「冬獅郎‥っ!!」
 男の声と共に首の皮一枚を裂いて日本刀が板の間の柱へ突き立つ。
「何故‥!」
 男は問う。冬獅郎へ問う。取り押さえようと群がる己の部下達を薙ぎ払いながら己を掴みあげようと躍起になっている男を柱に半身を預け片膝を立てた、まるで追い詰められているような姿勢ながら泰然と構える冬獅郎はつまらないものでも見るような目で男を見上げていた。
「何故あいつをあんな目に‥っ」
 刀を突き立てた手は敢え無く柄から引き剥がされていた。一歩近づくごとに一歩引き離されて、一進一退を続けながら尚燃えるような眼で睨みつける目には燭台の炎がちらつく。紅潮する肌は感情のためか火影の色か。
 部下達が縋るような目で冬獅郎に助けを求めている。男の肩を両脇から押さえながら、男の腰に縋りつきながら、到底抑え切れない男の力に、上司の手助けを待っている。幾対もの――部屋の中にあるのは精々8対かそこらだが――眸を廊下から、蹴り倒され破られた襖の向こうから受けて漸く冬獅郎は億劫そうに身を起した。
 離れろ――
 うんざりしたような、それでいて視線は真っ直ぐにその男の眼差しを受け止めて彼はそう部下達に命令し
「縛道の――」
 向けられた掌に、揺らめく火影を映して拘束を解こうと身を捩る彼は両腕を背中に捻り上げられ見えぬ重力に畳の上へ叩き付けられた。圧迫された肺に息を吐き出し、幾度か苦しげな咳を繰り返した彼はそれでも射殺さんほどの眼光を殺さず冬獅郎を(今度は)睨み上げた。
「瀞霊廷内での抜刀は禁止されているはずだぞ黒崎一護。この責任は重く問われる。分かっているか?」
「冬獅郎!俺の話を聞いてねぇのか‥っ」
「理由はどうあれ、許可なく刀を持ち出したお前は一時拘留される。お前の置かれている立場から考えても総隊長へ処遇を問わねばならない。軽い刑罰くらいは覚悟しておけ」
「冬獅郎‥っ」
 ぎりぎりと食いしばられた歯牙にも火影は揺らめき、白いエナメル質が朱に反射し翳に沈む。それをやはり冷めた目で見下ろす冬獅郎は何も答えない。ただ、月のない晩、星明りと燈台だけが頼りなげに物象の所在を知らせる中で彼の世界へ飛び込んで離れない橙色が這い蹲っているのを眺めていた。
「連れて行け」
「冬獅郎‥!」
 視線は彼に当てたまま、部下にそう命じた冬獅郎は引き立てられるまま一間向こうの庭に面する廊下へと引き摺られながら歩いていく彼がそれでも抗いこの場に留まろうと身を捩る様を見送った。
「恨むぞ‥っ、冬獅郎‥!何故あいつをあんな目に!」
 恨め、憎め、呪えよ一護。そうしてお前の内(なか)を俺への想念で満たせばいい。そうしてお前の内(なか)から収まりきれぬ俺への妄念を溢れさせればいい。
「隊長‥」
「報告は俺がする。あいつは十番隊の牢へ入れておけ」
「はっ」
 一護の冬獅郎を詰る声が遠くなり、消えた頃。床に片膝をついて垂頭し彼の命令を聞いた部下が去ると、一人だけになった冬獅郎は寝間着の上から羽織っていた着物が一護により柱へ叩き付けられた際落ちていたのを拾い上げ肩へ掛け直した。





[人でなしたちの恋]






 火急の令は、しかしながら穏便に総隊長である元柳斎の下へ伝えられた。人々の寝静まった時間帯である、遅番に死神か、冬獅郎のように眠れぬ暇を書物や戯れ事で潰す者しか起きていない。安らかな眠りに就いていた口の総隊長は杖を両手で支え、椅子に深く腰掛けて冬獅郎を迎えた。一番隊隊舎の隊長室である。個人で使用する部屋とは別に13人の隊長たちが定例会などのために集う部屋であった。今、その部屋の壁には左右対称に篝火が並べられ、随伴して来た部下を払わせた冬獅郎と元柳斎の二人が対面している。頭上高くから明りを落とす火に二人の影が僅かずつ揺れている。
「黒崎一護が‥、お主へ刃を向けたそうじゃの」
「はい。捕らえた彼は今うちの牢へ入れさせています」
 事の次第は伝わっているだろう。身支度に十分の時間をかけた冬獅郎は探るように己を見つめてくる上司の目にそう推察した。それならば彼の処遇も大体は決まっているだろう。ただ己がどう出るか窺っているだけで。ならば、と冬獅郎は思う。ここに来る間から考えていた、否、いつか起こるだろうと予想していたこの事が起こる前から考えていた我侭を聞いてもらおうか。
「総隊長、ひとつ頼みがあるのですが」
「なんじゃ」
「今回のこと、私に任せてはいただけないでしょうか」
「あやつはお主へ刃を向けた男ぞ。その男相手にお主自ら取り調べをすると、そういうことか」
「はい。それともうひとつ。彼の身柄を預けていただくと共に、彼の処遇も私に決めさせてはいただけないでしょうか」
「‥‥ならぬ」
「お願いいたします」
「公正な判断を――――」
「私なら落ち着いております、総隊長」
 一息吐いて、冬獅郎は老人の表情に何がしかの変化が表れていないかを探る。もとより存在する翳と火により落とされる影とにその貌は沈んで、朗々とした眼しか窺えない。それでも彼の貌へ集まる皺が彼の感情に変化していないかと冬獅郎は見つめる。自分の何倍も長く生き、自分の何倍も老獪な老人を言い含めるにはどうすればいいだろう?
「総隊長、彼は私の親友です。その親友との不和に衝撃を感じてはおりますが、それ以上に彼の行動の故を問いたい。彼の気持ちを聞いたうえで判断したいのです。彼の口から聞く言葉がなんであれ、私が取り乱したりしないことを誓います。知りたいんです。親友だからこそ。私と彼の仲だからこそ、他の者には任せたくない。お願いいたします、総隊長。俺に、この問題を任せてください」
 老人の双眸はまったくガラス玉のように、映るものを騙しようもなく思わせる。だけれども対面する男は背を真っ直ぐに伸ばし、真摯な眼差しで彼へ訴える。嘘偽りなどないと示すように。それでもその眼の奥に沈む暗闇を老人が知らないわけはない。死神として生きる者、それを生業として長く在るものならば誰しもが潜ませているものである。だからこそ本心を隠すに長けていることも事実なのであるが。
 細く、密やかに吐き出された息を冬獅郎は嘆息と見ただろうか。元柳斎は瞳を僅かばかり和らげると、諾と頷いた。
「任せよう、日番谷隊長。ただし‥」
「大丈夫です。総隊長。凡て、私に任せてください」
 老人は見張りに一人立てようとしたのだろう。それへ先手を打って冬獅郎は一礼すると元柳斎へ背を向けた。去っていく彼の背中を止めることなく元柳斎は、よく目が見えない者がするように目を眇めて見送った。重い扉が開かれ閉じるとき、雲を被った新月の天(そら)は暗く、重く、生温い風に篝火が揺らめいた。





 黒崎一護、50年前SSへと渡ってきた彼は生者であった頃より顕著であった霊力のため統学院への入学はなしに護廷へ入ることを許された。既に隊長格の霊力を有し、十三隊隊長らの入れ替えも囁かれたが彼は隊に属することを拒み、代行人であったそれまでのように一死神であることを望んだ。希望は聞き入れられ、新たに編成された遊撃隊の隊長として、時には単独で他隊の応援へ就くこととなった。中でも十番隊隊長日番谷冬獅郎とは特に懇意にし、彼ら二人で任務に就くことも少なくなく、彼等は誰からも親友と認められる仲であり、日番谷冬獅郎の仲介で黒崎一護より20年の後SSへ渡ってきた−−−−と黒崎一護は−−と−−り、――――







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