火影の言葉、シズネの言葉が頭の中でぐるぐると渦を巻く。
 何を信じ、どう判断すればいいか分からなかった。
 混乱していると、それだけが唯一知ることができるものだった。
 ネジ―――。ナルト―――
 まずは己を落ち着かせねばならない。それから情報を、この耳で聞き、この目で見るものからしか確かな情報として処理することはできない。
 従うべきは火影にであり、火影に命令された以上ただちに隊を編成し出発するべきだ。
 里にいられる時間はどれだけ残っている?1時間か?1日か?


 けれど彼は自身に従うことを決めていた。出発を引き伸ばし、探索にむかった2人の忍の話を聞く事。
 まとまらない思考のなかで、弾き出した第一の行動がそれだった。名前はシズネに聞けばいい。たとえ脅してでも聞き出してみせる。
 シカマルは隠し扉から、陽のあたる明るい廊下へと抜け、シズネの探索を始めた。




 幸い2人は任務に出ておらず、自宅で待機させられているということだ。
 火影へ通す書類を整理する部屋で仕事をしていたシズネは渋ったものの、ネジの捜索にどうしても必要なことだからと説き伏せられて件の2人の居場所を教えてくれたのだ。それだけではない事情も察してはいたようだったが。
 おそらくは次の追跡チームに加わらせるつもりで火影が命令したのだろうが、シカマルにその意思はない。新たな人員を揃え、任務に向かうつもりだ。
 今、シカマルはその一人の家で茶をだされている。
「確かにあの服装はネジ上忍だったし、ちらと見た眼も白眼に間違いない。目の質だけは変化でも完全に誤魔化すことはできないからな」
 目は肥えているんだ。
 そう云って、対座する上忍は哂った。自嘲に近いものだった。
「だけどネジは積極的にあんたらを攻めはしなかったんだろう?」
 確信ありげにシカマルが問うように云えば、あぁ、と男は不意をつかれたように目蓋をぴくりと動かし頷いた。
「あぁ。攻めてはこなかった」
 一旦考え込むように言葉を切り、それから思い出したようにまた口を開いた。
「アンタは日向の友人だとか」
「あぁ」
 唐突な質問に、やや戸惑いながらシカマルは答えた。
「あいつが抜け忍だとして、アンタに殺せるのか?」
「抜け忍なら役目を果たす」
 曇りなく答えたシカマルに、男は「云うねぇ」と苦笑する。
 苦笑したのは、言葉を代弁する瞳のあまりの強さにだ。口とは裏腹に、眼はつよく男の言葉を否定している。
「俺はあの男と親しかったわけでもないし、言葉を交わしたこともねぇよ。噂だって人の勝手だ。いちいち信じることはしねぇからあの男に対する俺の感想なんてねぇ。だから俺は俺の見たまんまを伝える。嘘はない。信じるか?」
 信じるさとシカマルは応え、ならいいと男は頷いて言葉を継いだ。
「火影様の勅令を受けて、俺以下2名の忍が日向ネジの捜索に向かった。これは日向の帰還予定が6日も過ぎていたためだ、が、これは聞いてたか。途中報告もなかったし、任地でなんらかの変動があれば他の者から情報が入る。死体処理班がでるはずのところをあいつ――うずまきが反対してな。俺達が召集された。
 一日半ほどで件の森に入った。その時にはもう真夜中近くだったかな、月が出ていたよ。そう難しい任務でもないと高をくくっていたから暢気にそれを眺めていたなぁ‥。すると先頭を走っていた仲間が俺たちを制止して独りで飛び出していった。気配から何事か起こったと推測できたから俺たちも気を張って成り行きを見守ったんだ。といっても視界の届かない先までそいつは行ったから、気配を探っていたんだがな。それからよ。事が起きたのは」
 余計な憶測も詰まらない注釈もなく後につく警告もない言葉は男の性格を表すようでいっそ清清しかった。仲間を殺されたことへの怒りや恨みを感じられないのは忍という生業を受け入れているからか、単に仕事上の付き合いだったために抱く感傷もないためか。しかし冷淡な人間ではないということは分かる。もしかすると、感情を隠すのが上手いだけなのかもしれない。
「ありがとう。それからもう一つ訊きたいんだが」
「なんだ?」
 湯飲みに伸ばしかけた手を止めて男は上目にシカマルを見た。
「アンタらがネジと戦ったっていう森に、何か変わったことはなかったか?」
「幻術や結界か?ないな。‥そういえば日向を呼ぶような声が聞こえたが。仲間かどうかは分からない。ただ、あいつは一人じゃないってことは確かだ」
「声‥?男か女かわかるか?」
「同業者なら声を変えられる可能性もあるしな‥。が、変な感じはした」
「変って?」
「はっきりとは云えないんだがぁ‥どうにも不思議な声だった。慣れているというか、その土地の人間というのは、その地に適った声をもっているだろう?あぁこの土地の人間だな、他所から来た人間だなってなんとなく分かるもんだ」
 相槌をうつシカマルに男は「やっぱこんなことは関係ねえかな」と前置きして
――――そいつの声は、そこの土によく馴染んでいたんだ
 言った後で不味いものでも食ったような顔をした。自分でも何をいっているか良くは分かっていないのだろう。感覚を言葉で伝える難しさ、そのもどかしさが彼の表情に表れていた。
 あの森は人の住めるような処じゃないはずだ。




 夕暮れの住宅街をシカマルは自分の家へ向かって歩いている。しかしながら、その目は前方をみるでも、足元をみるでもなく、思考に宙の一点を凝視している。先ほど尋ねたもう一人の追跡隊の話を聞いてきたところだ。
 内容は一人目とほぼ同じで、ネジを招いたという人間の見解も曖昧なものだった。
 しかしひとつだけ、最初の情報になかった話を聞いた。それは特に気にかけるものでもないようだったが、本人は気にかけているようだったのがシカマルの六感に引っ掛ったのだった。
『耳鳴りが‥したんです』
 男は先の男とは違い、神経質そうな顔をしていた。
 ネジを発見したという森に入ってすぐそれはしたと男は語る。けれど彼はそれを耳鳴りと云っておきながら、耳鳴りとは違う耳鳴りだったと不可解な表現をつけたした。
『それは確かに耳鳴りのようなもので‥けれど耳鳴りとは違った、音だったんです。耳鳴りに似た音‥音を‥聞いた‥』
 あれはなんだったのかなぁ
 それから考え込むように眉根に皺よせて黙してしまったので、シカマルは軽く礼をいって席をたったのだ。
 声、に耳鳴り。
 後者の方は気のせいとも云えることだから深く考える必要はなさそうだが、少ない情報のうちでは些細なことでも意味があるように思えてくる。
 もう一度一人目のところへ行って耳鳴りがしたかどうかを訊いてみるか‥?
 そう考えたところで視界に誰ぞかの影法師が差し、シカマルは顔を上げた。それは見知った顔で、しかし久しぶりにみる顔だ。
「ヒナタ‥?」
 晩熟(おくて)な表情もすこしは和らいだ彼女は、けれど今、痛みを耐えるような目でシカマルを待っていた。



□  □  □



 火影の勅令を受けた追跡隊の三人がその森に踏み入れたとき、耳鳴りのような音を聞いた。それはあまりに微かで人の耳が拾うのも難しいものだったけれど、研ぎ澄まされた彼らの聴覚は知らず知らずのうちに拾っていた。そして、暫く後、先頭にたっていた日向の忍が後ろの2人を制止し、独り飛び出した。視界は月を葉々が遮っているだけにしては暗すぎたが、彼らがそれを不思議に思うことはなかった。やがて刃が打ち鳴らされる音が伝わり、仲間が戦闘を始めたのを察したが、音はそれ一度きりで早々にかたがついたのだと思われた。
 そして暫く合図を待ったが、一向にその気配もなかったため2人は音のした方へ向かう。万一のことを考え、気配を消し姿を影に隠しながら進み行けば、見たのは同胞の仰向けに天を凝視する屍骸と側に片膝をついてそれを見下ろしているもう一人。格好から日向ネジだと知れた。2人は戸惑った。殺したのは彼なのか、それとも居合わせただけなのか。
 しかし見る。日向ネジの手に握られたクナイと、黒々と濡れた刃。そして、彼を呼ぶ声。明確だ。そう思われた。
 彼は仲間を殺したのだ。
 木の葉の同胞を手にかけた。
 ――――里ヲ抜ケタノカ!
 そう認識するや否や、彼等は武器を取り出し日向ネジへと投げた。ネジはかわし、高く跳ぶ。そのまま何処かの枝へ身を隠した。瞬時に消された気配を2人は探し、同時に2手に別れる。
 一人がその姿をみつけ攻撃を仕掛けたが易くかわされ再びそれは闇に逃れた。二人がかりでありながら、追い詰めること敵わず。彼らは深追いを避け、一先ず帰還することを選んだ。戦闘はものの数分のことだった。



□  □  □



 ごめんね、今本家ではネジ兄さんのことで騒がしいから話をすることもできないの。
 そう、シカマルの住む部屋、正座した膝に両手を組んでヒナタは申し訳なさそうに謝った彼女自身宗家の身で現状の家を抜け出すのは容易いものではなかっただろう。
 机を挟んで対座するシカマルは胡坐をかいた前項の姿勢でヒナタの言葉に耳を傾けながら、彼女が自分を尋ねた真意を計りかねていた。
 シカマルが追跡隊の隊長に選ばれたことは火影以外知らないはずである。それどころか、ネジが抜け忍云々も外部に漏れていることはなかろうと思っていた。日向家が知っているのは、一人死んだためだろうとも考えられるが。
 シカマルは黙して話の続きを待った。
「うちではネジ兄さんが抜け忍だとほぼ全員が賛成したわ」
 はっと目を見開いたシカマルをヒナタは見ずに俯いたまま言葉を続ける。
「今、火影様に追い忍の要請を出してる‥。一族のけじめは自分たちがつける、と部隊を日向で構成するよう」
 事は思ったよりも切迫していたようだ。暢気に情報集めなんてしている暇もなかったということか。
 シカマルは己の行動にいささかの嫌悪を覚えた。
 浅はかだった‥。こんなにも時間はなかったというのに。
 綱手様の自分へ出した命令も顰蹙をかっているだろう。
「で?お前が俺んとこ来たのって、追跡隊のことでか?」
 静かに首を振ってヒナタは答えた。
「それもある‥けど、別のこと‥」
「別の‥?」
 さらに声を落として、呟くように云ったヒナタに、シカマルも別種の緊張を孕んだ声で訊ねた。
「ナルト君が‥何日も姿を見せないの‥」
 任務にでているわけでもなさそうなのに―――――
「ナルトが?それは、正確にはいつからか分かるか?」
 ナルトと聞いて厭な予感を覚えた。
 ヒナタは「分からない」と首を振り、けれど、と口を開いた。
「ナルト君は、ネジ兄さんが行方不明になったのきっと知ってる。火影さまのところへいってから姿をみないってサクラちゃんも心配してた‥」
「サクラがか‥」
 それなら確かなのだろう。シカマルは持ち上がったもう一つの問題について考える
「サクラは今どうしてんだ?それ以後ナルトは見てないんだな」
「うん。サクラちゃんともその話をしてから会ってない。火影さまの側にいるんだろうとは思うけど‥。最近は修行以外にも付き人みたいなこともやってるって云ってたから」
「そうか‥。会えねぇかな」
「無理だと思う。私が会えたときも仕事中のことだったし‥、殆ど家にも帰ってないみたいだった。」
「帰ってねぇ?泊り込みで仕事してんのか」
「わからない。私も家から出られる状態じゃないし、でも何か面倒な問題が起こったようなことを云ってたわ」
「面倒な問題?」
「詳しくは知らないけど、ビンゴブックに載ってる犯罪者が里の近くで発見されたとか‥」
そいつはまた面倒な、とシカマルは額に手を当てた。
 悪いことは重なるものだ。次から次へと問題が持ち上がる。願わくばそれが自分に関わってこないことばかりだ。
「どんな奴だ?」
 仕事中にあったら嫌だな、と思いながらシカマルは訊ねる。
「さぁ‥上層部しか知らないことみたい。発見したっていうのも一般人じゃないし、多分暗部だと思う。サクラちゃんは優秀だし、火影さまの側にもいるから。」
 だな、と頷いて、この話はここまでだとシカマルは思考を切り替えることにした。
 今はネジの行方だ。
「ヒナタ、お前日向の連中抑えられるか?こうなったら直ぐにも出発したがよさそうだ。
 俺が帰るまで日向の人間は動かさないでくれ」
「どうするの?」
「ネジ連れ戻して弁解の場を与える。
 日向の人間に出てこられたら問答無用で殺されそうだ。」
哂っていった最後の言葉に、そうね、と苦笑を含んでヒナタも笑い、頷いた。
「分かったわ。やってみる」
「頼んだ。俺はこれから綱手さまのとこへ行って、すぐにも出発する」
 そして二人連れ立って部屋を出て、階段の下で別れた。



 しっかし、ナルトね‥。確かに直ぐ様子見にいかなかった俺の落ち度でもあるが‥。こんな形で知ることになるとは。
 恐らくは行方不明じゃなく、綱手さまの側にいるんだろう。云って聞かせるくらいで納得するような奴じゃあないから。部屋に閉じ込められているだろうか‥最悪牢に繋がれてても不思議じゃない。
 そう云える自分にシカマルは悪いものを飲み込んだような苦しさを覚えた。胃もたれを起したような腹の不快感は不安と同義のものだ。彼は過去のフラッシュバックに重心を失うようだ。深夜まで営業している歓楽街の明滅するネオンはまるで危機回避を促すサイレンのようにも見えて、彼は気をひきしめなければならなかった。
 ナルトとネジの二人を思い浮かべるとき、伴う感情は必ずしも友好的な、平和的なものものばかりではなかった。そこにはまごうことなき陰気が汲んでも果てぬ泉のようにあとからあとから溢れて底流に流れている。
 それでもシカマルは彼らのことを考えずにはいられない。それはどこか使命感にも似ている。彼が考えることを放棄すれば、あの二人を繋ぎとめるものはどこにも存在しないかのように。
 ナルトは自らが動けないことにどれだけもどかしい想いをしているだろう。悔しい思いをしているだろう。どれだけ‥‥自我を保っているのだろう‥

 面倒なことにならなきゃいいが‥。これ以上、な。
 がり、と頭を掻いて、シカマルは一度気合を入れるように短く息を吐き出すと火影の待つだろう執務室へ向かうべく、居並ぶ家屋の屋根へ跳躍した。