月のない夜は飢える。 己の手さえ隠す闇に 己の存在を飲み込まれる感覚に 忘れえぬあの衝動のはけ口を求めていた。 チームの一人が狂った。 任務終了後、里への帰還途中のことだった。 ここまでもったのだから最後までもたせればいいのに、とは後のこ と。 任務完了と、敵の追い忍の気配もないことに気が緩んでいたのか、 初めの攻撃は避けるのがやっとだった。 骨の折れる仕事だった。しばらく前線から離れただけで呆れるほど 身体がなまっていた。 3人のチーム。死者はないがそれぞれ大小の傷を負っていた。 そんな中、一人の上忍なりたての男が狂った。 暴走した力は手加減の余裕など考えさせないもので。 その男をしとめるためにカカシが残り、もう一人を里へ向かわせた。 鈍った身体とて上忍の中でも上の力を持つカカシである。狂い一人 片付けるのにわけはない。元々連携よりも個人が得手な男である。 もう一人を先に行かせたのもそういう理由からだった。 だが、頭を使わぬ男はひょんなところから攻撃を仕掛けてくる。酷 く変則的なのだ。 これ以上傷を負うことを厭うていてはらちがあかないとカカシは己 の腹を犠牲に男の喉を掻き切った。 もったいないね、お前。もうちょい精神強ければいいとこまでいっ たかもしれないのに。 死体処理は先に里へ帰った者が話をつけているだろう。 思ったよりも深かった傷に報告を諦め、傷を癒せる場所を探した。 ■ ■ ■ 月のない夜は飢えるんです。とその男は云った。 前は戦場にいたでしょう? それでなくとも高いランクの任務を負っていた。 なのにいまさらのように里に腰を落ち着けてしまったから それを満たすものがなくなってしまった。 それでうろついていたようです。 もともと猫背な男はさらに肩を落としてうつむいている。 その姿とその情けなさの滲む声に、イルカの恐怖は薄らぎ緊張に強 張っていた腕からも力が抜けた。 「何故あなただったのか、あなたでなくてはいけなかったのか。」 極力近づかないようにしていた。日常でかかわることなどないよう にしていたのに。 その反動なのか。 この身体が暴走しないよう、朔の夜は強い睡眠剤を飲んで眠ってい たのに。 だのに、闇に触れた身体は容易く意識の底の欲に動いた。 「すみませんイルカ先生。オレは貴方に…」 すみませんともう一度言ってから、戸口にたつイルカへと足を進め た。うつむいたままの表情を窺い知ることはできないけれど、ふら ふらと覚束ない足元が、彼自身そう意識してのことではないのだと 教えた。 困惑に身体を動かせないイルカの頬を、カカシの両手が包んで、ま た、すみません。と 頭を垂れて請うように言った。 ■ ■ ■ 夢と混同するようになったのは5ヶ月前。 初めに見たときは相手が誰かも分からなかった。 ただ、ひどく興奮していたらしいことだけを覚えている。 己は欲求不満なのかと、その夜は花街にいったが、特に感じるもの はなかった。 2度目までは偶然で通用する。 一度目と同じ人物らしいとしても、無意識下のことだから仕様がな い。黒髪が好みなのかとぼんやり思った。 そうして、また一月後同じ夢をみて、だんだんと相手の輪郭がはっ きりしだした日の朝、 中忍 海野イルカの高く結った黒髪に夢の人間が重なった。 ―――あの髪をといたのは、俺だ――― 頭を下げられたが、応えることなどできずそのまま通り過ぎた。 冷たい汗が一滴、背を流れた。 ■ ■ ■ 4度目がこなければ、それまでのことなど全て笑い飛ばして忘れら れた。だけれども、一月後再び見た夢の相手はやはりあの人で、も はや声をかけることに戸惑いはなかった。 今朝のイルカはひどく気だるげだった。いつも元気の良い姿しか見 ていなかったから意外だった。 その様子があの夢と同調するようで、慌てて頭を振った。 そういえば、一月前のイルカもあんな顔色ではなかったか。 ふとよぎった考えは頭にとどまることはなく過ぎていった。 「イルカ先生」 少し離れたところからイルカに聞こえるくらいの声で呼べば、前方 にいる男に気づいたイルカが一瞬怯えた顔をした。 その意味は分からなかったが、突然上忍から声をかけられればそう なるのだろうと解釈した。 「顔色悪いですね。具合でも?」 対話できるまでの距離になってとりあえず会話の糸口を探す。 「は…、えぇちょっと…」 戸惑っているのが分かる。曖昧な笑みを浮かべ腰の引けた感じが思 おえず笑いを誘った。 「な、なんですかっ?」 わずかに目じりを染めて見上げる中忍に、なんでもないと片手を挙 げかけてその襟刳りからぎりぎりのところに覗く鬱血に身体が強張 った。 「カカシ先生?」 不思議そうに覗き込んでくる顔のあまりの無防備さに緊張が解け、 つい悪戯心があらわれてしまった。 「首、痕ありますよ?」 その位置を己の体で示すと、とたんにイルカは顔色を変え庇った。 「イルカ先生女いたんですかー。」 意外だなあと感心したように言えば、口を噤んでうつむいてしまっ たイルカに首をひねる。 よくみれば青ざめた顔をしているようだ。 それがまた疑問に思えた。 イルカ先生? そう問いかけようとして 「俺も男ですからね」 ハハハ、と乾いた笑いをこぼして無理やりに取り繕ったとうかがえ る笑顔で それじゃあ、急ぎますからと脇をすり抜けようとしたから 「一月前もそんな痕つけてませんでした?」 なんの確証も確信もなかった思い付きの言葉にイルカは心臓を掴ま れたかのように足を止めた。じっと答を待てば 「さぁ…どうだってしょう…」 わずかに震える声でそう応え、今度こそ完全に去っていった。 あのままで終わればよかったのに 己の勘がさせるままあの人に近づいて 結果知った事実に打ちのめされている 近づいてはいけなかったのに 誰よりもそう弁えるべき存在だったのに ねぇ、俺はどうすればいいですか 目の前に立つ男は誰だろう? 初めのあの血だらけの影ではなく 二度目のあの獣でもなく 昼間にみたあの笑顔でもなく この男は誰だ こんな悲しい目をおれは知らない。 たまらなかった。何がどうこの胸を締め付けるのか分からなかった が、兎に角たまらなくてその身体を抱きしめた。 抱きしめたというよりも、抱きついた、と表すのが正しいのかもし れないが。 男が息を呑んだのが分かったが離れることなど考えられずなおいっ そうの力をその腕にこめた。 ■ ■ ■ 随分と酷いことをされているという自覚はあった。 月に一度、無理やりに身体を喰らっていくくせに 昼間は知らぬ顔で通り過ぎる。 なんとも最低の男にそれならばとこちらもそれに倣うことにしたと いうのに 今度は初対面だとばかりに話しかけてくる。 なにを不戯けているのか。わかりきったことを質してくる男に 何がしたいんだ、何を言わせたいのだと腹が立った。 その内に彼が何も知らぬことを知る。 夜の情事を覚えていない。夢と混合し事実を探している。 どうしよう 話すか話すまいか。信じてくれるのか、もう止めてくれるのか 止める? その可能性にいきついたとき、イルカは軽い眩暈を覚えた。 つまる胸の意味を理解できない。息苦しさに頭がぼうっとして視界 が揺れた。 それは歓喜とよぶには奇妙すぎて 馬鹿な、俺はなにを… ふらりと傾いだ身体を壁に手をつくことで支え 馬鹿げてる 自嘲に口を歪め、額を硬い壁に押し付けその冷たさに目を閉じた。 夕暮れの朱い光の中、家路を急ぐ子供たちの笑い声が遠くに聞こえ た。 ■ ■ ■ 嫌いだった、憎かったはずの男の影は随分昔になりを潜めていたの かもしれない。 長いこと、動けることさえ知らないような男の身体からふいに力が 抜けた。 「イルカ先生…?いいんですか?許して…くれるんですか…?」 そんな風に力なく言葉をつむぐものだから、イルカはくすりと笑っ て、腕の力を緩め抱きなおした。ぽんぽんっと宥めるように慰める ように背を叩くと 今までだらりとぶら下がるだけだった男の両腕がイルカの身体を抱 きしめた。 「…っちょ、くるし…っ」 押しつぶさんとするほどの力から逃れようと身体を引いたが、さら に力を加えられて余計に苦しくなっただけだった。 「カカ‥せんせ、くるしいっ」 どんっと背を拳で叩くが一向に力を弱めてくれる気配はなく、しっ かりと抱き締めたまま。 イルカはひとつ諦めたようにため息をつくと 「明日からはもう‥忘れないでくださいよ」 つまる喉から声を絞った。 月が雲間から顔をだし、その微細な光が二人のいる部屋を青白く照 らしていた。 今日だってもう忘れません。 細く微かなその声はすでに愛しいもののそれへと変わって。 終 消化不良。 いまいちでした…なんだかなぁもう。 書きたいことがかけないよ。 耶斗 |