その腕は彼しか抱き締めない。



   視線



 ナルトはよく蹲る。
 それに気づいたのは俺がアカデミーを卒業して、下忍をはじめてそこそこ自由に動けるようになってから。
 校舎の影だとか、潅木の間だとか、寝静まった夜の屋根の上だとか。
 月に浮きぼられたその影がいやに小さくて、曖昧で、月の欠けるとともに消えてしまうのではないのかと不思議に眼を惹きつけた。
 思えばあれが、他人を意識した初めだったのかもしれない。



 長い長い階段の上に、鄙びた神社がある。それは竹林に囲まれ、まるで人の訪れを拒むかのように建っていて、嘗ては人の多く訪れた名残として踏み固められた土は、けれどところどころ青々とした細い草に割られている。
 漆の禿げた崩れかけの鳥居を見上げ、ネジは神域の冷たく澄んだ空気を嗅いだ。


「寒いのか?」
 そんなはずはないだろう。春の陽気は十分に風を温め、里人から冬の着物を剥いでしまった。けれどそう尋ねたのは彼がいかにも冷たそうな石段に尻をついて膝を抱えていたから。
人目の届かぬ御堂の裏、あえて陽だまりを避けるように、竹の葉々の間から零れて差す、明るい昼の日差しから目を背けるように自身を固めて小さく丸まっているから。
「び‥っくりしたぁ。居たのかよ?ネジ」
 緩慢な動作で四肢を伸ばしながら見上げた彼の間抜けな顔にネジは笑いながら、それとは別の、説明のつかない苛立ちに僅か眉をしぼる。
「仮にも忍なら気づくものだ。こんなところで呆けていて、背中を切りつけられたらどうするつもりだ?」
「どうもこうも‥」
 二の句は告げなかったか、自粛したか。答えが大方分っていた為に揶揄ることもなくネジはナルトの隣へ腰をおろした。
 『切り付けられればそれで終わりか、運がよければ反撃するさ』
 お前は きっと そう云うのだ。
「今日うちへこないか。野菜を大量にもらってな。一人では片付けられんから困っていた。」
 いいところで会ったな。
 と笑ってやれば、拗ねたようにして口をとがらせたナルトはいう。
「野菜きらいだってばよ。どうせ奢りならラーメンがいいってば!」
「お前は放っておくと毎日ラーメンだろう。」
 ため息つきつつナルトの腕をとり立ち上がったネジは、引き上げられてうらめしそうに見上げるナルトの眼をさけるように視線をそらし微笑しながら言った。
「決定だ。今夜は野菜づくしだな。」
 思ったより早く片付きそうで助かる。と
 なんなら泊まっていってもいいぞ。と
 踵を返したネジはナルトを振り返らないままどんどんと先を行く。そしてそのまま、後を追ってこない彼の気配を無視したまま角を曲がった。
 追って来い。と彼の背中は云う。
 全身で哀願しながら、ナルトが追うことを疑わない。
 その背が強く、そして恐ろしいとナルトはいつも思うのだ。
 『背中を切りつけられたら--』
 まさか。お前は本気で云っているわけじゃないだろう?
 いつでも俺の後ろにいるくせして、時に試すように問い掛けるのはやめないか。
  背中ヲ切リツケラレタラ
 そうだな。そうすれば
  そのまま死ぬか、道連れか
 お前が望む方を選ぶよ。

 俺を殺すのはお前だけ。

 また、不意にナルトは自身を抱えるように腕をまわし、一度身を震わせ唇を噛んだ。
 この腕がお前に差し伸ばされることはないんだ。ネジ‥。
 張り付いた足裏を引き剥がして歩き出す。


 いつからか、側に在るようになった視線。
 探るようだったそれが慈しむような柔らかなものに移ろうたことに気づいていた。
そして時折、己の奥をざわめかせ、眠る熱を引き出す時には、決まって姿をみせずに消えていくことにも。



 初めは自身を慰めるためだった。
 独りだとて平気だと、他など知らぬと強がりに身を守った。
けれど今、誰かに求められることを知った今、己の核から引きずり出される醜悪な渇欲を押し込めるために抱き締める。
 出て来るなと、恐ろしいから押さえ込む。
 こんな感情俺は知らない。
 こんな感情俺はいらない。
 全てきっと悪いのは、俺を苛むあの視線。
 すべてあの眼が狂わせた。

「待てってばよネジ。じゃあせめて食前の一杯!」
 安定しない地面に舌打って、先行く背中を見つけ駆け出したナルトが人差し指を突き立てれば、ようやくネジは「馬鹿か」微笑して振り向いた。それが安堵した子供の笑みと同じようだと思うのは単なる錯覚か。
 そう考えたのがばかばかしくて、俯きがちにナルトはネジの隣に並んだ。
「折角腕を揮うんだ。たっぷり食べてもらわないとな。」
「んなこと言ったってまだ昼時だってばよ!ってあたた‥」
 わしゃわしゃと、常にない粗暴に頭を掻き乱され上げかけた頭を再び俯ける。
「何すんだってばよ〜」
 ぐしゃぐしゃになってしまった髪を手櫛で整えながら上目でそう文句をいえば、月長石の瞳が笑いながらナルトを見下ろした。
 そしてそのまま笑っただけで何にも云わずに前を向き、気持ち速度を速めて歩き出した。
 「は、あ?待てってば。ネジ歩くのはえーんだよぉッ」

 どくりと、鼓動は飛んだまま帰ってこないのではないかと思った。
 あの『眼』がまっすぐに己を見たから。

 すべてをあの眼は狂わせる。




   終



兄さん上忍。ナルト下もしくは中忍で。

'05/03/22 耶斗