初めて触れたときその子供はひどく驚いた顔をした。




 風切羽−接−




挨拶といっていいのか分からないそんな会話を交わした後、
子供は急に元気を無くして上目遣いにネジをみた。そうして
迷うように口篭って、次いで怯えるように口を開いた。
「あ、あの‥上がるってば?」
それはネジの知る限り照れているもののそれで。だから彼は
にっこり笑って、うんと応えた。それをみて、また子供は元
気を取り戻したらしくぱっと笑顔を上げると身を翻した。
部屋半ばまで駆けて振り向いた彼は、はやくとネジを急かす。
それまでの行程を呆けたように見守っていたネジも、それを
聞いて急いで靴を脱いだ。



その小屋は、分けようと思うなら、8畳の部屋が2つ作れそ
うな広さだった。柱も丁度真ん中辺に部屋を分かつように立
っている。部屋の奥、子供は元居た場所に座りなおした。初
めと違うのはその向き、窓には向かわず、窓に沿うように座
った。そしてその前を両掌でぽんぽんと叩く。ここに座れと
いう合図だろう。
大人しくそれに従ってネジは正座した。そうしたのは子供も
そうだったからだ。
別段ネジは日頃から正座だったし、それが自然だったのだが、
それをみた子供の顔が歪んだ。
「あ、あのね、あの‥、足、くずしていいってばよ?」
寄せる眉に首をかしげたのはネジだった。
「何で?君も正座してるじゃないか。」
じゃあ君もときなよ。と何とはなしに云うと、驚いたように
子供は軽く目を見開いた。
「う‥うん。じゃあ一緒に‥」
先にくずしていいのに。
ネジはくすっと笑って、子供らしい提案に賛成した。
「じゃあ一緒にくずそ。」
掛け声こそなかったものの、互いに互いを伺って、ほぼ同時
に尻を畳についた。
それから各々楽な姿勢をとって、顔を見合わせたときこみあ
げる可笑しさのままに笑い合った。



ひとしきり笑った後、涙の滲んだ目元を指の背で擦る子供に
ネジは忘れていた、と口を開いた。
「自己紹介がまだだったね。僕は日向一族のネジ。君は?」
そう名乗ったネジにまたも子供は驚いたような顔をした。
それをどうとったのかネジが言葉を続ける。
「僕のこと知ってるの?」
と問うたが、子供は首を振る。
「ううん。」
初めてだったから‥
後に続いたらしい言葉は小さすぎて、というよりも唇を動か
しただけのようにしか見えなかったため聞き取ることはでき
なかった。それを問おうと口を開いたが、子供のほうが早か
った。
「オレはナルト!うずまきナルトっていうんだってばっ」
何を急ぐことがあるのかと思うほどに、ナルトと名乗る子供
は勢い込んで云った。
「ナルトっていうの?じゃあナルトって呼び捨てでいい?年
はいくつ?僕は4つだよ。」
ネジの言葉一つ一つが嬉しいのだというように目を輝かせて、
ネジの質問の言葉がきれるのを待ちきれないとばかりに身を
乗り出して聞いている。
「オレってば3つ!じゃあやっぱりネジはおにいちゃんだっ
てば、ネジにぃちゃんって呼んでい?」
可愛らしい、全ての所作が可愛らしいとしか映らないナルト
にネジはいいよと微笑んで
彼の持つ『兄』像のままにその頭を撫でた。
手を乗せた瞬間、またも驚いて、その上びくりと肩を震わせ
た子供にネジもまた首を傾げてその柔らかい猫っ毛をさわさ
わと撫でた。
そのうち、見開いた目を元に戻して、呆けたような表情でネ
ジを見つめていた子供は、今度はくしゃりと顔を歪めた。そ
れはあたかも泣き出す瞬間のそれだったけれど、子供はそう
はせずにかっと歯を見せて笑った。
その子供の笑顔にネジも口元を綻ばせた。



柔らかい、柔らかい時間。
それを秘密めいた場所で、秘密めいた子供と共有しているこ
とを、ネジはどこか誇らしく感じていた。

しばらくの間、子供の頭を撫でる手はそのままに。





夕暮れが山の頂に差し掛かるころ、ネジは帰らなきゃと腰を
上げた。
それをみて、子供は驚くような不思議がるような顔でネジを
仰いだ。
「帰るのかってば?」
寂しげに問う子供に、ネジも別れが惜しくなり同じように眉
を垂れさせて
「うん。早く帰んなきゃ父さんたちも心配するし。」
その言葉にはっとなったように身体を硬直させ、俯くと
「そ‥か、そだってばね。ネジも子供だったってば‥」
なにやらネジには訳の分からない言葉を呟いてぱっと顔を上
げた。先ほどの呟きの声音とは打って変わって晴れやかな表
情で
「じゃあ、またねってばよ。」
「うん。またね。」
明日も来よう。ネジはそうは告げずに心の中だけで思った。
気持ちはすでに明日へといっているが、とりあえずは家に帰
らなければならない。このことも友達に言わなければ。けれ
ど、どう云おう?ありのまま言うのはなんだか癪に障る。
独り占めしたい。そんな想いが過ぎった。


じゃあまたね、ともう一度戸口に立って手を振った。
子供もまた、部屋の奥に座ったまま、手を振った。



日が低くなり、陰影の濃くなった部屋の中で、子供の姿は酷
く危うげだった。





山を下りながらふとネジは思う。
あそこには遊ぶものが何もないようだったから明日は何か持
っていこう。
綾取り、けん玉、お手玉もするだろうか
女の子っぽい遊びでも、あの子には似合いそうな気がする。
部屋の中から出る気配はなかったから、病気なのかもしれな
い。
花を見たことはあるかな。虫は好きかな。木の実や果物は?



考え付く限りのものを持っていってやりたい。
ネジは明日また会えるだろう子供の、それを見たときの顔が
楽しみで
自然軽くなる足で土を蹴った。






 □  □  □






 風切羽−兆−




「あれ?ネジにぃちゃん、その包帯何?」
ここ数日で溜め込んだ遊び道具や木の実を部屋中に散らかし
て、といってもすぐ手に取れるよう近いところに転がした中
でナルトはネジの額を指差した。
「うん。実はね昨日‥ヒナタさまって本家のお嬢様に初めて
お会いしてね?」
ナルトがその言葉に頷くのを確認して
「本家のご当主から印をもらったんだ。」
僕の大事なお役目のね。
『お役目』。それを耳にしてナルトは不思議そうに首を傾げ
た。
「ネジにぃちゃんは色んなお役目持ってて大変だってば。」
色んな。ナルトにはこれだけで自分が多くの仕事をもってい
ると感じるのだろうか。
そのことに、そんなことないよと照れたように笑った。


「でね、ナルト、僕昼の修行の量が増えちゃって、ここに来
るのも少し少なくなっちゃうかもしれないんだ。」
残念そうに云うネジに、ナルトも眉を八の字にして、
「そ‥なのかってば‥?」
とネジに負けず劣らず悲しそうに、俯いたままネジを見る。
そんなナルトの様子に、ネジは慌てて
「でもっ、なるべくいっぱいくるようにするから‥っ!」
と畳に手をついて、ナルトに向かって身を乗り出し云った。
そんな、ナルトを元気付けようとしている風なネジにナルト
は嬉しそうに、しかしまだ寂しそうに微笑んで
「大丈夫だってば、お役目頑張ってってばよ。」
そう云った。


その日は空が赤くなる前に戸に手をかけた。




ネジの去った部屋の中でナルトは膝を抱えた。
ネジはあまり来れなくなると言った。それは仕方のないこと
と受け入れなければならないのだろう。短い間だったけれど
楽しかった。
ここにいない間も仲良くできれば良いのに‥
それは無理なことなのだろうか。


ナルトは3つというその頭で、悲しいほどに達観した考えを
もっていた。
大人びた、というものではなく、何事も受け入れる、諦める
という
ナルトは唇を引き結んだ。眉根を寄せて、ぎっと宙を睨み付
ける。肩は震えるが声はなかった。



いいのだ、別に。
どうせ明日からはここから出られる。



その日は月満ちた日から数えて8日目だった。







人生の契機というものは残酷に、期せずしてやってくる。

あの日ナルトと別れて、次の日の修行をどうやって抜け出そ
うかと考えて家路を急いだ日の翌日、良い按排で抜け出せた
ネジは顔だけでもとあの小屋を訪れたのだが、そこにナルト
は居なかった。
そんなことは初めてで、外に出たのかと小屋の周りを探して
みたが、そんな気配はまったくなく、また書置きでもないか
と小屋に入ってナルトのいつもいる辺りにたって見回したが
何にも見つからなかった。書置きどころか、いつも散らして
ある遊び道具も箱の中に収められて部屋の隅に置かれていた。
あまりの変化にネジは戸惑った。
引っ越したのだろうか?そうも思ったが、それはまったく信
憑性の感じられないもので、ただ
居なくなった
それがしっくりくる表現だった。
何が起こったのかわからない。けれどどうすることもできな
くて、ネジは日が暮れるまでそこにいた。それでもあの子供
は帰ってこなかった。



その日、修行を抜け出したことを父親に叱られたが、それで
落ち込む余地など残っていないほどネジの気持ちは沈んでい
た。その様子も父親は察していて、酷く叱ることもなく、ま
た何が起きたのかと訊くこともなかった。
帰ってから一度も顔をあげない−叱られることを覚悟してい
るのとはまた別の理由かららしい−ネジに一応の説教を済ま
せた彼は、優しくその頭に掌をのせた。そして一言こう付け
加えた。
「お前はヒナタ様をお守りするのだから。強くならなければ
ならぬぞ。」
慈しむような暖かさを持ったその声に、ネジは顔をあげて父
親の顔を見ると、その微笑に泣きそうな思いを抱いて、その
思いのまま父親にしがみ付いた。
「おいおい、どうしたんだ?ネジ。」
困ったような父親の声も聞き流して、ネジはありったけの力
でしがみ付いていた。





酷く残酷なその契機を、彼は運命と名づけた


ナルトと会えなくなって10日が過ぎようとしていた。
ネジはその間気分が浮上することはなく、修行にもなかなか
身が入らなかった。見かねた父親はたびたび休憩を取らせた
が、やはり理由をきくことはしなかった。それが子供ながら
も彼のもつ秘密の部分と察してのことだった。ネジも初めは
いつ問いただされるかと怯えていたが、その父親の態度に今
では安心し、感謝すらしていた。
今もまた、修行の合間の息抜きだった。


父と並んで縁側に座っている。何を話すでもなく、ただ庭に
降り注ぐ日の光をみつめ、そよぐ風を感じていた。ネジはそ
の日の暖かさにあの小屋に注ぐ日を思いだした。それと同時
にあの子供の顔も。意識を他に飛ばしたことにすぐに気づい
た父親はちらりと彼の横顔を伺い見て軽い溜息を吐いた。
ここ何日も覇気のない息子を見続けているが、未だその解決
策が見つからない。直接訊くのも躊躇われ様子を見守ってい
る。
しかしここらで喝をいれておかねば彼の担った任は果たせな
い。そのいい契機になるだろうと父は口を開いた。
「ネジ、ヒナタ様は3歳になられ跡目教育が本格的になった。
お前も分家の跡取りとしてあのお方をお守りする使命を持っ
ている。それには十分に強くなくてはならない。」
分かるな?
意識を戻した息子と目を合わせて言い聞かす。
ヒナタ様‥
ネジはその言葉を口の中で反芻した。
ヒナタ様‥そうだあの方は3歳になられたのだ。


ナルトも3つだったな‥


それに続いた父の言葉は今もネジの耳に焼き付いている。
――お前は誰より日向の才に愛されている。必ずやその役目
に満足な男となろう





そうして父も望んだ『契機』は確かにネジに訪れた。それが
父の望んだものと同一かどうかは分からぬが、ネジは己の
“運命”を定めたのだ。













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