青年…いや、少年が走っている。音はない。
空気と一体になるように、木々の一部になるように
枝をわたり、走っている。


心臓が破れるほどに鼓動を打ち、喉はとうにかわき、潤いを欲す。
けれど彼は止まることなく走り続ける。
纏った衣は誰のものかの血に染まり、もとより赤黒かったそれはさらに毒々しく存在を主張する。
隠し切れぬ金糸が闇夜に線を描いた。






―白昼夢のような幻


明かりのいっさいがないくらい洞穴の中、ネジたち3人がはいったそこにはわずか12人が構えていた。一人頭4人だな、とのサスケの言葉以降そこに言葉らしい言葉はなく、ただ大分老いた男たちの短い悲鳴やすぐにきえた掛声だけが反響していた。


―幻のような白昼夢

眠りから覚めた直後のような感覚でネジは仕事を終えた。男の心の臓を突き刺したばかりのクナイを引き抜き血をきる。いつからだったか、仕事以外の時間から仕事の間にまであの感覚が浸透してきたのは。ネジは噎せ返る血の臭いに満ちた洞穴でため息をつ いた。
いまだ夢から覚めない感覚。それはひどく心地よく、そして不安を掻き立てる。



「終わったな」
一仕事終えたと、シカマルは気の抜けたため息を吐いた。
「随分あっけなかったな。」
半ば怒気を孕んだ声が言った。その声の主はそのまま脇目もふらず入り口であった裂け目からさっさと外へでてしまう。もはやここにいる理由はないというかのような一種の潔さで。
「ネジ、いこうぜ」
死体の始末は後の奴らがやってくれる。たたずんだままのネジをどう思ったのかシカマルがそう声をかけた。それに
「あぁ」
と、応えた声は奇妙に掠れて聞こえた。そのわずかな変化に歩き出そうとしていたシカマルの足も止まった。
「どうした?」
幾分警戒する声が訊いた。ここでなんでもないといえるほど、ネジも自身を無視する男ではなかった。しばし考え込む気配が漂い、やがて
「違和感が…消えない…」
彼には珍しい戸惑いを感じさせる声だった。
滝壺の傍にきたとき感じた違和感。あれは音と臭いだけではなかったのか。
そう、まだあった、初めに言ったはずだ
「罠が…ないんだ」
一筋の光明を得たかのようにネジが顔をあげ、シカマルに向き合うと
「サスケを呼べ。この中を探るんだ!」



ネジのいうままに洞穴の中を共に探った2人は、ネジの感じたものと同種の違和感を覚えていた。
「確かに…おかしいっちゃーここに来る前からおかしなことだらけだった。」
天井を仰ぐようにしながらシカマルは息を吐き出した。
洞穴の中心あたりに集まった3人は皆難しい顔をしている。
「罠を仕込むどころか…隠し通路もないとはな。これだけの穴を掘った奴らだ。外へ続くもうひとつの穴ぐらい掘っただろうに。」
初めはネジの言葉の意味をつかめずにいたサスケもその違和感の正体を掴んでいた。
「改めて外も探ってみたが、やはり滝壺からむこう10m程度に罠は皆無だ。幻術用の花ばかり。…ここいらを傷つけまいとするかのようだな。」
傷つけまい。それは守るものがあるということ。
守るもの。それがなんなのか。
認めたくて、だが信じられない
そんな思いが3人の中に交錯した。





 □  □  □





あぁ、くそ、またか。
少年はいい加減嫌気がさしていた。そしてそれと同じくらい深い悲しみを感じていた。

今回は初顔の仲間とチームを組んでの任務だった。B級と聞かされたそれは実際に任地へ赴いてみると、とうてい自分たち中忍に負えるようなレベルではなく。嵌められたと気づいた頃には深くに入り込みすぎていた。
そこから任務遂行を諦め逃げに転じたところで満足な身体で抜け出せるわけがなく、深い痛手を負いながら任地の国境を越えたところで追っ手の数が増えた。

ここで、あぁまたか、だ。
任務内容を偽るだけならば、まれにだが、ある。
金がなかったり、敵国が戦力をそぐために手を回していたり。だからそれだけならばここまでの失望も味わわなかった。
それが、あぁまたか、と自分の目的とするものを諦めたくなるほどの失望を味わうのは、その追っ手にみた、覚えのある額あて。わざわざ見せ付けるようにさらした同郷の。
嵌めたのは 仲間のはずの者たち。

そのなかに、チームをくんでいた二人はいなかった。
あぁ殺されたのだ。と怒りとも安堵ともとれぬものが胸中に沸いた。
憤怒と悲哀と、全てを投げ打って笑い飛ばしたい気分と泣き出したい気分と、怒りにまかせて相手を切り刻みたい気分と。己を飲み込もうとする激しい感情の中で、ただひとつ確かなものを感じていた。
貫き通すと決めていた。

オレは、まだ死ねない。


印を結ぶことも叶わぬほど血を流しすぎて持ち上がらない腕、もはや最後の力と踏み切った先、それはあった。
ごうごうと音を立てて流れ落ちる滝の下、なみなみと水を湛えているであろう霧立ち上る滝壺にその身は落ちていった。





「まさか…いや、ありえない」
「ネジ?」
「あいつがここにいるなんてことは…ありえない。」
「なぜそういいきれるんだ。」
その可能性を認めまいとするネジにシカマルがいぶかしむ。
見えないんだ。と、わずか躊躇するように黙った後、ぽつりと呟いた。
「見えないんだよ。どこにも。壁の向こうにも地の底にも。どこを探ってもあいつの姿はない。」
「なにも隠しもんは奥にあると限らねぇだろ。ここには…」
「水底だろう。いない…。」
シカマルのいわんとしたことを受け取ってネジが失望に目線を落とした。


「…ふざけんなよ」
「?」
「ふざけんなよ!?ネジ!! 」
がっとネジの胸倉を掴んでサスケが詰め寄った。
「うちは?」
「一番信じていなきゃなんねぇお前が、あいつが生きてるかも知れねぇ可能性否定してんなよ!」
「おいっサスケ!?」
サスケが、あのうちはサスケが激昂することなど、いや激昂したところを顕にすることなどめったにあることではない。それ故に2人は驚き、シカマルはとっさに止めに入ろうとした。
それだけ珍しく、そしてその怒り様が表すようにサスケもまたその存在を信じたかったのだ。
「だが事実ここにあいつはいないっ。目に見えないものをどう信じろというんだっ!」
「…お前の言葉とは思えねぇな。」
へっと鼻で笑って、サスケは言い捨てた。
「お前の目は、目に見えるものだけを見るものかよ?掴めるものだけを捉えるものかよ。忘れんなよ。俺たちゃ忍びだ。隠すことには慣れてる。隠れることにもな。
 見えねぇもんを見せる術も、見えるもんを見せねぇ術も持ってる。それにだ、どんだけ遠くを透し見ることのできる白眼も、騙せねぇことなんてねぇんじゃねえか?」
そこまで言ったサスケの言葉に、言わんとするところを理解したのはシカマルだった。
「そうだ…ネジ…あいつの腹の中にいんのは…」


 九尾だ。





 □  □  □





恨んでないか?責めていないか?
俺は約束を違えたのだ


泣いているか?憎んでいるか?
お前を守ると誓ったのに


俺は約束を違えたのだ




「九尾…」
ネジの舌がその字をたどった。
それはもはや、彼と親しいものたちとの間では知られていることだった。なにより邪悪でどこまでも底なしの強大なチャクラを有する天災。そう称せらる九尾の妖狐。
「あいつならお前の目も欺く結界を作れるんじゃねぇか?」
あのチャクラなら
それは確信だった。



責めていないか怨んでいないか
お前を守れなかった俺を





…責めているのはお前だってばよ‥



現れたその時から何一つ語らなかった影が、いま初めて口を開いた。

「だとしたらやはり、水の底だろうな。」
ネジの目が光をみた。





 □  □  □





いるのか、そこに。お前はそこにいるのか?



ネジの髪をゆるく束ねていた紐は解け、とうに水面へ上っていた。霧に阻まれ少しも光の差さない水底へ向かって、ネジは潜り続ける。いかに鍛えた肉体とはいえ、身体にかかる負荷は耐えられる限界に近かった。それでも、暗い水の先に、やがて触れると、見れると信じて手を伸ばす。まっすぐに。
深淵に立ったかのような闇が身体を包み、体温を奪っても、潜るほどに得る確信にネジは力を得た。

この先に、いる。絶対に、お前はいる。


やがて触れた冷たいそれは、瞬間碧く淡い光彩を放ち、水晶ほどに透き通り、金剛石より硬く、そしてその向こう、ネジの触れる壁のすぐそこに彼は眠っていた。


いた…ナルト…
ナルト……っ


3年前と変わらぬ姿。纏う衣服はぼんやりとした明かりの元でも確かに血が濃く染み込んでいるとみれるのに、目に見える肌に傷は微かにもついていなかった。
3年前、任務に出ると、見送った姿そのままに。



ざぁっと水を押し上げ、落とした音の後、霧のような飛沫の中からネジが現れた。
「どうだった!?」
二人のその問いに答えたのは、ネジのこれまでにないほどに穏やかな笑みだった。