逝ってしまった人への10の言葉


四イルベースのカカイル

01:Dearest  恋しい
02:Selfish man  勝手な男
03:Till the end of time  未来永劫
04:Whitewash  奇麗事
05:Waiting in vain  待ちぼうけ
06:Just fantasy  ただの夢
07:If in rain  雨の中なら
08:The flower which withers  枯れた花
09:Please leave only some one before ...  何か一つだけ、残していって
10:Word of separation  別れの言葉

『unskillful』様配布







06:Just fantasy




「イルカだよ」
 そう、紹介された少年は自分よりひとつ年下だといった。
「僕の弟子のカカシ」
 そう、己を指してイルカに哂いかけた師匠の顔がそれ以後カカシの胸にくすぶる黒い炎になる。
「よろしく‥えっと、カカシ‥?」
 おずおずと伸ばされた手を、カカシは取れなかった。




 イルカはアカデミーを卒業したばかりの下忍一年目である。
 そのイルカがどのような経緯で四代目火影と懇意の仲になり、あまつさえ彼を名で呼ぶことを許されているのか。幼い頃からの付き合いではないことは知っている。だとすれば上忍だというイルカの両親関係だろうか。
 そんないつもの取り留めの無い思考を回らしながらカカシは、野原の真ん中で戯れている二人を、遠くからじっと見つめていた。
 子供の甲高い笑い声が蒼天に上る。カヤクもまた楽しそうに笑い声を上げている。どうやら影鬼をしているらしい。
(鬼は‥‥‥。イルカか‥)
 くるくるとカヤクの周りを回るイルカと、その小さな足が己の影を踏むのを軽やかに避けるカヤク。
(ほんとに‥仲が良いな)
 暇さえあればカヤクはイルカを構っている。イルカが側にいるということは、カヤクが空いた時間を過ごしていると誰もが認識しているほどに。
 野にごろごろと無作為に埋まる岩の上で、カカシは片足首をもう片足の上に乗せ、乗せた足の膝に頬杖をついていた。柔らかな風は夏の湿り気を帯びているから直、雨が降るだろう。
 空はこんなに蒼いのに。
(そもそもどうやってイルカは師匠の居場所をつきとめるんだ‥?)
 つい先ほどまでカカシはカヤクに稽古をつけてもらっていたのだ。小憩をとろうかとカヤクが提案したとたん、イルカの高く結い上げた尻尾が林の中から現れた。最近現われる頻度が上がったように思う。この間の、三代目と師匠の長い話し合いの日以降からだ。けれどそんなことをカカシが不思議に思うことはなかった。
 確かにそうと言える自信もなかったから。
(師匠があらかじめ呼んでたのかな‥)
 任務はいいのか‥?
 どれもこれまで幾度となく思考したことだった。なのに未だ明解を得ていないのは、答を知っているだろうカヤク本人に尋ねられずにいるからだった。
(不可侵なんだ‥あの二人は‥)
 だからこうしてカカシは二人から離れたところで見守っている。
 混ざることはおろか、近寄ることさえ遠慮して。それもこれも全てカカシの勘が彼に命令しているからだった。
(近づいてはいけない触れてはいけない侵してはいけない‥)
 師匠をとられたという子供じみた嫉妬は無かった。むしろ初めからそうあるべきだとされてでもいたかのように、カカシは妙な納得を覚えたのだ。
(あの二人の在り様は、まるで、夢)
 不可解な郷愁を彼らに見るのは、眠っているときにみる夢の浮遊感を感じるからか。
 だから、見守ることこそ幸福。
 影鬼に興じる二人の、どちらも大人とはみえない様子に、カカシは情けないやら微笑ましいやら複雑な気持ちで溜息を吐いた。
(そろそろ休憩終りにしたいんだけど‥)
 多分、きっともう師匠は自分のことなど忘れているだろう。忘れていないにしてもイルカと比べるものなどないあの人だから。
 カカシは、帰るタイミングを計りはじめた。








07:If in rain




 雨の中、カカシとイルカは並んで歩く。カカシが持つ傘の中に二人肩を並べて。
 イルカの手には桔梗の花が幾本か、無雑作に摘まれたままの姿で握られていた。
 毎年、夏の近づくこの季節、イルカはあの場所へ行きたがった。
 それを知っているカカシだから、如何に急な任務が入ろうともイルカの思惟を窺って離れない。
 イルカは辛うじて単衣を巻きつけただけの格好だった。洋服に着替えさせようとしたけれど、未だに抜けない癖がそうさせなかった。だからせめて着流したままではいけないと、それだけを諭したのだった。
 竹組みの和紙の傘を針金のような雨が叩く。普段傘なんて持たないカカシだから、真新しい匂いが雨の匂いと混ざって二人を包んでいた。
 カラコロとイルカの下駄が啼いている。
 ぴちゃぴちゃと水溜りの滴が蹴られて跳ねた。
 二人、黙して、ただ歩く。
 従者のように付き従うカカシだけが時折半歩前を歩くイルカの横顔を覗き見るけれど、イルカは正面を、否、彼方の場所を眺めて下駄を鳴らす。
 カラコロ、ぴちゃぴちゃ。
 地上に差す雨はまるで柔らかい檻のように二人を囲うのに。
(イルカは、まだ俺を見てはくれないんだね‥)
 それは寂しいだけのことではないけれど。
 すこしだけ哀しい、とカカシは思った。


 雨の中なら二人きりになれるなんて
 考えるだに馬鹿なのか。








08:The flower which withers




 それをみつけたイルカは、おそらくそれを供えたろう男を振り仰いで首を傾げた。
「カヤク、この花枯れてるよ」
 換えないの?と訊ねるのに、カヤクはいつものどこか困ったような笑みを浮かべて
「これは、このままでいいんだ」
 そう応えた。
 干からびた花の残骸はからからと風に吹かれながら、辛うじて岩肌にしがみついているようだった。
 岩、というほど大きくはない。大人一人が抱えられるくらいの大きさをした石がひとつ、多くの岩石の間に埋もれるように鎮座していた。
 天然の石には違いない、がそれで済ますには重厚感がありすぎた。
 刻印も文字もない。それは墓だった。
「誰の、お墓?」
 気遣うような色を含ませて訊ねるイルカの頭をカヤクはくしゃりと掻き撫ぜると
「誰の墓でもないよ」
 誰のでもない墓。
 分からない、と首を傾げるイルカに細めた目でカヤクは哂う。
「いつか、イルカが引き継いでくれるかな?」
 誰のでもない墓。その意味は分からないイルカだったけれど、カヤクの言葉が嬉しかったから
「うん!」
 元気に頷いたのだ。
「でも‥ひきつぐって何するの‥?」
 一転、心配げな顔になるイルカに、今度は可笑しげにカヤクは哂って
「たまに、今の僕みたいに、こうして花を供えてくれればいいんだよ」
「ふーん‥。分かった」
 とりあえずといった風に頷くイルカに苦笑しながら、ありがとうという意味を込めてカカシはイルカの頭を優しく撫でた。


 花は、骨
 弔えなかった数多の人間の
 償うではないが、忘れぬための縛りの墓


 一度来ただけでは忘れてしまうかもしれないその場所へ、カヤクはイルカをその一度だけしか連れていかなかった。




 次の年よりイルカはその場所に立つ。どうやって来たかも知れぬ道を思い出す間もなくその石の前に跪き、花を捧げる。骨を献する。
 これは、貴方の、骨。
 傍らには、いつもカカシがいた。








09:Please leave only some one before ...




 あの頃あの男が云った糸の絡まったような難解な言葉の数々を、あれからひとつずつ解き解していった。
 未だにわからない言葉もあるけれど、一生懸命考えるから、待っていて。
 そうしていつか、伝えにいくから、待っていて。
 枯れた花が水を吸って腐れたようになったものの上にイルカは摘み取ったばかりの瑞々しい桔梗を乗せた。
 瞑目して、息を深く二、三度吸った。
 それで、イルカは踵を返す。それで十分だから、イルカは足跡の残る泥濘に下駄の足を沈ませながら道を戻る。
 けれど、カカシは動かなかった。
「カカシ‥?」
 不思議そうにイルカが問う。
 兄弟のように付き添ってくれるカカシが、イルカが傘の外に半ば出ているのにも気付いていないようだから不思議でイルカは訊ねる。
「どうしたの‥?」
「イルカ」
 なに?とイルカは首を傾げたけれど、背を向けたままのカカシにそれが見えたかどうかは知らない。
「もうそろそろ俺をみて」
 3年、ずっと、側にいた。
「俺のことを、ちゃんと見て」
 イルカは応えなかった。半分だけ傘からはみ出た肩がぐっしょりと雨に濡れていくのにも気付かぬ顔で、虚ろにカカシの後姿を眺めていた。




 前に進むために何かを捨てなければならないというのなら、イルカ、あの人への想いを、ここに置いていって。








10:Word of separation




 甘い味付けの卵焼きを咀嚼しながら、カカシは彼の悪友が向こうから歩いてくるのを見つけた。どうやら自分を目指しているらしい。その理由には大体の見当がつくから、カカシは今はマスクを被っていない唇を、箸をくわえたまま弧に吊り上げた。
「よぉ」
 枝の上に座るカカシを見上げてアスマは云った。
「なによアスマ。あげないよ」
 弁当を庇うように脇に隠しながらカカシが云えば、「いらねぇよ」とアスマは呆れたように苦々しげな口で応えた。
「お前いつのまにイルカとできたんだ?」
「やだねおじさん野暮〜。そんなの俺とイルカ先生の秘密」
 楽しげに哂うカカシの顔はまさしく悪戯をしかけている悪童のそれだ。それに、(いつものことながら)全く本気で相手をする気がないとそうそうに諦めたアスマは粗暴に頭を掻いているものだから。ただいま上機嫌なカカシはもうひとつアスマをからかってやることにした。
「今日は多分俺イルカ先生と一緒に帰るよ」
「はぁ!?」
 予想通りの、意表を突かれた顔のアスマにくつくつと喉を鳴らして
「イルカ先生、今日は朝から機嫌いいみたいだもん」
 だって今回の弁当は格別美味しい。
 鳥の唐揚げを頬張って、もごもごと顎を動かせば、呆れたような顔のアスマが
「全く、世の中わからねぇ‥」
 そう、嘆息して背を向けた。
「じゃあね。アスマ」
 上機嫌のカカシは見てないだろう相手に手を振って、再びぼんやりと景色を楽しみながらの昼食に戻った。




 あの雨の日、嘆願した己に同情したか、憐れんだか、感心したかは知らないが。兎角イルカは心を動かしてくれたらしい。しかし、それも本当にわずかばかりのものだけれど。
『たまにだったら‥いいよ』
 あの時の、あの言葉が
 あの人へのイルカの別れの言葉になったのだと、カカシはひとまずの満足を得たのだった。




「カカシさん。帰りますよ」
 カカシの宣言どおり、受付所でイルカを待っていたカカシに自分から声をイルカはまたもやアスマ始めその場にいた全員の時間をしばしの間止めた。
(あぁ‥、まったく好きだなぁ‥)
 うかれている自分を自覚しながら、カカシは拒まない手を握り締めて、マスクの下嬉しそうに笑ったのだった。







 終

2005/06/27  耶斗