オレはここのところストーカーに悩まされている。 無自覚恋情協奏曲 授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、榛名は伏せて いた顔をあげた。 もちろん授業を真面目に受けていたはずがない。 堂々とたっぷり惰眠を貪った榛名は、覚醒したばかりの目 を擦りながら教室のドアに目をやった。移動教室でもない クラスメイトたちは思い思いの休み時間を過ごすために方 々に散り、移動している他クラスの生徒たちが教室の窓を 賑やかに通り過ぎる。 それらの人混みのなかそれはいた。 顔はみせない。ドアに半身を隠すようにして後頭部と背中。 真っ白のシャツは確かに自分の属する高校のものと似てい るが、ズボンは黒だった。榛名が今穿いているのは紺色で ある。 榛名はまたか、と溜息をついた。 また、いるのか。 面倒くさげに、榛名は再び机においた腕の中に顔を戻した。 顔を見せないストーカー。 けれど分かる。あれは己を見ているのだ。 顔を見せないストーカー。 薄茶の髪と、一般的な公立高の制服だけが識別法。 いつからだったか、榛名はその影を常に感じるようになっ ていた。 なにかしら集中している間は見ることもないのだが、気を 抜いた瞬間からそれは現れるのだ。 今もまた、榛名はそれを見ていた。 「おい、榛名。榛名!」 広いグラウンド、野球のユニフォームに着替えた榛名はそ の隅に突っ立っていた。 己を呼ぶ声に目線を横にずらせば、いぶかしむように己を 見ている顔。 「んだよ。」 現在バッテリーを組んでいる捕手は榛名の返事にますます 心配げに眉間の皺を深くする。 「今練習中だろ。何そっぽ向いてんだよ。」 はやく投げろ、とその男は言った。 男の催促に、榛名は一度目線を先ほどの場所にそらすと、 すぐに男に向き直った。 そして腕を後ろに引いて、手の内にあるボールを先にある ミットへ放った。 グラウンドを囲むフェンスの向こう。 佇むそれは、グラウンドの端から端の位置関係じゃ顔はわ からない。 けれど榛名の意識を捕えて離さない、白いシャツと黒のズ ボン。 日に透けるほど柔らかくなる、薄茶色の髪。 お前は誰なんだ 「最近榛名調子悪そうだな。」 練習後、着替えを済ませ部室を出たところで、己の後にド アをくぐった秋丸の台詞に顔をしかめて見せた。 「何それ。俺のピッチングのこと言ってんの?」 不機嫌に低められた声に彼は慌てて手を振って 「違う違う。身体のほうだよ。なんか最近ずっとぼぉっと してんじゃん。」 それに最近の自分を思い出しながら 「そうか?」 友人に向けていた目線を正面に戻して言った。 あぁ、今もほら。校門の前に立っている。 日の落ちた時間では、離れた場所の顔は見えない。 鞄もなく、己に向けた顔をそらしもしないストーカー 「そうでもねぇよ。」 一度でいい。その貌をみてみたい。 榛名の言葉を信用したわけでもないが、それ以上の応えを 期待できそうにない雰囲気に秋丸も顔の向きを正面に直し、 軽い溜息を吐いた。 本来ならば後輩に任せられる買出しという仕事に榛名は駆 り出されていた。 「なぁんで俺がパシられなきゃならんわけ?」 両手に抱えた荷物を揺らしながら、隣を歩く秋丸を面白く ないと明確に体現している榛名の目が睨む。秋丸もまた両 手に一杯の荷物を抱えている。 「パシリじゃねぇよ。仕事仕事。最近元気のない榛名君の 気分転換もかねた、ね。」 笑いながら向けられた目は、確かに榛名を気遣っていると 知らせるもので。 その言葉に、榛名は僅か眉を顰めたが、それ以上は何も言 わずに視線をはずした。 もう買うものはなかったかな、とリストを反芻している秋 丸の独り言を何とはなしに聞いていた榛名だったが、ふい に襲った背中への衝撃に一瞬だけ息を詰まらせた。 「んっだ‥?」 ここ最近の憂さを晴らしてやろうかと、体よく現れた被害 者に振り向いた榛名は、次の瞬間、考えていたものとは違 う台詞を吐き出した。 「‥っ、ストーカー!」 叫ばれた相手は、泣き出しそうな顔で固まった。 見れた。今日になって初めて。 気になって気になって、気になっていたあの影の ‥異様に弱弱しい貌 ストーカー、と叫んだ榛名は手に持っていた荷物を放り出 し、その胸倉を掴み上げた。 ストーカー、と叫ばれた少年は、ひぃっ!?と裏返った声 をあげた。 「お前、ストーカーだろ!俺の周りチョロチョロしやがっ て‥っ!」 立ち止まらないながらも通行人の目はちらちらと榛名たち に向けられる。榛名の突然の叫びに、少年と同じように固 まっていた友人は、はっと意識が覚醒されると慌てて、少 年の胸倉を掴む榛名の腕をはずさせようとその肩をひいた。 「何やってんだよ榛名、ストーカーってなんのことだよ‥っ」 ぐいぐいと力任せに肩を引くが、榛名の手が少年を解放す る気配はない。胸倉を掴みあげられがくがくと揺さぶられ る少年は意識を保っているのかどうかも怪しい表情だ。 「ずっと俺のことみて、なんなんだっつうんだよ!」 もはや自分の声は耳に入らないらしい友人に、彼がますま す焦っていると 「何やってんすか?」 聞き覚えのある声がとどいた。それも酷く機嫌の悪そうな。 「あ、君は確か‥」 榛名の肩を掴んだまま、秋丸は顔だけを背後に向ける。 そこには、眉間に皺を刻んだ友人の元後輩が立っていた。 「そいつに何の用っすか?ハルナ‥センパイ。」 敬称を何にするか迷ったのだろう、結局は無難なものを選 んで少年は榛名たちのほうへ歩いてくる。 知った声に榛名も振り向き、彼をみて口を歪めた。 「タカヤじゃねーか。何やってんだ?こんなトコで。」 「何やってんだは俺の質問です。手ぇ離してくれませんか。」 どれだけ譲っても敬っているとは決して思えない敬語で少 年の隣まできた彼は、榛名が自分からは手を離してくれな いとみて、少年の肩に腕を回して引き寄せることでその手 を剥がし、榛名を睨みつけた。 「おぉーこえ。何?そいつお前の友達?」 剥がされた拍子に擦れた手を振りながら、榛名は揶揄るよ うな口調で訊ねる。 「おれの大事な相棒です。」 言って、肩を掴む手に力をこめる。 「相棒‥投手か。」 へぇ、と感心するように呟いて、 「そいつの球だったら、お前でも捕れるわけだ。」 「‥‥‥ッ!」 「ストップ!!」 瞬間、拳を振り上げた阿部を、榛名の前に飛び出した秋丸 が止める。彼がそれまで立っていたところには荷物が 散 らばっている。 「コイツの暴言には謝るよ。だからその手をおろしてくれ ないか。」 本当にすまないという風に眉を垂れさせる顔に、阿部も睨 みつける目はそのままにゆっくりと拳をおろした。 そのまま隣の少年の腕を引いて踵をかえした阿部を榛名の 声が止める。 「俺まだそいつに用あんだけど。」 肩越しに阿部が振り返り、早く面倒は終わらせたいとでも いわんばかりの声音が応えた。 「さっきストーカーとかなんとか言ってましたね。言いが かりもほどほどに、っつーか自意識過剰もいい加減にしと かないと社会生活営めませんよ?」 「んだと、お前‥」 「だー、待て待て待て。」 喧嘩を買う気満々の歪めた笑みで進み出た榛名を、秋丸が 踏ん張って背中で止める。 「俺もそれは聞きたいね。榛名、なんだってその子がスト ーカーだなんて言うんだ?」 ちらちらと阿部と榛名を見やりながら、秋丸は自分の鼓動 がすぐそばにあるような心地でいる。 「どうもこうも。俺が聞きてぇよ。練習中どころか授業中 にもいやがる。」 その台詞を言い終わるか否かというところで、阿部が呆れ たという風に嗤った。 「授業中?アンタ本気で頭大丈夫ですか、アンタらが授業 中のときは俺らも授業中なんですよ。」 もう話す必要はないだろうと、顔を榛名たちからはずすと、 その後何度榛名が呼ぼうとも振り返らなかった。 「榛名‥お前さぁ‥」 「なんだよ。」 これ以上ないというほどの重低音に、背中を向けていた秋 丸の頬がひくりと引き攣った。 「さっきのは‥まずいよ‥」 「まずいって何が。」 本当に分かってないのか、と息をはいて 「あの子のこと、ストーカーとかなんとか‥」 「お前俺が嘘吐いてるって云うのかよっ」 声を荒げた榛名に んなこと言わないよ‥とゆっくりと身体の向きをかえて 「俺にはあの子がそんなことするようには見えないし‥。 確かに阿部君がいうように無理があるよ。」 見上げる秋丸の目は、ここ最近馴染みとなった心配するよ うな色を含んだ目で。 榛名は思わず言葉に詰まったが、言い訳のように言い繕う ようにまくしたてた。 「だって本当にいるんだぜ?授業中にも休み時間にも部活 ん時にもッ」 「家の中にも?」 「それは‥さすがに‥」 秋丸の鋭い眼光に威勢を削がれて言いよどむ。 けれどその榛名の様子に、秋丸は得心がいったというふう に頷いた。 「本当は見えてんじゃねぇの?榛名だってわかってんだろ。 あの子が実際には周りをうろついたりしてないって。」 「さすがに無理があるもんな。ただお前がそれを見てる気 になってるだけだよ。」 秋丸の言葉に口を挟まないでいた榛名がここで言葉を発し た。 「お前、俺がビョーキだって言いてぇのか。」 「ここんとこお前しょっちゅうぼぉーっとしてただろ。そ のせいじゃねぇの?」 そのせいっつーのも違う気するけど。 答になっていない言葉を返した目をそらさずに見つめてく る秋丸に榛名は怪訝な表情をみせる。 「どういう意味だよ。」 困惑したような榛名の問いに、秋丸は呆れたような視線を 向けた。 「お前ホントに気付かない?」 どうやら納得のいく答に辿り着いているらしい彼は、心底 重苦しい溜息を吐いて 散らばった荷物を拾い集めると、 「考えろよ。」 いっそ憐れむような目を向けて、榛名に背を向け帰路にた って歩き出した。 「んだよソレ‥」 その背を追うことなく、呆然と突っ立ったままの男がひと り。 行き交う人の好奇の目にも気付かないまま、足元に荷物を ばら撒いたまま。 オレはここのところストーカーに悩まされていたのだが、 友人に言わせるとどうやらそれはある種のストーカーであ りながらストーカーではないらしい。 未だに意味はわかっていないが、自ら探すようになってか らはすっかりなりを潜めてしまったストーカーに今度はこ ちらから会いにいってやろうという気にはなっている。 終 くっつけという神の思召し。(病気や‥) 重症すぎるよ榛名さん‥そして自覚のさせかたがこうてど うよ儂‥ 20040924 耶斗 |