2nd Game 一護と冬獅郎の出会いは実に平凡なものだった。代行人と隊長の一人である。会うべくして会った二人は気質も似て、打ち解けるのは早かった。それこそ、冬獅郎よりも先に出会っていた者たちが妬くほどに。 已まぬ戦いに身を置く境涯で心安まる存在は貴重であり、またその存在は立場上希少でもある。 だからこそぬるま湯のような程よい間隔は大事にしたい。と、そう考えるものじゃないのか。 多くは望まない。妥協と諦観は、彼が身につけた中でもっとも馴染んだものだった。 あぁ早くここから逃げ出したい。 そう、切に一護は望むのだけれど周囲の喧噪はそれを易いものとはしてくれない。すでに相席していた者たちは方方に散っていたのだけれど、代わりのように数名が彼の周りを固めていた。 逃げられない‥ 「黒崎君、大丈夫?」 心配そうに覗き込んだのは微笑した雛森だった。一護は彼女がこのような席に現れたことを不思議と思っていたが、その馴染み様に今では納得している。 桁外れに呑めるようではないけれど、いわゆる呑ませ上手というもので己の度を守っている。羨ましい、とそれが出来ない一護は思うのだ。 「あぁ大丈夫です。‥なんとか」 ははは、と空笑いしながら頭はくらくらしている。そろそろやばいと思うのにそれを素直に口に出来ないのは男の面子もあるだろうか、はたまた彼女のその笑顔の所為か。気まずさを覚えて仕様がないのだ。えてして人は無垢過ぎる瞳に罪悪感を覚える。酒気のために目が潤むのを知覚しながら一護はその言葉を契機に、抜け出せそうだと腰を浮かしかけたけれど 「それじゃもう一杯いっちゃう?」 「は‥?」 (やばいこの人実は相当酔ってた‥っ) 一升瓶に頬をくっつけ笑う彼女は酔っ払い以外の何者でもなかった。 「ちょ‥っ雛森さん俺もう‥っ!」 止めるより早くテーブルに放置していた己のグラスはなみなみと酒を湛えていて。にこにこと笑う少女の貌したはるか年長の女性に、情けないとは自覚しながらも縋るような目をせずにはいられなかった。 「さぁさ、黒崎君。呑んで呑んで」 頭痛を耳の奥に聞いたのは、回った酔いの所為だけではなさそうだ。 (‥‥‥もういい) 思えば隣に座る女性こそ一護の窮地を救ってくれる最後の砦だったのかもしれないのに。 それさえ崩れてしまった今、彼にできることといえば 「きゃーーーーーーーーv黒崎くんすっごーーーいvv」 期待に応える一気飲みだけだった。 (自棄をおこしたと思いたいなら思えばいい。兎に角俺はもう知らねぇ) 腹を据えるってこういうことか、と何ぞ胃に落ち込んだ焼けるような感覚に一護は、酒気の絡む息を吐き出すとともに空になったグラスをテーブルへと叩き落した。 「おーー。ようやっと本気になったか?一護―」 そうこなくっちゃなーと高笑いするのは彼がここへ来る原因を作った恋次であり、その後から別の仲間たちがわらわらと集まって来た。彼らを押し退けるようにして松本乱菊も現れ、一護と向かい合うソファに腰を落とした。 「それじゃあ呑み比べでもやりましょーか一護―vみんなー今日こそ一護の本気がみれるわよー」 置いたグラスを掴んだまま俯むく一護は微動だにしない。その顔を覗きこんだなら彼の目がすわっていることを知れただろう。しかし酔っ払いたちは気付かない。嬉々として酒を用意する乱菊も気付かない。 はしゃぐ彼らに後悔の2文字は存在しないのだ。 返杯返杯返杯の繰り返しで乱菊とはれる者はそういない。一護も例外ではなく早々に顔色を悪くしていた。 「うっぷ‥も‥ダメ‥」 口を押さえて今にも吐瀉物を撒き散らしそうに頬を膨らませた一護は立ち上がろうとして萎えた足に膝が崩れた。 「大丈夫〜?一護〜」 それをさして重視するでもない乱菊は勝ちの一杯がそそがれていた空のグラスをその整った爪先につまんで振っている。まだまだイける、と笑うその目は潤んでもいない。 賭けにもならなかった呑み比べの観衆たちは既にもとの場所へと散っていて、イヅルが一護の側へと駆け寄った。乱菊の第一の犠牲者だった彼は今の今までつぶれていたのだ。 「やりすぎですよ乱菊さん、黒崎くん、厠へ行くかい?」 彼自身まだ蒼い顔をしながら、それでも人がいい彼の頭は既に一護への心配で占められたようだ。諸悪の源を窘めつつ膝をついた彼は少しでも楽になるようにと一護の背をさすった。が、胃の痙攣を誘発させただけだった。 「‥‥‥‥っ!」 「あっ、黒崎くん‥!」 しかし逆効果あって得られるものもあるのだ。その場でリバースという危機感に一護の足は驚異的な瞬発力をみせ、彼は厠へと駆け出した。追いかけようと腰を上げようとしたイヅルだがその肩を背後に現れた人物がやんわりと引き止めた。 「‥‥‥っ」 気配も感じられなかったのは酒の所為に出来るだろうか、それとも場の雰囲気に緊張は野暮だと言い訳していいだろうか。兎に角肩を叩かれ跳ね上がった鼓動にイヅルは羞恥を感じたのだ。いたく自尊心を傷つけられるとともに、肩を叩いた相手が誰かを想像して二重に青くなる。 酒は呑んでも副隊長。平相手なら近寄る前に振り返っている。 青くなったのは、そう、このような場でお目見えするのは彼以外にありえず、何かと面倒事ばかりに遭遇する己が肩を叩かれるなんてそれこそ厄介事を押し付けられるからに他ならない。横目に覗きみた乱菊の、快事を期待するような目もまた、それを暗示していた。彼の聡い頭は瞬時に、正しく、彼の未来を弾き出していたのだ。 かくして彼は油の切れたゼンマイの如く首を捻ってその人物を振り返る。そうすれば、予想通りの、イヅルにとっては楽しくない、楽しそうな笑みを満面に広げた彼が立っていた。 「乱菊ちゃん。数ヶ月前呑んだ時の会話、覚えてる?」 「えーえ。覚えてますよー」 よぅっくね、とグラスに唇をつけたまま、ソファの背に腕をのせ寛ぐ態の乱菊はくつくつと喉をならして哂った。 先ほど何事かを後輩の耳に吹き込んだ彼は、被っていた笠を傍らに乱菊と対座している。女物の鮮やかな着物を肩に引っ掛けて、グラスを貰った彼は苦笑がちに哂って云った。 「僕もね、流石に焦れったくなっちゃって。日番谷君も大概堅物だよねぇ。もっと雅に生きられないものかね」 我慢も、度が過ぎれば無粋だよ。 十番隊詰所の端にある集団用厠で、洗面台と便器の往復を繰り返していた一護はようやっと胃を空にしたところだった。のろのろと洗面台へ戻った一護は吐ききった後の脱力感をいっそ心地良く感じながら水道へうつ伏すようにして口を漱いだ。盛大に水を流すのは、その清澄な音で気分が上昇しないかと図ったためでもある。些少は思考する力も戻ってきた。 吐き気の余韻が残る胃に不安を覚えつつも一先ずは大丈夫だろうと、それでも幾度か空のおくびを繰り返しつつ蛇口を締めて身を起したところに 「あ、黒崎君‥大丈夫かい?」 先ほど己を心配してくれていたイヅルが入り口の扉を開けて現れた。一護は覇気がない、と自覚しながらも平静なふりで口を笑わせ片手を上げた。 「平気。戻したら楽になっちまった。サンキュな、イヅルさん」 「だったらいいんだけど‥‥その、さ、君に‥訊きたいことがひとつ、あるんだ‥」 言い出しにくいことなのかイヅルは目を泳がせながらちらちらと一護を窺ってそう云った。先ほど気を遣ってくれたこともあり、平常から世話をみてくれるイヅルであるから一護はそんな彼の様子に首を傾げつつも快く先を促した。 「あの‥えぇっと‥‥、気を悪くしないで欲しいんだけどね‥」 やっぱりしどろもどろと口を動かして迷うままのイヅルに、一護もじりじりと焦燥を覚え始めた頃 「君たちが‥君と、日番谷隊長が」 続く言葉を、眼を瞠った一護は確かく聴きとっていただろうか。僅かにも身動ぎしない彼はむしろ身体の意志が他で働いているような態でもあった。というのは 「‥‥‥‥って聞いたんだけど」 本当かい?と締めくくられる筈だったイヅルの、吹き込まれた台詞の終りを待つ間もなく、一護は彼を突き飛ばすようにして脇を駆け抜け、その疲弊した体のどこにそんな力があるのかと驚かせるほどの堅牢さで廊下の先に消えたからだ。 しかし一護にそうさせた本人であるイヅルは、申し訳なさにひたすら心の中で謝るばかりであったが。 Next→ |