遠くなった記憶が引きずり出されて今またここで再生されているような
 そんな錯覚にイルカは一瞬怯んだけれど、直に焦点を定めて重心を整えた。
 そうして、それからあまり驚いていない自分に驚くでもなく。
 妙に合点のいった心地で深夜の客人を招きいれようと入り口を塞ぐ身体をずらしかけたが、「急ぐから」と馬鹿に丁寧な断りをいれられた。
 それから客は幼さの抜けないながらも大人びた普段の貌に、ややばかり不思議そうな色をつけてイルカに訊ねた。

 「驚かないんだな」

 無駄に歳を食っちゃいないよ、と、常のイルカなら笑って返しただろうけれど、その晩の彼は教師として子供たちにみせる微笑でなしに(それは年月を知らない子供なら不安に感じるだろうから)静謐な、諦観に近いけれど慈愛も滲む深い瞳で。わずか首を傾げた微笑で応えた。
 その所作はまるで、おしのようだと、何も知らぬ者なら思っただろう。



 まったく‥お前たちは兄弟だ
 同じ眼をして同じ顔して
 同じ夜に、俺に会いにくるなんて



 イルカは少しだけ困ったような顔で笑って
 それに客の少年は少しだけ不愉快そうに眉を顰めて
 それからつと足元へ視線を落としたかと思えば、まっすぐにイルカの眼を見上げて
 痛みを堪えるような、見ている者が胸を締め付けられそうな、そんな、縋るような眼をした気丈な少年は
 もの言わず、その瞳をイルカの深い瞳にぬり込めるように見つめて
 触れもせず
 去った。
 音、無く。風、無く。霞のように消えた少年の立っていた玄関の石畳をイルカは暫く見つめていて。
 泣きそうだ、と冷たい夜風に吹かれていたイルカは眼の奥が痛む頃、静かに目を瞑り、扉を閉めた。



 そういえば、あの子と会話をしたことがあっただろうか
 己一人が喋り続けていた気がする
 最後に、何か一言、あの子からの言葉が貰えるのだろうか、と
 知らず期待していた自分に気づき
 イルカは白々しいほどの蛍光灯が点る部屋の中、渇いた笑いを溢したのだった。







 通り過ぎた男たち〜うちは弟〜


2005/08/12 耶斗