所有したいという欲求は確かにこの身体のどこかへ潜んでいただろう。 けれど、所有されるばかりの身の上でさらに占有されたいだなんてそんな願望、抱くことなど夢にも思っちゃいなかった。 ただ一人。 ただ一人だけに。それだけで‥ 人群の中まるで道を譲られるように難なく歩いていく背中は高く結い上げた黒髪を揺らしている。 それを視点にはたけカカシも昼間の喧噪を潜っていく。いつからか始まった日課は、自慢できまい、男相手のストーキングだ。 それでも本人ばかりは至極楽しげに、しかし表情にはなんらの変化なく覆面の下だけが笑んでいた。 ここのところ妙な人間につきまとわれている。それも気配から察するに同業者とみれるからなんとも厄介で、ならずもそれはおそらく己より階級は上であるようなのに、時折気づいてくれというような明らかな気配を投げかけるものだから余計に厄介でイルカは始末にも反応にも困っていた。 だってアンタ男だろう?俺はどこからどう見たって何の変哲もない男だろう?ついでに(自分で言うのもなんだか)人目を引くような特別魅力のある容姿でもないだろう。 一体どんな経緯で見初められるに至ったのか。否、それならそれで潔く姿を見せればいいものを何をこそこそと‥。 今日も振り返ったとて無駄だと知っているイルカは腕に抱える買い出しの袋を抱き直しながら嘆息するのだ。 云いたいことがあるのならはっきり言えばいい。 背中の寒くなるようなあからさまな情欲の視線を送られるよりはいっそ押し倒してくれりゃいいんだ。そうすればその顔を拝めるし、あわよくば横っ面に一発食らわせてやることもできるかもしれない。 良くも悪くも直情型だと評価されているが、こちとらそんなことはとっくの昔に承知している。精神に及ぼされる被害は甚大。この際階級なんて関係なかろう。引きずり出してぶん殴ってやる。 さて、とイルカは自宅へ帰りついて早々始めた支度が整った卓袱を満足げにみやってその前にでんと構えた。 卓袱の上には菓子と緑茶。二人分のそれは招く客のあることを示している。すぅ、と一度やはりどうしても緊張してしまう自身を落ち着かせるために息を吸って、 「出てきてください。いらっしゃるんでしょう?」 器用に気配を散らして所在を定かにさせない男を呼んだ。 理由なんて知りません。 一目惚れかもしれないしそうでないかもしれません。 いえ、きっとあれは惚れるなんてものでもなかった。あれは、確信だろう。 限りなく真実へと近づき得た者のみが得る、揺るがせにできぬ確信だ。 アンタは、俺を所有できる。 そうして飽きさせるなんてないだろう。 意外にも男はあっさりと姿を現した。それがあんまりたわいもなく、そして男に悪びれる様子のみじんも見て取れぬことにイルカは呆気にとられたほどだ。 窓の外に隠れていたらしい男は銀髪の後ろ頭を掻きながら、片目しか出していない顔でわらっていた。 「や、どうも初めまして。はたけカカシといいます」 今までさんざん頭を痛ませてくれた男はそう、妙な礼儀正しさで頭を下げさらに重い鈍痛を側頭に与えてくれた。 『はたけカカシ』と名乗った男は初めの印象通り奇妙な男だった。 おどけたような空気は彼本来のものなのか、それとも図られたものなのかそれすら判然とせずにイルカは戸惑ったままだ。 誘われるまま腰を下ろしたはたけカカシは暢気な態で茶を啜っている。どうやら己には顔をみせてもいいと考えているらしい、とそれだけは分かった。 「あの‥、カカシ、さん‥?」 「はい」 飄々としたその雰囲気に情けなくも緊張はいや増した。 再度深く息を吸い込んで、イルカは決然と口を開く。 (負けてたまるか) 勝負事じゃないとはいってくれるな。これはもはや命もかけた戦いと、それくらいの気概でなければ立ち向かえない。 呑み込まれそうになる弱腰の確かな理由を今は考えるまい。 「ここ数日私を見張っておられるようですが、その理由をお聞かせ願えますか」 ちらりとこちらを見やった青の目に 「おやぁ?気づいておられない?あなたそれは悪い冗談でしょ。俺はあんたを好きなんで〜すよ」 覚えた予感は的中した。 なんでそんなあっけらかんと‥。貧血に似た目眩に頭を抱えたくなった。 どうやら互いの常識も異なっているらしい。 「大丈夫ですか?イルカさん。具合でも?」 尋ねる男は確実に面白がっている。名前を知られていることはまぁ当然だろうとは思いつつそれでもつっこんでやりたくてしかしそれもできないくらいのダメージだ。 カカシを凝眸する形だったイルカは慌てて頭をふった。 やばい、やばい。これはさっさと片をつけないと。 はたけカカシよ。声を立てて笑いたかろうが我慢しろ。だけども笑いをかみ殺そうとしている姿もムカつくな‥。 「いえ‥何でもありません。 カカシさん、申し訳ありませんが私にあなたとつきあう意志はありません。どうか二度と私の後をつけたりだとかそんなことはなさらないで下さい」 「えー?それじゃ俺が困りますよ〜。俺はあんたじゃないとダメみたいなんだから」 なんだその『みたい』って 「そうおっしゃられても私の意志は変わりません」 言い切ってイルカはいい募ろうと口を開いた男を目蓋で遮蔽した。 思案する気配が窺えるが全身で拒否する構えのイルカに容赦のつもりはない。これで話は終いだと、とっとと消えろとそんな意思表示だった。姿の見えぬ視線に神経をすり減らされたあげく、正体を現した犯人はとらえどころなく人を疲れさせる。慈悲なんて自ら奥へ引っ込んだ。 「ん〜‥じゃあ仕方ないですねぇ」 しかしイルカは己の迂闊に後悔する。 目なぞ閉じてはいけなかった。相手の動向を探る視覚を自ら放棄するなんて。 「実力行使ですか」 既成事実作っちゃいましょ。とそんな阿呆な言葉が上から聞こえたと思ったら、背中は既に畳みの上だった。 「わーっ!わーっ!、な、何してんですか‥っ」 「だから実力行使。多少順番違っちゃいますけどこの際仕方ありませんでしょ。おとなしく抱かれてください」 顔を押しやられながらもはたけカカシの口調は変わらないし、彼の手はイルカの肌に進入する。 「だ‥っ!?抱かれるわけがないでしょう!放してください!」 「ダ〜メです。俺もう決めちゃいましたもん。アンタのものになるって」 「え‥?」 上衣を捲りあげられ胸の突起を食まれた。走った刺激に息を飲み、そのせいで弛んだ手の力に気をよくしたか、男は上衣を捲る手でイルカを押さえつけもう片方の手と舌で飾りをなぶった。 「あ‥っ、な、やめ‥」 胸を圧迫する苦しさと弄られる甘美感と、どちらから先に引き剥がすべきか判断できなくてどちらの抵抗も疎かなものになってしまう。 「‥っの、やめ‥ろって‥っ」 胸の上から漏れた男の喉の奥で笑う音に、イルカの手は拳を握った。 「いってるだろ!!」 強力な拳骨はカカシの頭に見事見舞われ、銀髪の頭はイルカの胸に沈んだ。 「いったぁ〜い。何すんですか突然‥」 恨みがましく見上げる目をイルカは整わない息で睨みつけて 「やめろって言ったでしょう!さっさと俺の上から退いてください!」 かろうじて敬語を保ちつつ、それでもイルカの手は2発目の拳骨に向けて準備は万全だ。 「あ〜はいはいはいはい。分かりましたからそんな怖い顔しないでくださいよ。泪浮かべて壮絶に色っぽいです」 「な‥っ」 まだ言うか!と拳が降り下ろされる前にカカシは身を起こした。しかしそれはイルカの拳が届かないところに逃れただけでイルカの上には乗ったままだ。だからイルカは中途半端な位置までしか起きあがることが叶わない。 「ねぇ、あなた俺を所有したいとは思いませんか?」 「はぁ?」 また何を言い出すんだと胡乱な目で左目隠した男を睨み上げれば、男は斜に構えて小首を傾げた。 「俺を、あんたのものに、したくありませんか?」 「何を言い出すんですか。ついさっき人を手込めにしようとしておいて‥」 そういえば先ほどもそんなことを言っていたなと、ちらと脳裏をよぎったが、過ぎたことに思いを馳せる余裕はない。今現在進行中の会話を理解する方が優先だ。呆れてものがいえないのが正直なところだが‥。 「勿論ゆくゆくはあんたも俺のものになってもらいますけどね、とりあえず今は俺をあんたのものにして下さい。初めてなんですよ人に所有されたいなんて思ったの」 「‥そんな‥、だったら他の人にでも‥」 いまいち理解できない‥。なんだか恥ずかしいことを言われた気もするがつまりは繋いでくれる場所がほしいということか。 「ダーメですよぅ。お分かりいただけませんか?俺はあんたじゃないとダメだって云ってんです」 見上げる男の顔はひどく整っていた。それに気づいたのは己を見下ろすそれがそれまでの軽薄な印象から一転して真剣なものへと変わったからだろう。 心臓が一度勿体ぶるように鼓動した。 (あれ‥?) 「‥?イルカさん?」 (あれ‥?あれ?あれぇ!?) 嘘だろう!?と叫びたかった。そうできなかったのは叫ぶより先に己が手が口を押さえ、何よりその叫びは目の前の不思議そうに己を見やる男へではなしにイルカ自身へ向けられるものだったからだ。 (嘘だろう!?嘘だろう!?嘘だ!!) 顔が熱い。鏡など見なくとも分かる。口を押さえる手は頬にも触れてその温度を確かめる。 (なんで俺‥っ) 「赤くなってますねぇ」 目を合わせてられなくて俯けていた顔をのぞきこまれぎょっとすれば嬉しそうに笑っている顔。 端正な、女が放っておかないだろう秀麗な 「ぅあっ!」 焦って退こうとして乗りかかられていることを思い出す。びくとも動かなかった。 「あはは。惚れてくださいましたかー?どうですいい男でしょう?」 あなたのものにしたくなったでしょう?と吹きかける息を直に感じる側まで顔を近づけられてさらに迫った眉目に回答である否定を首は示せなかった。 「はな‥っ、離れてください!嫌だ!離れろ!!」 押しやろうとしたらならその腕をとられ、それでも離れたいから上体を支えるためのもう一本で抗おうとすればそちらも奪われた。傍目には己が軽くあしらわれているだろう無駄な攻防は腹筋で支える上体へカカシが圧し掛かることで終局を迎えた。 「う〜〜〜〜」 半ば泣きそうなのは認めよう。だけどなんとも楽しげに笑っているこの男を一発殴ってやりたいんだよ! 「ね、イルカさん。俺をあんたのものにして下さい。そうして一生面倒みて下さい」 「なんだアンタ!俺のヒモになろうってか!?」 「違いま〜すよvそれもいいかもしれませんけどね。俺はあんたの所有物になりたい。あんただけの俺になりたいんですよ」 「そんな‥こと‥、云われたって‥っ」 顔が熱い眦が危険手に嫌な汗かいてきた。 「俺は‥っ」 「ね、お願い。あんたのものにして。俺絶対あんたに尽くすから」 至近距離でその顔でそんな声で イルカはもうカカシの顔を見ていられなくて固く目を瞑った。男が何をしようかなんて考えられなかった。兎に角惑乱する頭を整理したくて視界の遮断を望んだ。そのぽってりとした唇にカカシの薄い、ひやりとした唇が食むように口づけても萎縮したまま動かなかった。 「お願い、イルカさん。俺あんたのものになりたいの」 あぁもう分ったよ降参だよ俺の負けだよ認めるよ! 自棄になって男の唇に噛み付いてやった。 終 2005/09/23 耶斗 |