抱きあい眠る。絡む肢体は歪な胎児。






 朝の匂いに意識が浮上すれば、シーツの匂いに混じる、覚えて久しい彼の人の薫り。
「‥またか」
 十分な睡眠をとったはずの早朝、厭に気だるい肢体と直には覚めきらない重い頭で隣に眠る安らかな貌をみとめて溜息。
 腕にかかる重みに動かすこともできず、触れるほど近くにある目蓋へかるく唇を尖らせ口付ける。ふるりと震えて、けれど開かないそれに今度は薄く舌を差し出し眦を濡らせば、くすぐったそうに首をすくめて離れてしまう。
 それにほの温かくなる胸の内を抱きながら、ネジはようやく起き出すのだ。己の腕を枕に眠る人間を覚醒させぬよう慎重に腕を抜きながら。
 冷蔵庫の扉をあけ、今日は二人分である朝食の材料を物色しながらネジは思う。
 来るときは間を空けず訪れ、来ないときには何日とこないためにすっかり匙加減が狂ってしまった。今日は足りぬことも余ることもなく作りたいものだ、と流し台に立ったネジは慣れた手つきで包丁を取った。
 金髪の中忍は、白いシーツに包まって静かな寝息をたてている。



 僅かな時間ですっかりベッドを占拠してくれた大きな子供はシーツに包まっている。それを腕を組んで見下ろすネジはどうすべきかと思案する。
 希望は叩き起こしてでも食卓に着かせ、飯を食わせてこのまま居座るのか、それとも任務へでるのかを聞かせてもらいたい。
 しかしこれまでのパターンから考えて、今朝の彼は任務明けだ。これほど料理の匂いの漂う中で寝こけているのがいい証拠である。そうでなければ椅子の上で運ばれてくる料理を、それでも待てずに催促しただろうから。しかしこうしてここで何時までも考え込んでいるわけにもいかないのだ。なにしろ今は湯気もたたせている朝餉は冷めるし、昼前には任務を給わりにいかねばならない。
 ネジは一つ溜息を落とすと、スプリングを軋ませながら膝を抱えるようにして眠るシーツの膨らみに被さるようにベッドに両手をついた。



 痛む鼓膜をなだめるように耳の穴を探りながら、しかめっ面のナルトは寝癖のついた頭のまま食卓に着いていた。
「くしょ〜。もうちょい穏やかな起し方があんじゃねぇの?」
 その問いはテーブルの向かい側でもくもくと箸を動かしている人物に向けられていて、応えが返らないのに別段気を悪くした風でもなく、けれど拗ねた顔して彼は文句を並べる。
「俺は夜中過ぎにようやく任務終えて里に帰ってきてさ、報告終えてそのままこっち来て眠りについたのは明け方なんだぜ?」
 労わって欲しいってばよ。
「そうは云うが、俺も昨日の夕方任務を終えて帰った身でな。これからまた任務だ。」
 休み無く働く俺の体こそ労わってもらいたい。
 目も合わせずに淀みなく言い切る声に含んだところはまるで無く、けれど思うところあるナルトはうっと言葉を詰まらせる。
 それに微笑を溢してネジは箸をおき、片付けられた皿を前に手を合わせると正面に向き直ってあやすように笑った。
「それじゃあ俺は行って来るが、ここは好きに使っていい。ただし出かけるときは鍵をかけていけよ。」
 持っているだろう懐の鍵を指差しつつ立ち上がったネジは流しに食器を片付け、水をはった桶に浸け置くとナルトの背にある寝室へと引き返し荷物をとって玄関へ向かった。
 爪先を軽く蹴って靴を履き、出掛けの一言をと後ろを振り返ったネジは開いた口はそのまま言葉もそのまま、しかし語調は変更された。
「行って来る‥が?」
 背後に立つ彼は、段差はあっても己の背丈には僅か及ばず、窺うようにネジを見上げていた。
 どうした?と多少隙をつかれた狼狽を隠すように訊ねたネジに、ナルトは目を伏せ首を振ることで応えるとひょいっと重心を爪先に移し背伸びした。
 そのまま尖らせた唇は目を見開くネジの唇を掠め取り、ナルトはぱっと顔を隠すように俯くと何も言わないまま小走りに廊下を戻っていった。
 唇頭の感触の残る口を掌で覆ったネジはナルトの背中が角に隠れた後も暫くそこから動けずにいたが、やがて去り際の彼の耳の朱さを思い出して、喉を鳴らし噛み締めるように笑った。
 可愛いことをしてくれる。
 滅多に無い見送りにネジは素直に喜んだ。






「よぉ、相変わらず真面目だなネジ」
 受付10分前だ。
 そう云って通路の向こうから片手をあげたのは硬質な髪をひっつめて高く結んだシカマルだった。
「今日は単独任務か?他の奴ら見ねぇようだけど」
「あぁ。ここのところ一人が続いているしな。今回もそうだろう」
「色ボケてドジんなよ」
 足を止めて待っていたシカマルに並ぼうというところでかけられた台詞にネジは一瞬息をつまらせた。
「何を言っているんだ」
「顔が紅いぜ?ナルト帰ってきたんだろ?」
 不機嫌そうにわずか眉を顰めたネジは、実際には紅くなっていない顔を下半分片手で覆ってシカマルの傍らを通り抜けた。受付には同業者がちらほら出勤し始めている。
「分かり易いよなぁ‥、お前いつからんなキャラになったっけ?」
「そういうお前こそ。好いた女を前にして無表情をつくるのは改めたほうがいいんじゃないか?」
「なっ、んな奴‥」
「そうか?それならいいがな。」
 任務中に思い出して支障をきたすといけない。
 受付時間前だというのにすっかり準備を終えてしまっている受付の担当者のほうへ歩きながらネジはひらりと片手をふった。
「‥っち」
 本当にいつからあんないい性格になったんだか。
 してやられた感をシカマルは舌打ちで紛わしつつ、けれどそれもいい変化だと呆れ半分入れ混ぜて哂いながら備え付けのソファへ向かった。
 今日パートナーを務める古くからの友人を待つために。


 日向ネジ上忍、ランクAの単独任務
 任務期間予定は14日間


 しかし彼は、それから一月が経っても里へ帰ることはなかった。




□  □  □




「どうなってる!」
 そう受付所に怒鳴り込んできたのはネジの顔を最後にみたシカマルであった。
 彼は一月前の任務から2つ目の仕事を終え帰還したところである。行方知れずになったという男が任務に出た同日に渡された任務はそれから5日とせずに片付いたが、今度は長期の任務だった。彼の背中には今度の任務を共にこなした中忍2人の姿がある。いずれも隊長の豹変ぶりに戸惑いを隠せない表情だ。シカマルは受付所へ来る途中で耳にした噂話に激昂していた。報告書を握りつぶした拳を振り上げて職員に詰め寄る。
「ネジの行方が知れねぇっつーのは本当かっ。捜索隊は出てるのか?足取りは!?」
 力任せに押し開かれた重い扉は壁に跳ね返り、閉まりきらないまま放置されている。怒気をはらむシカマルの表情にその場にいた者は緊張し、硬直するか、猛るシカマルの身体を押さえようと肩や腕に張り付いた。
「落ち着いてくださいシカマル君」
 凛とした声が入り口から職員の胸倉を掴みあげるシカマルを制した。
 聞き覚えのある声に彼が振り向くと、そこに立っているのは火影の付き人であるシズネだった。落ち着いた態度で両手を前で重ねているが、瞳は厳しい。
「ここの人たちに訊いても知っている者はいません。こちらへ‥」
 そう云って半身を返し、「あなた方は仕事を続けて」と指示をだすとシカマルを待たずに歩き出した。ついて来い、とその背は言い残し扉の向こうに消える。暫く足が固まったかのように動かなかったシカマルだが、己の激情が幾分過ぎ去ったのを知るとその後を追った。



 陰の混じる回廊は火影の執務室へ続くものではない。天井近くの壁に取り付けられた電燈の灯りがゆらゆらと紅く揺れている。緩やかな傾斜をつけてその廊下は地下へと向かっていた。
 てっきり火影様直々の話があるものと考えていたシカマルは訝りながら、初めて歩くその廊下をシズネの後についていく。
「火影様のもとへ着くまでに最低限度の情報をきかせておきましょう」
 紅い灯を肩に揺らめかせる黒い背中がそう前置きして話し始めた。
「ネジ上忍の行方が分からなくなったとされたのは帰還予定を過ぎた6日後です。情報の洗い直しと収集に2日、追跡隊が派遣され帰って来たのがさらに6日後。編成は3人で内一人は日向の上忍でしたが‥」
 言葉を継ぐのを恐れるように、シズネは一呼吸置いた。
「殺されました」
「何‥っ」
 どういうことだと問おうとしたところに廊下が途切れ、鉄製の扉があらわれた。ノブに手をかけシズネが振り返る。
「戻ってきた2人も軽度の傷を負っていましたが毒刃や幻術の類をうけた 形跡もなく言葉は確かなものと思われます」
――――あれは、日向上忍だった
「話の続きは火影様がされるでしょう。私はここまでです」
 そして、扉は引き開けられ橙色の灯りがシカマルを照らし出した。
 反対に、闇に埋没したシズネの瞳がシカマルを凝視し、シカマルはその目に貼り付けられた己の視線を暫くは引き剥がせずにいたけれど、扉の死角から聞き知った声に招かれ足を踏み出した。入り口をくぐり切るまで視線ははずせず、足は痺れたように頼りなかった。
 追跡隊の一人が死んで
 帰還した2人が報告した
 『あれは日向上忍だった』?


 わけがわからねぇ!






 その部屋はドアに対し横長で壁一帯を本や巻物、その他雑多な資料に埋め尽くされ、一種資料室の態であったが中央に置かれた重厚な長机は会議室に使われているようにも見せる。それだけに占拠されたような部屋に椅子はない。おそらく上座であろう机の端には、火影たる綱手が立っていた。
「奈良シカマル、参上しました。」
 背を正してそう告げれば、綱手はうむと頷き机を挟むようにシカマルのほうへ向かってゆっくりと歩き出した。
 床は絨毯が敷かれ、踏み固められたように扁平になったそれはただでさえ足音を消して歩く忍の音を吸収する。複雑な文様が施されているようだが暗い明かりの中でそれを判別することはできない程度でもなかったが、そんな気分にはならなかった。
「シズネから大体の話は聞いたかい?」
「ネジの行方が知れなくなってから今日で29日目。追跡隊が還ったのは昨日」
 いいタイミングだ。とぼやいてから
「一人は死に、帰還した2人の報告によると殺したのはネジ‥。
 ありえない!」
「落ち着け。事の真偽はまだ確定していない。あらゆる可能性を考えてはいるが、2人は操られた様子もないし謀っているようでもない。至って正常だった。変化でも幻術でもないと自信をもって報告している。‥真だと、判断するのが自然ではあるだろうな」
「しかし‥っ」
「真なり偽なり2度目の追跡隊は派遣せねばなるまいよ。しかし今度は処理も念頭においてだ‥」
「待ってください!」
「判断は隊に任せる。その場で審議し、裏で操っているものがいるなら捕えろ。抜け忍だと判断したなら‥連れ戻す必要はない。殺せ」
「話をきいてください火影様!」
「隊長はお前だ」
「火影様!」
 叩き割らんばかりに机を打って、シカマルは綱手をにらみつけた。綱手は静かな美貌でシカマルをみやっている。白磁の肌に焔がゆらめく。荒れる息を抑えながら唸るようにシカマルが問う。
「貴方は‥本気でネジがやったと考えているんですか‥っ」
「まだ‥断ずるにたるだけの証拠がない。だから現地へ赴くお前が判断するんだ」
「貴方の考えを‥ッ」
「判断はできないっ」
「気持ちを教えてください!」
「‥‥‥‥」
「火影様‥貴方はネジがどうあればいいと‥お考えですか‥」
「追跡隊にナルトは加えない」
 私の答えはそれだけだ。
 答えて彼女は背を向けた。シカマルはその場から立ち去らねばならなかったが、彼女の言葉の衝撃から身体を動かすことができなかった。
――――ナルトは加えない
 それは‥
 ネジが抜け忍になった可能性を完全には否定していないからこその答えだ。
「ナルトは‥‥。ナルトは‥今、何処に‥」
 震える声で彼は問う。向けられた背中は答えない。
 一切の拒絶を受け取って、シカマルは今度こそ踵を返した。
 足取りはやはり、この部屋に入ったときと同様おぼつかない。
 打ちのめされた気分だった。