この爪がアンタを捕えることがないように この牙がアンタに突き立つことがないように アイのカタチ 平和を切り取ったような日常。 ミミズののたくったような字。 上忍はたけカカシの書記を一言で表すならそれだ。 その不親切極まりない字の羅列した書類をはい、と悪びれな しに差し出す。 受け取った受付係は中忍。受付所という場では階級などさし て問題視されることはないのだが、それでもなんとか読み解 こうと眉を寄せて、目を眇め線の濃淡で文字を分ける。 読めないことも無い、とそれを普段の3倍の時間をかけて読み 解いた彼は顔を上げると、にっこりと人好きのする笑顔でご くろうさま、と労った。 それを受けて、男は覆面の下でもぞもぞ唇を動かし、猫背を 反転させてのらりくらりと出入り口に向かって歩いていった。 そしてそのまま右に折れて去っていく。 切り取った平和を嵌め込んだような日常。 海野イルカという中忍は、あれでなかなか有名だ。 悪い噂、良い噂。どちらも同じだけ囁かれた。 悪意をもって、好意を持って。近づく人間も様々だ。 だとすれば、己はどちらに分けられるのか。 カカシは馴染みの居酒屋で酒を舐めていた。カウンターの隅 に1人で座っている。忍の性か、領域内に何者かが入れば一応 の確認をする。今また店内に響いた入り口の音にカカシは目 だけをちらりと向けた。 そこに髪を高く結い上げた頭が覗き、ついで席空いてる?と 訊ねる一文字の傷を鼻に渡らせた笑う顔が現れた。 奥に一席空いてるけどー 店の当主も朗らかに笑いながらカウンターの一席、カカシの 左隣を指し示した。 知らずどきりと撥ねた心臓を肘はカウンターに乗せたまま左 手で押さえて、何でもない風にまた杯を口に持っていった。 場所を確認したらしいその男は店主に頷くと、まっすぐカカ シのほうへ、混みあう人々の間をぬって、歩いてくる。 「隣失礼いたします。」 律儀に声をかけて座ろうとした男の目が、おやっという風に 開かれた。 「はたけ上忍…?」 軽く首をかしげて、カウンターに片手をついたままの状態で 訊ねる男に、カカシはえぇと顔は向けずに応えた。 「あぁ、よかった。驚きました、こんなところでお会いでき るなんて。」 何がよかったのか訊ねてみたいと思ったが、大して意味のあ る言葉でもないのだろうとやめておく。そしてようやく座る らしい男に場所をあけるように軽く肘を引いてやった。 「よくこの店にはいらっしゃるんですか?」 注文をするために顔はカウンターの向こうに向けたまま男が 訊ねる。それにも下を向いたままえぇと口を動かさずに応え た。 それから気の無いような返事を返すだけのカカシにイルカは ひとり楽しげな顔を崩さぬまま言葉をかけ続けた。 今日もまた受付所へ。 いつからお前は真面目になったんだ、との同僚の揶揄を聞き 流して。 ミミズの這った文字を載せた紙切れを提出に。 どんなに混んでいても構わない。 時間を考えたところで、あの人がいる時間に受付所が空くと いうことなどありえない。 彼の労りに癒されに、彼の笑顔にやすまりに 例えこの身であっても赦される。 そんな救いを与えてくれる。 ねぇ、近づかないから。 ある日また店で一緒になったイルカに、カカシは声をかけて みた。 「イルカ先生は、この店以外にも行かれることはあるんです か?」 前の日と同じようにひとりで話していたイルカは突然のカカ シの言葉に軽く瞠目して振り向いた。それに少しだけ首を傾 げると、はっとしたようにイルカが口を開いた。 「あ、お‥私の名前をご存知なんですか?」 酒のせいか、いや、たった今赤みがさした頬に目を細めながら 「知ってまーすよー。受付所のイルカ先生。」 間延びした声で応えた。 カカシの応えに照れたように頭を掻きながら、どう応えてい いのか分からないらしい口が無秩序な音を発していた。 「光栄です。名前を覚えてくださっているなんて。ただ座っ ているだけなものですから。」 眉を垂れさせながらも嬉しそうに笑うイルカがまたあっと口 を開い、顔を正面にもどしてしまう。 「顔‥見てしまいましたが‥」 今度は不安げに眉を寄せるイルカに自然と声を漏らして笑っ てしまう。それに不安げな瞳のままで振り向いたイルカに嗤 ったまま 「構いませんよ。覆面してんのは癖みたいなもんですから。」 と応えた。とたんに柔らかく崩れる顔が面白くて、また嗤っ た。 それから何度目かの相席のとき、いい酒が手に入ったんです よ、ご一緒にいかがですかと誘われるままにイルカの部屋を 訪れて。 じゃあ御返しにとカカシが酒を買ってきて、それなら今度は 私がとイルカが招いて。 それを繰り返し、一人称も呼び名も変わるほど近しくなった。 あぁ、もうこれ以上は近づきませんから 「任務を頼みたいのじゃが。」 呼び出されて来てみれば、掲げられた紙にはでかでかとSの 字。 「…じゃが、ってどうせやらせんでしょ。」 と疲れた様子で肩をすくめる眠たげな瞳は片方が斜めに着け た額宛で隠されている。 「3日で帰ってこれるか?」 「また無理言いますね…。せめて1週間はくれるもんじゃない んですか?」 鼻の頭まで引き上げられた覆面のために、顔のほとんどを隠 したうえで嫌だと体現するのは声の調子と寄せられた眉。 「Sとはいってもそう難しいものじゃあない。ちょっとした殲 滅じゃ。」 こともなげに言ってのける老爺にしばし考え込むように押し 黙った後重苦しい溜息を吐いた。 「わーかりましたよ。信じますからね?」 恨みがましい眼のまま了承した。 「処理班はやらんから死ぬならちゃんと自分で処理して死ん でくれよ?」 嗤いながら差し出された依頼書を受け取りつつ、ますます嫌 そうな顔をして、それじゃあとあげた片手に紙をひらひらさ せながらドアをくぐる。その緊張感の欠片もない後姿に 「3日じゃからな」 と里長は念を押した。 扉が閉まる直前まで揺れていた紙は、それが聞こえたのかど うか、了解したのかどうかをはっきりとは表していなかった。 ちょっとした殲滅 ちょっとした暗殺 決して栄華を極めたでもないが、それなりに栄えていた国の 大名の。 私設軍隊を作ろうとしていた。 その軍隊ともども滅してくれろと 「確かに…大したことはなかったな…」 軍隊といってもまだ素人に毛が生えた程度の拙いもので、数 もまだ揃っていなかった、と派手に血を被ったカカシは踏み しめれば血を絞り出す生乾きの畳の上で呟いた。 細い月の掛かる天空から澄んだ光が障子をとおして弱弱しく 影を作る。大名の側近たちと大立ち回りをやらかしたおかげ で障子の1、2枚を倒してしまったがそれなりに静かにこと を終えられた。処理班どころか手伝いさえつけてくれなかっ たため見張りにうろつく下っ端までわざわざ片付けながらこ なければならなかった。 今なお残る侍の国。忠義というのは面倒くさい。だからいら ぬ心配で、いらぬ殲滅などを望まれるのだ。 なんだか気分が悪い。こういうときは酒でもかっくらって女 抱いて熱を冷まして寝てしまうに限る。 酒でも‥ 任務を果たすのに確かに時間はかからなかった。それでも現 地に着くまでに1日、準備に半日、機会をまって半日を費やし てしまったから今日はもう3日目にはいったところだ。後片付 けなんてものは必要が無いから今からとばせば夕方には里に 着く。お望みの3日だ。 休暇も弾んでもらおうか。 そんなのんびりとしたことをつらつらと考えながらも、カカ シは収まりきらない衝動が己の内を荒らすのを感じていた。 報告終えるころには丁度良い時間になってるだろうし。 ―S級のくせになんて簡単な仕事 腹も空くからいつもの居酒屋にでもいこうか。 ―気合入れただけ、気が抜けた それとも花街へ遊びにいこうか。 ―まだ足りない。 この爪が、この牙が 貴方を傷つけることだけは望まないのに 笑ってくれますか? ドアの前で、迷うような気配に目が覚めた。 「誰だ?」 構えた声で、扉の外に立っているだろう人物に声をかける。 そろりそろりとノブに手を伸ばし、ゆっくりと右に回す。カ チャリという場違いに高い音が静まり返った空気を震わせた。 古びたドアが耳障りな音を立てながら外を覗かせていく、や がて数十センチ空いたそこに足が、腕が見えた。視線を上へ ずらしていくと、顔を隠すように陰を埋め込んだ顔、と月の 光を拾って、余計に冷めた印象を与える銀糸。 「カカシさん?」 ふっと緊張のとけた声は嫌に間抜けに聞こえた。 近づきませんから これ以上近づきませんから 爪のとどかない場所で踏みとどまります 牙を剥いても、突き立てません 近づいたりなんてしませんから 「戻ったか、カカシ」 窓から差し込む冷えた光は、部屋の半ばほども照らさずにと どまっている。 その光の中に立つ老爺は、光から外れた闇の中に膝を折る影 を見とめて云った。 闇の中にも隠しきれぬ鮮やかな銀の髪は、まだらに赤黒く染 まっている。 「水を浴びてこなんだか。」 仕様の無い奴よと溜息を吐きながら、一枚の紙を机の上から 取り上げて投げよこした。 「明日までに提出せい。」 頷くことで了承の意を伝えた影に、それと、と口を開く。 「2日間の休暇を与える。ゆっくり身体を休ませるがいい。 2日後にまた任務を負ってもらう。」 下がれ、と云う言葉に従い、頭を垂れたまま姿を消した。 突然の来訪者に慌てたのはイルカだった。 「カカシさん?どうしたんですか?」 半分まで開けていた扉を慌てて全開にして、玄関にその身体 を招き入れる。 「血だらけですよっ?任務だったんですか?お怪我は?」 あわあわと、せわしない身振りで傷の確認をしよう伸ばした 手を、黙したまま口を開かなかったカカシの手が掴んだ。 血をすって乾いた硬い布を手首に感じ、びくりと身体が揺れ た。 どうしたんですか?ともう一度問おうとして、ただ空気だけ が吐き出された。沈鬱な空気が流れて、イルカのこめかみに 汗が浮かぶころ 「‥酒を飲みたいと思いまして」 布に阻まれくぐもった男の声が鼓膜を震わせた。それまで纏 っていた雰囲気を掻き消してしまう柔らかい声は、イルカの 強張っていた肩を解した。 「買ってこようと思ったんですけどね、時間が時間だからど こも閉まっちゃってて。」 すいませんけど、今回は奢っていただけません? 軽い調子で、戯れのようにおろしていたもう片方のの手を拝 むように顔の前に掲げて肩をすくめる男に、ぷっと吹き出し て 「いいですよ‥どうぞ」 肩を震わせながら、表情を崩したイルカが道を開けた。 「先に湯を浴びられてはいかがですか、浴衣がありますから サイズは心配いりませんし。」 玄関を入ってすぐの台所からドアを挟んですぐの脱衣所へ入 っていくイルカの後姿を眺めながら、いいですねぇ、ありが とうございます。と和やかに応える。 次々に明かりが増えていく部屋の中、そこにたたずみながら カカシは長い息を吐く。 この爪がとどかない この牙が剥かない場所にいますから 「カカシさん、湯舟の水は直温まりますから、とりあえずシ ャワーを浴びていてください。」 ドアから朗らかに笑う顔を覗かせたイルカにはい、と笑い返 しながら入れ替わりに脱衣所へ入っていく。 「風呂からでたら酒飲みましょう。腹は減っていませんか? 簡単なものなら用意できますけど。」 「じゃあお願いしまいします。実は腹ペコなんですよー」 扉の向こうから聞こえる情けない口調に、また笑いを誘われ ながら分かりました、と応えた。 貴方を傷つける場所には入りませんから 俺に笑いかけてください。 湯は浴びずに水だけを浴びた。 終 カカシ先生の誕生日だと前日に気づいて日付変更線(違)渡り ながら書きました。 突発で何も思い浮かばなかったため友に助けを求めリクを求 め全然消化できた感がないままアプです。(痛) 『カカ→イルで片思い。スキと言えないカカシ先生』 どうだ!ごめんさ!でもスキって云ってないから!! 20040915 |