を逃れたくて歩き出そうとしたが、させまいと名を呼ぶ声に踏み出したまま足を止める。視線を落とした地面には彼の影法師が伸びている。ゆらゆらと揺れているようにみえるのは己の身体が安定していないためなのか、それとも世界こそが揺れているのか。
『お前、訳分かんねぇよ‥』
 苦しげに搾り出される声を聞くのは何時ぶりだろう。彼の視線が背に突き立つ。それは己の罪悪感か。彼は己を非難しはしないのだ。
『訳が分からない‥か‥』
 ぽつりとネジは呟き、ゆるりと首をナルトへと回らせ
『俺もだ。ナルト』
 視線は途中で留まったまま疲れたように笑った。
 それに、ナルトが何を言うこともできないのは当然のことだったろう。けれど再びネジが歩き出して、ナルトは反射的に声を上げていた。
『俺たち‥っ、3年後にはもう大人だ‥!!』
 間があった。虚を突かれたのか、ネジは直ぐの反応を返さずそれを発したのは確かにナルトなのかと迷うように振り向いた。今度は交わった視線にナルトは内心安堵しながらついた勢いのまま口を動かした。
『明日‥行くけど‥。帰ってきたら‥』
 帰ってきたら‥


 それは、彼が決めた心のひとつだった。




 打ち付けられる肉の音が耳まで犯しているようだと、ナルトは奥を突かれる度に深く身体を侵す快楽に代わって畳を引掻く。
「あ、あ、あ」
 きっともうどろどろに溶けている。身体を支える力なんてもはや欠片も残っていない。
 両膝をネジの両肩に抱えられて、胸を圧迫するほど己の身体を折り曲げられ、被さられて穿たれる。
 白濁する意識のなか、己を侵す男の荒い息だけが滲む視界に愛し人がいるのだと教えてくれる。
「ネジ、ネジぃ‥」
 も、いく‥
 何度目ともしれない。きっともう出るものなんてない。それでも絶頂に突き上げられる。
「ナルト‥」
 俺も‥と一際強く打ち付けられ、より深く抉られて脳髄を突き抜ける快感に、ナルトは筋を引き攣らせ、喉をさらして打ち震えた。
 あぁけれどまだ足りない。
 身体はもはや限界を過ぎていて、眠りが欲しいと目蓋は世界を分かとうとするけれど。
 ナルトは快楽に泪をながしながら口付けをねだる。己から舌を絡めてもっと深くと頭を抱き寄せる。
 脇腹を撫でられ、鋭敏に身体をはねさせるのは皮膚のすぐ下に神経が浮き上がってきたようで。飲み込みきれぬ唾液が頬を落ち、耳の下を伝うのにさえぞくぞくと背中を粟立たせる。
 それでも、まだ足りないのだ。
「ナルト‥」
 背に残るだろう紅い痕が甘く疼く。また集中しはじめる下方の熱に組み敷いた身体が耐えられるだろうかと、それさえ考えられずにネジはわずか腰を引いた。
「ッネジ‥」
 敏感なままの内壁をゆっくりと押し広げられていく快感にナルトはまたひとつ泪を押し上げ、溢した。



 夜が白むとき、いつだって空気は静謐だ。



 強い飢餓を覚えるようになったのはいつからだったろう。
 それはまるで物質的に彼の身を食むことで癒されると惑乱するほど意識の表層を侵した。
 子供が抱くには狂猛すぎる感情だ。
 身を置く世界が世界なだけに、己たちは他よりも早うに成熟する。身体と精神の均衡は、欠けた理性に訴えても無駄なことなのだ。


 ある朝―――金色の少年が旅立った日―――目覚めれば枕元に一通の手紙が置かれていた。
 己に気付かれぬよう入ったのか。そうとしか考えられないが信じがたいことだ。だからネジは驚きに上半身を返しただけの状態で暫くそれを見つめていた。
 やがて朝日の中、真白の和紙に僅か滲みながら引かれた文字へ指を滑らせる。かさりと乾いた紙の音がした。彼の持つ筆が辿った軌跡を忠実になぞり、あぁ彼の字だと確かめる。ぶっきらぼうで、けれど手紙の相手を想って書いたとわかる、優しい彼の手だ。
 開いてよいものか迷った。これは確かに己に当てられたものだけれど、それが分かるだけで十分な意味を為すそれをわざわざ開く必要があるのかと。指先が緊張していた。

―――行ってくる。
   行って、帰ってきたらもうお前にあんな顔させねぇ。
   待ってろよ。強くなって帰ってくるから。
   そうしたらもうお前の側を離れない。
   約束だ。


 そうだ、約束は一方的なものだった。




 障子を透かす寂光にネジは目を覚ました。朝が来たのか。腕の重みにそこへ眠る安らかな顔を確かめる。意外だな、とネジは思った。もっと後悔が押し寄せるだろうと思っていたのだ。意識を飛ばし、くたりと弛緩した身体を抱いて眠りに落ちるまでその感情は確かに身の内を占めていた。ナルトの小さな鼻頭を抓む。滑々としてその皮膚はまだ子供のようでもあった。その感触にかナルトは身じろいで、鼻に抜ける寝言を零した。甘えるようなそれに愉悦を誘われて、ネジは素直に口端を綻ばせた。
「ナルト‥?」
 返事を求めぬ呼びかけの後で、ネジはそっとナルトの頬へ唇を落とす。
 口付けた跡を確かめるように頬へ指の背を滑らせて、そのまま輪を描くように何度も撫ぜた。愛おしい、とただ純粋に思えたのは初めてかもしれない。与えられたものがどれだけのものだったのか、ネジは彼の充足感に思う。
「ナルト‥」
 腕の中の少年を抱きなおして、上掛けを引っ張り上げると金糸の髪に鼻を埋めて目を閉じた。
 もう一眠りしよう。朝もまだ、明けたばかり。新たな日々も、始まったばかりだ。



 飽かぬ足りぬと啼く声も、今漸く鎮まってくれそうだった。