4 時間を止めて、未来に別れを



 謝ろうと思っていたけれど、寝て起きたら妙に頭は冴えていて。
 はじき出した理由に
 謝る気なんて綺麗さっぱり失せていた。



『昨日隊長調子悪そうで、帰って来て直ぐ自分の部屋に引っ込んだのよねぇ‥』
 鬼の撹乱かしら、と冗談めかして笑う乱菊に、十番隊隊舎の一角、一護は曖昧に笑い返してこっそり胸をなでおろした。
 だったらアレは気の迷いだったのだろう。
 寝ぼけてとった、彼自身予想外の行動だったに違いない。
 だから殊勝な気持ちにもなってみて、殴ったことを詫びようと、まだ顔を出していないという彼女の上司の部屋を教えてもらった。


 意外といえば意外だし、似合いといえば似合いの、閑寂な雰囲気で冬獅郎は自身の部屋を構えていた。十番隊隊舎内部のそこは席官の自室も両側に並んでいるがそれらの間には使われない部屋をはさんで随分と離れている。午近くのこの時間、隊員たちは皆仕事に出ているらしく人の気配は無かった。一護の目の前にする一室を除いて。
「日番谷‥?いいか?」
 西向きとみえる廊下はまだ明け方のような薄明かりに冷涼な風がそよいでいて、人の気配のなさを余計に際立たせる。
 返事はないが中にいることは分かっているから、一護はそろそろと障子を開けた。
 薄く開けたところで右手側、入り口に足を向けるように敷かれた寝具の上、身を起している冬獅郎の姿が見えた。
「日番谷、入るぞ?」
 寝起きだろうか、先日のことから無意識に一護は緊張した。二度舞は御免だと、慎重に部屋の中へ足を進める。
「日番谷‥?」
 身を屈めて、寝乱れた髪の間からその横顔を覗き込めば
「‥‥‥‥寝てる?」
 なんて器用な!
 自分のことなんか棚上げで、謝罪する前にさらに機嫌を損ねさせてしまいそうな笑いを一護は口元を押さえることで堪えた。
 先日も、自分は彼の膝、もとい足を抱き枕にしていたようだがあれは全くの不可抗力だった。
 誰も来ない気に入りの穴場を訪れたら、そこに彼がいて。直ぐに立ち去ればいいからとちょっとした徒心で彼の寝顔を覗きに行った。
 そうして、その隣で自分もうつらうつらとし始めたのだ。
 あんまり陽気が心地よかった、とは言い訳になるだろうか。
(あの時も‥こんな顔で寝てたっけ‥)
 こうしてみれば可愛い‥かもしれない。
 一護は畳の軋みさえ上げないように冬獅郎の側まで寄ると、やはりゆっくりと膝をつき、腕で上体を支えてもっと近くでと顔を近づける。
 見た目どおりの年頃にも見える。
 ふふ、と口元が綻ぶのを感じる。
 元来子供は嫌いじゃない。むしろ無条件で可愛がる。それはイメージを大事にする一護にとって素直に行動に移せないことではあるけれど、兎に角子供は好きだ。
 守ってあげたい、と思う。
「全っ然、イメージ変わるなぁ‥」
「それはお前もだろ」
「‥っ!」
 咄嗟に離れようと仰け反った一護の腕をその男は捕らえ、一護が布団の上に倒れ込む程の力で引っ張った。
「な、起きて‥っ!?」
「誰も寝てるとは言ってねぇ」
「そうだけど‥っ、寝たふりかよ‥!」
「寝たふりしてたわけでもねぇ。うとうとしてただけだ」
 そこにお前が来たんだ、と光源の遠い部屋で深みを増した翡翠の瞳に見つめられれば一護の言葉は詰まった。
 とりあえず柔らかな布団の感覚の居心地の悪さに、身を起こしたいと考えるのだけれど、右腕は冬獅郎の手に掴まれて(引いたのは右手のはずだった)、左手には冬獅郎の身体があって動かすのは躊躇われた。それでも使える腕が左だけなら使わざるを得ない。兎に角この状態から脱したいのだ。
 もがくように左手を彷徨わせ、一護は支えに丁度いいのは冬獅郎の腕、ないしは肩だと知る。
 だから立てない。
 掴めるはずがないから、一護はみじろぎ、多少なりと冬獅郎から身体を離すことしかできない。
 それを哂うような目で見下ろすから、一護は冬獅郎を睨み上げる。
「放せよ‥」
 なんでこんなにバツの悪い思いをしなきゃならない。逃げたくてたまらない気持ちにならなきゃならない。
 それは精一杯の虚勢。
 いくら眉を絞ったって、いくら威嚇するような声を絞り出したって。
 たとえそれが怒りからだとして、朱に染まった頬と
 たとえそれが過ぎる憤りからだとして、微か震える声じゃあ
「無理」
 何言ってんだ、と一護の言葉は音に成らなかった。
 あの日の再現のように、己の視界を埋めた深緑に声は奪われて
「俺はお前が好きだ」
 唇に触れる、熱を孕んだ男の吐息に、意志さえ奪われる。
 己だけを映す薄茶の瞳に満足を覚えた。
 略奪は、支配は
 男の本能だ、なんて。理不尽な言い分。
――――今は少し、理解できるかな



 言葉の意味を理解する前に願った。
 『時間を止めて』
 今しかいらない。

 掴まれた右腕が、熱い。
 未来の幸福も、不安も要らない
 今このときの、最上の幸せに殺されてしまいたい。







5 予感



 それを予感と呼ぶのなら、己は安い占い師くらいにはなれるかもしれない。



 朽木白哉。
 四大貴族、朽木家28代目当主にして護廷十三隊第六番隊隊長。
 眉目秀麗
 漆黒の髪に、黒曜の瞳。
 素地、素養に申し分なく。
 彼を讃える言葉は筆舌に尽くしがたい。
 しかし、他人に無関心だとみられる彼にも、ふと思考を飛ばす人物がいた。
 2人。


 山と積まれた書類に埋もれて、朽木白哉は黙々と筆を滑らせている。
「隊長〜、これもお願いしま〜す」
 彼自身参り果てた声で、六番隊副隊長の腕章をつける阿散井恋次が両手に新たな書類を抱えて現れた。蹴り開けられた扉は小気味良い音をたてて撥ねかえる。
 白哉は窘めるような目線をくれたが、顔まで届く書類に四苦八苦している恋次が気付くはずもなく。これまた粗雑に書類を白哉の前に落とした。
 反動で墨を溢した墨壷を元の位置に戻し、懐紙で墨を拭きとりながら、白哉は淡々とした口調で部下に労いの言葉をかけると、さっさと消えろとでもいうように速やかに仕事を再開した。
 常からそんな調子の上司であるから、恋次も何一つ気にした風もなく、軽く頭を下げると自分の机へと向う。
 そんな部下に呆れるでもないが、白哉小さく嘆息すると、運ばれたばかりの山から一枚書類を取り上げてざっと目を通す。
 通しながら、このときもまた、何故だか知らぬ案じ事が頭を掠めた。
 数日前のことだ。
 十番隊の隊長と偶然に廊下で会って、丁度その時気になっていたという書類報告の質問を受けた。
 既に一々尤もな解釈をしていたから、説明しきるのに多分な時間を要した。その折、
『あの人いつもあんなんなのか?』
 知った声だと、目線をくれれば明るい萱草色の頭。
 久しぶりに見る顔だ。それだけの感想で会話に意識を戻せば目の前の人物は先の言葉に気付いた様子も無い。
 奇妙しいな、と思ったのだ。
 あの声は、自分たち二人のうちどちらかを指しての言としれるのに。そうして、あの少年が『あの人』などと己を呼ばないことはこの人物も知っていうだろうに。
 聞こえなかったか、気付かなかったか、眼中に置いていないのか。
 そうして勿体無いな、と思ったのだ。
 何故だかは知らない。
「隊長〜」
 間の抜けた赤髪の部下に思考を中断され、不快を覚えつつも眉一本動かさない白哉が目をやれば
「昼飯行っていいっすか?」
 腹が減ってしょうがないと、読み取るのは容易な顔で言うから。
「行って来い‥」
 そう、応えるしかできないのだ。


 あれを予感と呼ぶのなら、己は安い占い師くらいにはなれるだろう。
 無視した顔して子供が立ち去ると一瞬だけ瞳を向けた、いつかの年若い隊長を思い出して白哉は思うのだ。
 しかし白哉は山とある書類を片付けることが第一と、止まっていた手を再び動かし始めた。







Next>>