「そう‥それが‥事件のあらましなの‥」 じゃあ仕方ないのね。 話の終わった後、彼女の感想はその一言に集約されていたといっても過言ではない。諦めたような言葉はしかし、すべてに納得したという響きをもっていた。だからシカマルはその呟きに目を見開き目の前の少女をみたのだ。 「それだけ、相手に執着してたんじゃ‥仕方ないのね‥」 どうしようもないのね‥ そう静かに、ごくごく静かに、謳う彼女は 嗤っている――――― 「サクラ、お前‥どうした?」 何か‥ 「何か、知ってんのか――――?」 渇いた涙を頬にはりつかせ、焦点の合わぬような目は虚ろだ。 「サクラ、お前何を知ってる――?」 知らず知らずのうちに、語気が荒くなり、相手を急かすものになる。 「サクラ―――!」 ゆるりとサクラはシカマルを見て、やはり謳うように口を開いた。 「綱手さまね‥ナルトを牢に閉じ込めてるの‥。 けして開けられないよう、封印を施して‥。 初めて見た‥あんな綱手さま‥あんなナルト‥。シカマル‥あたし、怖いの‥。綱手さまもそれに従うシズネさんたちも‥、でも今は‥」 話すうちにくしゃりと彼女の貌は歪み、怯えるものに変わってゆく。 アンタノ話ヲ聞イタ今ハ 「ナルトが一番怖い‥」 そう、か細く啼いたのを最後に、サクラはその場に崩れ落ちた。 精神を蝕む疲労は、ここにきて極限を超えたのだ。彼女はもはや意志の力で立つことはおろか、目蓋を持ち上げることさえ叶わなかった。 「サクラっ――」 走り寄り、その身体を抱き上げて揺するが、閉ざした視界にサクラは急速に眠りにおちる。闇の腕は彼女を包み、緩やかに意識の深淵へと誘っていく。 「サクラ‥」 ここまで彼女を疲弊させた、その正体がまさかお前か‥。 シカマルは愕然とサクラのやせ細った身体を抱えながら、彼の人の姿を眼前に見る。 「お前はまた繰り返すのか‥‥っ!あの時味わった苦しみを!お前はまた‥っ!」 また‥繰り返すつもりか‥ ―――何より誰より悲しみに打ちひしがれるのは、他ならぬお前なのに シカマルはやるせなさに身を震わせ、一度サクラの身体を強く腕に抱くとその軽い身体を抱きかかえ立ち上がった。綱手様のもと、当初の目的の場所へ向かうべく足を踏み出す。 おそらく、あの方も相当に疲れている。 ―――皆、疲れている‥ ナルト、お前は台風の目だ。周りを巻き込み嵐を起し、滅茶苦茶に荒れ狂わせながら、お前はただ静かに‥蒼い天空でも眺めている。ただ一人、ネジ一人を見つめ続ける。 『危険なんだ。全身全霊であいつらは、己の限りを尽くして相手を愛す。 どちらか欠ければ、残りも粉々だ』 違う。俺はサクラにああ云ったが本当は違う。 ―――お前がネジより先に逝くなんてことはありえない。確信はある。ネジがお前より先に逝く。そうして狂うのはお前なのだ。誰より何よりネジに執着するお前なんだ。 狂って、そして、やはりお前は皆を巻き込み、果てるのだ。 もしかすると、俺を突き動かすものはお前への恐怖かもしれない。強大すぎる力の暴走かもしれない。 そうだ、正直俺はお前が恐ろしい。 そうして、お前の全てを赦すあの男が恐ろしい。 ナルト‥ そこはいつかの大戦の折、敵方の忍を閉じ込めていた牢だった。地上の音のとどかない地下にある。 水管からもれた水が壁から天井から滴り落ちて、床を穿って高い水音を上げる。それは長い時を費やして、床に敷き詰められた岩盤の凹凸を深くしていた。 その最奥にただ一人の囚人がいる。 「ばぁちゃん‥ここから出してくれよ‥」 4,5人が入れば一杯になる広さ、当然明りをとる窓はなく、通路に設えられた蝋燭台の炎がちらちらと影を踊らせている。 懇願する声は弱弱しく木製の格子に縋っていたかと思うと、叩きつけるように荒々しく格子を揺する。 「ばぁちゃん‥っ、なぁ!綱手のばぁちゃんってばよっ。俺をここから出してくれ!俺をここから‥っ!」 出せよ!!と何度も何度も揺すられた格子の天井との接合部から細かな塵が舞い落ちる。呪印の札が至るところに貼り付けられたその格子は誰の力であってもまず、破ることは敵わないほど強い力で封ぜられている。 そこに閉じ込められて、ナルトは宥め、賺し、怒り狂ってなんとか脱出しようともがいていた。 「ばぁちゃん!ネジが帰ってこねぇんだろ!?危ねぇ目にあってるかもしれねぇんだろ!!?だったら俺に行かせてくれってばよ!俺が行って連れ戻してくるから‥っ!!」 頼むってばよ、ばぁちゃんっ!! 長い間、ただひたすらにその文句を繰り返しているナルトを格子ごしに立つ綱手は冷ややかに見下ろしている。否、見放す冷たさではない。様々な感情が綯い交ぜになって、色を失っているというが正しい。 彼女自身、己の中の葛藤に身もだえせんほど腐心していた。 そこに、石の階段を駆け下りてくる踵の音を聞いて、5代目火影は振り向いた。 「綱手さま、シカマル君が」 それだけで現れた女性の云わんとするところを解した綱手は頷いて応えると、一度隈のような陰をはりつかせた眼窩を見やって出入り口へと向かった。 「待てってばよばぁちゃん‥っ、ばあちゃん――!」 何度も言葉をかけようと口を開いた。けれどそのたびに言葉が見つからず無意味に口を閉ざすことの繰り返し。今も後ろ髪を引かれる思いに併せ、石を飲み込んだような重い胃袋を抱え、綱手は階上へ一段一段を踏みしめて登っていく。 階下の呼び声は悲痛すぎて、綱手の胸を掻き毟ってやまない。 頑丈な観音開きの扉の向こうで、シカマルは待っていた。 「綱手さま、今から出発しようと思います」 「あぁ‥、メンバーには暗部を連れて行け。とっくに手配してある。お前の命令を絶対とするよう云い遣ってあるから好きに使え」 「ありがとうございます」 それだけのやり取りを済ませれば、任務を受けた忍は出発できる。けれどシカマルは観察するように火影の顔をみつめて、踵を返す素振りをみせない。 「どうした」 いぶかしんで、綱手が問うと 「疲れていらっしゃるようなのは、ナルトのせいですか」 警戒するように綱手の眼が眇められる。 「お前が知ってどうする。直ぐに出発するんだろう」 行け、と云って彼女は深く椅子に沈み込んだ。長い嘆息をおまけにつけて。 「ここに来る途中サクラと話しました。その時少し、昔の話も‥」 ぴくりと綱手の眉根が上がり、強い眼光がシカマルを射抜いた。しかし怯んだ様子もなくシカマルは続ける。 「サクラは話が終わるや気を失いました。よっぽど神経を張り詰めていたんでしょう。来る途中、コテツたちとあったんで預けてきましたが‥」 奴らも肩の力入りまくりでしたよ。 「ナルトを閉じ込めていることは批難しません。けれど今のあいつの状態を知りたい。ネジを生きて連れ帰ったとき、死んでいたとき、あいつの収拾は誰にも難しい。もし、あの時と同じ状態なら」 綱手は今、シカマルと同じ光景が脳裡に甦っているだろう。その目はどこか遠くをみるような不確かな焦点が混じ入る。シカマルと綱手の一直線に繋がった視線を切ったのは綱手だった。独白に似た声音には彼女のみせまいとしていた疲れが滲み出ていた。 「シカマル‥あいつが正常なことをいうほど、わたしには疑わしく思えてくる‥。目には確かに狂気の色が垣間見えるのに、言っていることは至極もっともなんだ。わたしは医療専門だ。精神を病んだ人間も多く診てきた。彼らの殆どは言葉も確りし、誠実な姿勢をみせる。けれどやはり病んでいることに変わりはないんだ。 シカマル、わたしは情が邪魔をしているのかもしれない。ナルトをネジの捜索にあたらせたい。けれどそうはできないことも理性が知ってる。万一の可能性として、ネジが抜け忍になったのだとしたら、ナルトは十中八九ネジについていく。 ネジがナルトを誘えば、ナルトはそれを拒まない。むしろ待っていたといわんばかりにネジの手をとるだろう。そもそも‥ネジが里を抜ける‥それこそが決意の証だ‥。 お前なら分かるだろう?」 「分かります」 よどみなくシカマルは頷く。驕りではない。真実だと彼の本質的な部位が理解している。 机に両肘をつき、頭を抱える綱手は危ういところで火影を保っている。この気丈さがあるからこそ彼女は里の長であれるのだ。 シカマルはそれを尊敬している。けれど今、彼女は里長の仮面に母性を覗かせている。奪われた子供をその胸に抱きしめることを望んでいる母親のような顔をしている。 それを押さえ込むことの非道さといったら! 「シカマル、正直わたしにもナルトの正確な状態を把握することはできない。あの時、誰より長くナルトの様子を観察できたのはお前で、あの場所へ出入りできたのもお前だけだったからな‥」 「生易しいものじゃあなかったですけどね」 皮肉気に口を歪めて、いつもの調子を取り戻したようにシカマルは云った。それに綱手もいつもの挑戦的な笑みを返す。 「じゃあ、面会は」 「やめておけ。任務に迷いを持っていくことになる」 「もう十分迷いまくって悩みまくってますけどね」 「それでもだ」 最後の軽口も真面目に抑えられ、綱出の差し迫った心情をシカマルは思った。そうしてシカマルは里の大門へ向かい、綱手はしばらく椅子に身を預けていた。 窓の向こうの月は裂けた女の口のように、融け落ちそうな熟れた黄色で嗤っていた。 |