[獣]



――――獣

 口際を紅に染めて、己の腹から見上げる眼はまごうことなく獣だった。



「お前が俺を好いていないのは知っている。」
 云いたいことを云った口で、男は応えも待たずに喋り続ける。
――それでも、もう多分還ることはできないから‥

 臆病な男。そんなに好きなら、今この場でヒトのことなど構わず押し倒せばいいだろう。
 憎まれる覚悟があるのなら、偽善に距離をとらなければいいだろう。
 抱けよ。
 俺を 抱け。

 俺から云ってはやらねぇんだから。




 傷付いた腹を抱えて木の根元に靠れていた。
 見上げた枝の葉の間間から月の影が零れて、葉の影象った月はまん丸だった。
 自嘲に笑おうとしたけれど口端の筋肉は引き攣って、喉は渇いた空気の音しか鳴らさなかった。
 己が里を出る数日前、門の前で見送った男の顔を思い出す。清廉潔白といった顔をした男。黒檀のような髪は長く、美しかった。それを密かに好いていたと自覚するのが今なのだからなんとも勿体ない真似をしていたものだ。そういえば、あの男も己の髪を好きだといつだか言っていたっけか。忘れてしまったな、と彼は息を吐き出す折漸く唇を撓めることが出来た。右手の押さえる左脇腹からは今も血の止まる気配がない。幾度か任務中重傷を負う経験はあったけれども、どうやら今回ばかりは年貢の納め時というものらしい。いつもの、理由のない自信も湧かなかった。
 これはやはりあの男の、別れ際のあの言葉の所為だろう。
 傷のことより生き残ることより、あの表情(かお)が忘れられないじゃないかと青年は悪態を吐いた。その内に、重くなる目蓋に抗うことも出来なくなって、恐らくは死の間際だろうというのに酷く安らかな、まるで綿に包まれているような温かささえ感じながら、青年は視界を放り出した。



 放棄したはずの痛覚に青年は目を覚ます。
「つ‥っ!?」
「気がついたか」
 痛みの先に視線を投じれば己の腹から顔を上げる夢とも現ともつかぬ貌。あるはずがないと咄嗟に否定したほど、青年にとって意外すぎる男の貌だった。
「ネ‥ジ‥?」
 呆けたように呟いた彼は傷付いた腹に力込めて頭を持ち上げていることすら忘れる。闇に慣れた忍の目には、濃い翳被った男の口の周りが紅に濡れているのを見分けることが出来た。
「何‥やってんだってばよ‥」
 青年の口が哂おうとする。呆れにか、悦びにか、会いたいと思ったつもりはなかったが、彼は確かに己が目を閉じるその時まで思い浮かべていた影だ。
「お前が木の根元に倒れていたからな。死んだのかと思えば腹が立って確かめてみれば虫の息ほどだが‥生きていたから助かるだろうかと手を尽くしているところだった」
「それでなんで口の周り真っ赤なんだってば‥」
 くつくつと殺しきれない笑いに喉がなり、震える腹に、その度に痛みが奔るがどうしようもない。死を受け入れたあの穏やかな気持ちはとっとと遠くへ行ってしまった。青年は漸く自身の腹が曝け出されているのを視認する。そうして深く裂かれた腹が大分塞がっていることを知覚した。
「見よう見まねの医療忍術を施しながらお前の腹が美味そうで」
 思わず食ってみた、とそこに口寄せたことを男は悪びれなく告白し、木の根を寝台代わりに横たわる重傷人がさも可笑しそうに、傷の痛みも堪えながら涙浮かべて笑う理由が分からないという風な顔をした。
「どうしたんだ?ナルト」
 問うた彼に、青年は笑うため直ぐに応えることは出来ず
「な‥んでもない‥、傷、一応塞がってるみてぇだから里まで運んでくれねぇか?」
 額押さえた掌を僅かずらし、己に被さる男を見上げながら笑んだ。
「そしたら確り俺をお前のものにしろ」


 云ってやる。あぁ、もう云ってやるよ。どうしようもないお前だから、この勝負、俺の負けでいい。





長い間途中放置して加筆完結させたブツ。
1/6の日記より
2006/02/15 耶斗