風切羽−惑−




アカデミーのシステムは単純だ。
基礎、演習、応用の3段階教育。応用段階において独自の技
術が磨かれれば卒業資格を得る。そのためアカデミーに特定
の期間はない。1年で卒業することも可能である。もちろん
入学時の年齢も各々の判断による。
さりとて、それも年単位のこと。入学のずれが月単位なら、
人々の関心もそこそこに呼ぶ。
子供ならばなお更だ。


あの子供がアカデミーに


入学当日からナルトを取り巻く空気は奇妙なものだった。今
は入学して1週間近くが経つが、居心地が良いでもないが悪
いでもない微妙な感覚は薄れない。ナルトは他と時期を異に
して入学したわけであるから探られる側なのは仕方がないと
もいえる。が、この空気は“微妙”よりも“異様”だった。
ナルトは窓際中段の席に座っているのだが、大きく4つに分
けられた集合のひとつであるそこには上段下段見事に子供た
ちはいない。追記するならば、隣の集合、窓よりの半分にも
誰もいない。ここまでくると様子見というより避けていると
しか考えられないが、遠くでこそこそと囁かれたり窺われた
りしてはそれだけともいえないようだ。
ナルトにその理由は分からなかった。
周りの人間は知っているようでもあるが、この状態で訊ねる
ことなど不可能だろう。ナルトはただつまらなそうに窓の外
を眺めているしかなかった。
そしてぼんやり思う。
己の月1の発作が原因なのだろうか、と。



ナルトは自身が病気を患っていることを知っている。月に一
度、身体の中で何かが暴れるような酷い発作を起こす原因不
明の病。その為に月の半分を静養と称して人里離れた森の中
で過ごしているのだ。
しかしそれでは何故そんなことが知れているのか。親どころ
か親戚さえ1人としていない身の上。さらに近所付き合いが
良いわけでもない。
そんな自分の情報が何故流れているのか。

不思議以外の何ものでもない。

つまらない、というよりももはや泣きそうな面持ちでナルト
は頬杖をつき、外を眺め続けた。








 『嫌な思い』というものはすぐに知ることができた。


入学させると云われたものの、その日時は伝えられずにただ
自然と見つけるのを待つしかなかった。
覗きにいこうにもすでに次の段階に進んでいたネジは、入っ
たばかりの子供たちの教室とは離れていて、授業の合間の10
分でそこを行き来するのは無理だった。
あの目立つ容姿だ。一目見ればすぐに分かるというだけに、
悔しさはつのった。
そんなある日、早めに引けたネジは、アカデミーの門をくぐ
ろうとしているあの子供の横顔をみた。
――ナルトだ
間違えようはずも無い。ざっくばらんな髪はまだ夕闇には早
い日の光を受けながら、上下に揺れている。いつも見ている
和装ではなく洋装だが、体つきも確かにあの子供だ。
驚きと歓喜に、門に向かっていた己の足が止まってたが、そ
の姿が門の影に隠れるころにはっと覚醒し、声をかけようと
駆け出した。
そうして隠れていた姿を門をくぐるところで見つけ出して、
人波にまぎれる金色の頭を呼び止めようとして、声が引っか
かった。
そこは帰路につく子供たちと迎えの親が数人いて、確かに込
み合っているはずなのに、その子供の周りだけは綺麗にはけ
ていた。
人混みに空から一点穴を開けたようなその中心に彼はいて。
その円は彼に伴い移動する。
声をかけなければと口を開く。開くが声はでてこない。
呼ばなければ、気づかせなければ
肩を落として遠ざかっていく後姿に、ネジは近づこうと人波
のなかもがきながら進むけれどその差は縮まるどころかどん
どん離れていって、やがて視界から消えてしまった。
ナルト、ナルトと声無き声は呼び続けていた。




 □  □  □




 風切羽−動−




ネジは苛々と鉛筆を動かしている。
今はアカデミーの授業時間だ。ネジの押さえている紙には諜
報の際に取るべき経路の問題が書かれている。
ネジはそれに適当に線を引き、思いつく妨害や対処策を書き
足していく。
ガリガリと荒っぽい音を立てて、途中幾度か芯を折った。
授業には殆ど身が入らなくなっていた。


昼、ナルトに近づくことが叶わない。
後姿だけでなく、その顔も見れる位置にいたことさえあると
いうのに。
いつも何かしら邪魔が入る。
ネジははやく火影様に呼ばれたいと思っていた。
きっと火影様ならばネジの現状もその理由も把握しておられ
る。そしてその打開策も。
終了の鐘とともに、ネジは鉛筆を置いた。








小鳥と呼んだ男に、青年にさしかかる歳の少年が顔を向けた。
「コトリ‥という名前なのですか?私がきいたのは‥」
「本当の名は呼ばない。」
その口は口にするのもおぞましいというように歪められてい
て、目に湛える光は庇護されるべき存在に向けるには全く相
応しいものではなかった。
だから少年はただ瞳を揺らしただけで、顔を元の位置に戻す
しかなかった。
薄暗い小屋の中、冷えた空気が肌に心地よい。
小鳥と男はもう一度呼び、それが来るのを待った。
そのうちに軽い衣擦れの音と畳を踏みしめる音が届き、闇を
払いながら金色の子供が駆けてきた。
たどたどしい歩みに見ているものは手を貸さずにはおれない
はずなのに、男はまんじりともせず、もはや睨み付けるよう
にその子供をみつめていた。
先輩格といえる男に少年が何を言えるわけもなく、その子供
が転ばないか泣かないかとただ見つめているしかなかった。


ようやく側まできた子供に、自然とあげた手を男に制され顔
をみると、男は目を子供に向けたまま唇だけを動かした。
触るな
そう伝える動きに少年はおもおえず眉を顰め、けれど倣うし
かないと知っていた。


これが今日からお前の世話をやく男だ。何も聞くな、何も言
うな。何もせずお前は今まで通り眠っていろ。
男は少年がまだ子供に手を伸ばそうとしていると思っている
のか、制する手を下げないまま淡々とそう云った。
少年はもう唖然とするしかない心境でその言葉を聞いていた
が、言葉が途切れると共にようやく子供に目を向けた。
そしてその表情が己の心臓をわし掴んだかのような息苦しさ
を覚えた。己の鼓動をすぐ間近で聞きながら青年は男に連れ
られるままそこをでた。


あの顔は、あの目は、あの口は
きっともっと違う言葉を期待していたのだ。期待して打ち砕
かれて、それをずっと続けてきたのだ。
幼い心に大人という存在は絶対だ。その絶対的存在が己に手
を差し出してくれることを願っている。そしてその差し出さ
ない手を己が引き継がなければならないのだ。
ほぼ垂直の坂を、木の根に足をかけながら下りていくその途
中、少年はちらりと振り返った。すでに屋根だけしか見えな
くなったそこに、日の光だけが暖かく降り注いでいた。
優しく、外界から隔絶するように。



小鳥、小鳥、籠の鳥
いつか君をそこから出せることを願う
いつかきっと君をそこから出してみせる


未だ幼き籠の鳥
羽を?がれる前に飛べばいい








「何が見えておった?」
嗤う様なその声にはっと気づけば仕事の途中だった。立ちな
がら意識を飛ばしていたらしい。
「申し訳ございません火影様‥」
慌てて取り繕おうとして、老爺が気を害した様子は窺われな
いにほっと息をついた。
しかし未だ可笑しげに己を見やる目が理由を聞きたそうに細
められていて、男は今度は諦めるように息を吐いた。
「あの子と初めて会った日のことを思い出しておりました。」
それだけの言葉に、ほうそうかと面白がるように幾度か頷い
て、老爺は己の職務に戻った。
書類をめくる里長の傍らに立ちながら、男はあの一年を思い
出していた。


寂しい一年だった。
オレはあの子の世界を変えることはできなかった。あの一年
は他の者たちと何ら変わらぬものだったに違いない。
日向の子は既に一年と半年だ。
本当にあの子なら籠の戸を開けることができるというのだろ
うか。



小鳥、小鳥、籠の鳥
飛び方はまだ 覚えているか








「ナルト」
実に半月ぶりにネジはナルトに会うことができた。
それは別段今まで通りであるのだが、アカデミーに通うとな
ると役目以外でも会えることを期待してしまうから、自然随
分と久しぶりのように感じられた。
喜びを全開にしてネジは小屋の戸を開けたが、いつもならば
返ってくるナルトの声がない。
どうしたのかと、若干慎重にネジは土間に上がった。
そこはまたいつものように暗く、ひんやりとした空気が漂っ
ている。
「ナルト?」
小声でもよく通る空間である。ネジは思ったよりも大きく聞
こえた声に思わず緊張した。
「ナルト?」
自信なさ気に呼びかけながら、ネジは靴をぬぎ、畳の上に上
がる。
外も暗く、中も暗い。必要最低限の光しか拾わない格子窓。
求める子供の姿は見えない。
ナルトがアカデミーに入学してから初めての逢瀬である。話
したいことも、聞きたいこともある。
なにより、ナルトが寂しがっているような、そんな気がして
いた。
奥部屋の奥の隅に、月の光を拒絶するようにその子供は畳に
伏して蹲っていた。その様子に呆気に取られたネジの声が零
れた。
「ナルト」


「どうしたの?」
次いで心配気なものに変わって、慌てて子供の傍らに駆け寄
って、
「ナルト…?」
伸ばした手が肩に触れる瞬間それは大きくはねた。思わず引
いてしまった手は宙にとどまることになり、ネジはますます
混乱することになった。
酷く怯えている。
それだけは分かるのだか、それが何に対してなのかが分から
ない。
もはや子供の名を呼ぶこともできず、上手く働かない頭で見
つめることしか出来なかった。


やがて、子供はようやく他の存在に気づいたように、そろり
そろりと顔を上げる。
「ネジ‥にぃちゃ‥?」
弱弱しいその声と暗がりに慣れた目に映る濡れた瞳が、泣い
ているようにみえてネジの息を詰めた。
「どうしたの?ナルト‥っ、どこか痛いの?」
ようやく聞けたナルトの声に、堰を切ったように言葉が飛び
出す。
ナルトの震えはまだ止まっていない。
「なか‥」
「え?」
「お腹んなかに‥」
目はネジに当てたまま、ゆっくりと完全に身を起こす。身体
の下になっていた両腕は腹を押さえるように交差してそれぞ
れ脇腹の服を掴んでいた。



化け物がいる












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