それはホントの痛みじゃないんだよと 教えてあげた。 Phantom pain 無くした腕が痛むと嘗ての師の友人だという男が云った。 血みどろに汚れ、片腕を無くした体で笑ってみせるのは、彼の強さの表れかと働かない頭で感心したように頷いたけれど。同時にもれた返事に苦笑したから、それは間抜けなものだったのだろう。 『‥いいですね。』 そうだ、よくよく考えてみれば何が『良い』のか判りはしまいが、俺は『好い』のつもりでいったのだ。 ---実物なくて痛むのは脳の錯覚じゃないですか。 ---見れば無いことを確認できるんだからまだいいじゃありませんか。 ---俺はね、‥まだ面倒な人を知っているんですよ 隣に座る男が疲れたように岩肌に凭れているから、その男は心配したのだろうか気遣うように顔を覗き込んできて、喉をふるわす心地良いバリトンで尋ねてきた。 『つらいのか‥?』 薄暗い洞窟の中ではいかに目がきこうとも確かな顔色を窺い知れるはずもない。それを分ってはいるけれどもこの状況でそんな優しい台詞がでる人間に笑いがこみ上げた。 嫌な笑い方だったろう。口を歪めて見下げるように目を細めるものだから、疲労からくるものだろうとそれは嘲笑だ。 『あぁ、気を悪くしないでください。すみません、貴方があんまり珍しいことを言われるものだから。』 『珍しいとは?』 憮然と訊き返す男に懐かしいあの人の影が重なって、また訳もなく可笑しくなった。 『他人を心配をしている余裕なんてないでしょう?』 答えたと同時に駆け込んできた仲間の焦った声に、ほらと隣の男の肩を叩いて立ち上がる。 『自分のことだけ考えておかないと‥』 戦場なのだから‥ 後退を余儀なくされて、山奥へ逃げのびて、それでものこのこ帰ることはできないから かといってむざむざ死体をさらすこともできないから 『死ぬにしても、敵は全員道連れにしないとね』 それが唯一己の誇りを示せる方法なのだから。 けれど、そうすれば里で待つあの人は泣いてしまうかもしれない。 また、胸が痛いなんていってあの水を流すのかもしれない。 それならまた教えてあげなくては‥ ---それはホントの痛みじゃないんだよ 生きて還って教えてあげなくては。 表面にあるものじゃないから見せてやることもできない。 切り裂いて見せるわけにもいかないから証明することもできない。 ねぇ、だから貴方。無い腕が痛いと笑えるなんて幸運なことなんですよ。 無い痛みに泣くあの人を慰める術のない俺はなんて無力で情けないんでしょう。 この身に縋って泣く人よ 胸を押さえて泣く人よ その前で、ただ途方にくれて貴方を見下ろすばかりの無情な男はなんと哀れに映ることだろう 『あなたを見ているとと胸が痛くなります』 その言葉の意味の欠片だけでも知ることができたなら その時こそ貴方を慰められる男になるだろうか 肩を抱いて、背をさするだけの男から脱することができるだろうか 白刃の向こうの白い月 闇夜を割いて笑う月 その鋭利な先端に彼の人を痛みをみるようで、知らず刀を握る手に力がこもった。 湧き上がるのは胸の奥 これはあの人に通づるものだろうかと、そう考えて嬉しくなって 是非とも教えてやらなければと初めて還る理由が変わり、飛び込んだ敵とも味方とも知れぬ男の胴を裂いた。 そうして方々から飛び出す人型の影と空気を裂く怜悧な音に、戦い方を知る身体は思考することを中止した。 幻視痛 '05/03/24 耶斗 |