小鳥、小鳥。籠の中の小鳥
お前は里という籠の中で
空(ゆめ)だけをみて朽ちてゆく


お前の羽は風を切ることはなく
空へゆくために必要な一枚はとうに切られてしまったのだ


小鳥、小鳥。何故足掻く
お前の居場所はここなのに




   風切羽−序−




何が見える?
上にはあがらず土間に立ったままの男は問うた。
空
と子供は応えた。しどけなく衣を纏っている。
雲が見えるよ。空が青くてとても良く映えているね。
格子に分かたれた空の断片から目を離さず子供は云った。
………
どうしたの?
………
黙りこくった男に子供は心配げな目を向ける。
ねぇどうしたの?
俯いて、光の入らないところに佇むため半分を影に隠した男
に質す。
ねぇ
男の頬に光を受けてきらりと光るものが流れた。
ねぇどうしたの?何故泣いているの?
出たくはないか?
嗚咽に裏返りそうになる声を必死に留めて男は問う。
ここから出たくはないのか?

…ありがとう。

そうぽつりと落ちた言葉に男が顔を上げる。
でもダメだってば。
逆光に浮かぶその顔はひどく優しく、ひどく悲しく
憐れむように笑んでいた。

ナルト…

男は子供の名を空気に溶かして、再び項垂れ体の向きを変え
た。
ありがとうってば。きっともうあえないけれど。

云ってはいけない言葉を云った。貴方はきっともうここへは
これない。

ばいばい。名も知らぬ人。


戸口を半分だけ潜って、顔を子供に向けた男は、子供が彼に
したように、同じように笑いかけて、何にも云わず出て行っ
た。




さようなら籠の小鳥
ここから出せる日を願う。





 □  □  □





籠の鳥と呼ばれる者が里の外れに住むという。




 風切羽−邂逅−




ほんのちょっとした好奇心。子供にありがちな、いやあって
当然の押さえ難い知への欲求。
日向分家の息子もそれに抗えるほど年を重ねていなかった。


里を南東に向かってまっすぐ下るとやがて街がとぎれ延々と
田畑が続く。その畦道をさらにすすむと森の入り口がみえて
くる。そこは上り坂になっていて、初めは緩く始まるがやが
て急になり獣道となる。そうなるとさらに先へ行くものは、
薬草摘みか、もっと別の理由をもつものしかない。だからも
う少し行った先に開けた場所が在り、小さいが小奇麗なつく
りの小屋があることを知るものは少ない。


日向ネジ少年は見たことのないそれを目指していた。
満月まであと3日という日の昼下がり。





「なぁ知ってるか?里の外れのお化けの話」
子供たちの輪の1人がそう切り出した。同じく輪の1人となっ
ていたネジは他の者と同様に興味深々といった様子で彼の話
に耳を傾けた。
「里を南東のほうにまっすぐいったらさ、誰も入ることのな
い小屋があるんだって。そこに行ったやつは誰一人帰ってこ
ないって。」
どうだ怖いだろう?といわんばかりに笑んだその子は、仲間
たちの初耳だという反応をみて得意げだ。
夏が近い。その空気に誘われるように怪談話が多くなる。そ
の予兆のように子供たちの間にその噂は流れ始めていた。だ
から続いたその子の提案に罪はないと思われる。
「誰か行って確かめようぜ。」
肝試しだ!
子供らしい、純粋な冒険心、挑戦欲。それが自分自身に向か
ないあたりも子供という生き物にありがちなこと。



えてしてその挑戦者はじゃんけんによってはじき出された敗
者とあいなった。







ネジは森の入り口に差し掛かった辺りで足を止めた。今から
行くべき道を目で辿る。木々の間のさらに葉の間から零れ落
ちる日の光によって、そこは緑とも黄色ともとれる色で照ら
されていた。影と光の作り出す光景にネジは不安よりも好奇
心が疼きだす。紅潮させた頬でもって口を笑みに引き結ぶと、
その中へ一歩を踏み出した。


さくり、さくりと落ち葉を軋ませて、手までも使って這い上
がったその先に、はたしてそれはあった。
坂道、獣道などとんでもない。張り出した木の根に足をかけ、
手をかけて何とか登れるといった斜面の終わりから顔を出し
たネジは光の降り注ぐ円い場の中心にたつ小屋にしばし見と
れた。
登りきったことの、辿り着いたことへの満足感さへ味わわず
に。
そこの空気はひどく清浄だった。


やがてネジは膝をつきながら這い上がると、小屋の入り口に
向かった。友人の云った『化け物』。いるとしたら中だろう。
けれど、それが事実いるなどともはや思っていなかった。た
だこの場所に、この美しい場所に住んでいる人間に会ってみ
たかった。
どこか夢見心地でネジはその引き戸を滑らせた。




中は暗かった。
外の明るさが嘘のように。
わざとそうさせる造りなのだと察したのはしばらく後のこと
だったけれど。
踏み入れた土間には台所。使っていないらしいのはその生活
臭のなさから伺える。だから自然彼は目を横にやった。踏み
台とその先に。襖ひとつ無い、柱が間に数本立つ向こうで1
人の子供が座っていた。手入れされずにささくれだった、イ
グサが飛び出すその上で、何にも敷かず、白い衣を纏った子
供が唯一つある窓から空を見上げていた。
またしても現実離れした光景だと、それ故の清閑に包まれて
ネジはその子供を含めた空間全体に捕らわれた。

「誰?」
子供特有の高いその声が、初めどこから聞こえてきたのかネ
ジは理解できなかった。
「今度のお役目のひと?」
舌足らずなそれが子供のものだと理解して、ネジは慌てた。
しゃ‥喋ってるっ
「あ、あの僕‥」
何を云うか準備もできていないのに発したその言葉の先をま
たずに子供が振り返った。
「子供なの?」
逆光で薄っすらとしか伺えないが、確かにその目は喜びに輝
いているようにみえた。期待、それがぴったりくるような。
「う、うん‥」
自分の身元を明かさなければという思いはあったが、いそい
そと立ち上がり、こちらに駆けてくる子供にそんなことは頭
から抜け落ちてしまった。
身体に見合わない着物を引きずりながら走る姿は危なっかし
くて、思わず両手を差し伸べてしまう。けれどその手はとら
ずに目の前まできた子供は身をかがめてネジの顔を覗き込ん
だ。
「うわぁ、嬉しいなぁ。初めてなんだってば同い年くらいの
ひとがきてくれたの。」
嬉しい、とその子供はいった。そしてその言葉に相応しく満
面の笑みを浮かべる。
「嬉しいな、嬉しいな、これからよろしくってばお兄ちゃん。」
あどけない顔でそういわれれば、うんと頷くのが道理だろう。
『お兄ちゃん』と、そう呼ばれたのが決定打だったかもしれ
ない。
ネジに兄弟はいなかった。だからそのとき初めて、動物に対
するのとはまた別の“庇護欲”というものを覚えたのだ。



それが初めの出会い。











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