「う、お」 嫌に冷え込む早朝に、身を震わせつつカーテンを引いたな ら、眼下に広がる雪景色。 その日街は真っ白に雪を纏っていた。 アイニージュー この雪じゃ練習はできないな。と午前中いっぱい雪かきに 終わった休日の野球部は午後から解散となった。 グラウンドの脇に運ばれた雪はうず高く丘をつくっていて、 童心をくすぐられた面々が雪玉を投げあい始めたからだ。 チームのコミュニケーションを喜ぶ監督は、止めにはいろ うとしたキャプテンを抑えて、我もと雪を手に取った。 こうして西浦高校野球部の雪合戦は始まったのだけれど、 そこにエースの姿はなかった。 自他共に認める小心な三橋は、今もまた口を大きく開けた まま今にも泪がこぼれそうな眼を閉じることもできずに目 の前にある男の肩を手袋をした手で必死に掴んでいる。 「ははははははは榛名さんッ!!」 三橋は泣きたい。本当は恥なんてかきすてて公衆の面前だ ろうと泣いて赦しを請いたい。しかし請う赦しも、己を見 やる目もない三橋は自転車の後部、リアエンドに踵をのせ てしっかりと踏ん張る。 あははははなんて陽気に笑う男を理解できないのは何もこ の時ばかりではないけれど、さすがに、さすがに命の危険 さえ感じるのはスリルを通り越していると三橋は思うのだ。 「ブ‥ブレーキ!ブレーキ踏んでくださいッ!!」 雪の積もる坂を二人分の体重でもって、自転車は爽快に走 り降りていた。 ばしばしと叩きつけるような冷たい風に頬は赤く染まって いて、思い切り吸い込んでしまった冬の空気は鼻の奥を刺 すようで痛い。 なにより海沿いの長い長い緩やかな坂は、車も人もなく、 息をするのも声もあげるのも自分達だけである。 「榛名さんッ!」 あらん限りの声でもって一度彼の名前を呼べば 「このままもっと先までいっちまうか!?」 こめた意味とは全く関係のない応えが返ってきて三橋は一 瞬気が遠のきあわや唯一身の安全を守っている手が彼の肩 から剥がれそうになった。 それを直に感じた男は、おいおい大丈夫か〜?なんて気楽 に笑ってまた、余計なことに、ペダルを踏み込んだのだ。 榛名さん‥ もはや声も出せない三橋は唇だけで呟いて、心を風と一体 化させようと遠くを見つめた。 堤防に座り、ぜぇぜぇと息をついている三橋に榛名は少し やりすぎたかと心持反省しながら自販機でかってきたココ アを手渡した。 両手の中で転がしたそれは未だに熱いままで、ここの自販 機は壊れているんじゃなかろうか、と榛名は手をすりあわ せて思う。 「いっや〜爽快だったな〜。」 やっぱ雪が降った日にゃ自転車で滑り降りるにかぎるぜ。 そう、坂も終わろうというころタイヤはもはや転がっては いずに滑っていたのだ。そうであるから止まろうとブレー キをかけてもスピードは一向に緩まる気配をみせずにただ、 金切り声にも似たブレーキの擦れる音が鼓膜を痛めつける だけだった。 それにやっと焦るべきだと気づいたらしい男は、けれど楽 しげな声のまま 『おおおぉおおおぉぉお〜〜〜〜〜!!?』 『あああああぁああぁあ〜〜〜〜〜〜〜!!!』 背中に乗せた三橋もろとも堤防の隙間から砂浜へとダイブ したのだった。 砂の中から引き上げた自転車は案の定存分に砂にまみれて いて、軽くはたかれたそれは三橋と榛名の海を臨んで腰掛 ける後ろに、堤防に寄りかかって立っている。 「は るなさ‥」 泪まじりながら恨めしそうに見上げる三橋に、榛名は悪い 悪いと苦笑しながらその柔らかな髪を撫でくった。 「だってさ、折角雪積もったのにお前といれないなんて馬 鹿みたいじゃねぇか。」 榛名は前触れもなく、いいや前触れなんて必要なく彼は思 ったままに口を開く。だから三橋はそんな時いつも言葉に つまるのだ。そんな三橋を楽しそうにみやりながら 「デートなんてさ。俺等みたいな忙しい高校球児にゃそう そう縁ねぇじゃねえか。」 だからこうやって時には強引に攫いにいかなければならな いのだ。 「な、三橋。」 自分が目の前に立つだけで端整な貌を崩す男は、並んで座 っているだけでこんなにも幸せそうに笑う。 過ぎたスリルに早鐘をうっていた心臓も、いまや別の意味 をもって鼓動を速めたままだ。 「こっち向けよ。」 そういって彼は頬に手をそえ仰向かせ、恥ずかしさに噛ん だ唇を、親指で優しく解きほぐして白い息を吐きながらほ のかに熱をもつ唇を押し付けるのだ。 誰もいない、何も無い。ただ真っ白の地上と青い空との狭 間で自転車を従えた彼らは暫くそのまま動かなかった。 終 雪がふったのに三橋と会えないことが不満なのか 雪がふったのに三橋と(で)遊べないことが不満なのか 単に日頃から会えていないのが不満なのか 頭を悩ますところですね。 20050201 耶斗 |