狐、狐と声がする。 あいつはもうナルトではないのか。 それでも君への想いが ネジ と男が呼んだ。 宵に差し掛かった窓の外、梢近い枝の上で、男は急かすように名を 呼んだ。 「イルカ先生?」 アカデミーを卒業してからもう何年と経つのに、いまだそう敬称を つけてよんでしまうのは彼のそうさせる人柄からだ。 常にどこか優しさを滲ませる一文字の鼻傷と高く結った黒髪が特徴 的な良き教師だった。 「どうなさったのですか?」 窓の外からなんて… と窓を開けながら尋ねれば 「ついてきてくれないか?」 困ったような、泣きそうな顔で笑って、窓からの距離をあけた。 その意味をとって、ネジは頷き常に手元に置いてある靴をすばやく 履くと、縁に足をかけた。 それから数秒後、仲間の忍がネジの部屋のドアを叩いた。 どうなさったのですか? と、初めに問うたことをネジは再び問う。 窓から枝に降り立つと、イルカはすでに数歩先にネジを見つめて立 っており、そのまま身を翻すから、とっさにネジはイルカを追って、 忍の足で、忍の速さで、2人はとうに街を随分と離れてしまっていた。 「どうなさったのですか、イルカ先生。なにか起こったのですか?」 ただひたすらに背を向け走り続けるイルカに、これまで彼に対し一 度も抱くことのなかった違和感を感じつつあった。 「イルカ先生?なんとか言ってはいただけませんか。一体どこへ向 かっているのです。」 何度同じことを、言葉を変えて問うたところでその先に応えはなく、 いい加減諦めようとしたところに 「ごめんなぁ」 酷く弱弱しく、ぽつりとイルカが言葉を落とした。 「は…?」 気の抜けたところへの一言だったために、聞こえた言葉が果たして 彼の発したものどおりだったのか確信できずに、そんな間の抜けた 言葉を返してしまった。 しかしそれ以上を追求することもできず、結局ネジも沈黙を守りイ ルカの後についていくだけだった。 2人はいまや人の踏み入らぬ森の奥まで入り込んでいた。 □ □ □ ばたばたとけたたましい音がその場を包んでいる。 「おい、一体どうしちまったんだ?なんだよこの騒ぎ…」 普段のものぐさな態度にやや緊張を滲ませて、奈良シカマルが詰め 所の入り口をくぐった。 周りは上忍、中忍入り乱れて四方八方に走り回っているらしい。普 段にない異常な空気にシカマルも不安を隠せないでいる。 「どうしたもこうしたも。コッチが聞きたいぜ。赤丸が怯えて仕様 がねえ。」 不安よりも怒りが勝っているらしいキバが、懐にいれた愛犬を宥め ながらシカマルの後ろに現れた。 「なんだ?下忍の奴らも招集かけられたのかよ。」 意外な人物の登場に軽く目を見開いてシカマルが言った。 「あぁ。どうやら里の忍全員が集められたみてぇだな。」 一体何があったんだか どうやらキバもこの状況に戸惑いを感じていているらしい、がそれ を怒りの方向へ変えるのがキバがキバたるゆえんであろう。まさし く犬のように、空気に倣い毛を逆立てているようだ。 そこに、一人の女性が現れ、部屋の中は波が引くように静かになっ た。 「なにはともあれ、火影様は知っておられるようだぜ。」 そう、現れた女性に顔を向けてシカマルは言った。 □ □ □ ふっとイルカが消えた。追い越したのだ。 慌ててネジは後ろを振りむく。 「…イルカ先生?」 今までの走りが嘘だったかのようにピタリと足を止めてしまったイ ルカにいぶかしむ様な視線を向ける。 一体なんだというのだ。 「イルカせん…」 「ごめんなぁ」 せんせい? ごめんなぁ、ごめんと今にも泣き崩れそうな顔を俯けて、それだけ を繰り返す。両脇にだらりとたらした拳を強く握って涙を見せずに 泣いている。 「イルカ先生…」 何があったのですか、と問おうとして、やはりそれもイルカの声に 遮られた。 「ごめんなぁ…」 なるとぉ… ナルト…? 「っ、先生!!ナルトがどうかしたんですか!?」 叫んだネジの目の前で、イルカのあのはっきりとしていた姿は、す うっと霞んで消えてしまった。 「な…」 後に残されたのは、確かにイルカの後ろにあったはずの闇と、驚き に言葉を失ったネジだけだった。 □ □ □ 現れた5代目火影はそれでもなかなか口を開こうとしなかった。 付き人のシズネも、己の主人を直視することはなく、己を、皆を押 しつぶさんとのしかかる何かに必死で耐えているようだった。 やがて、覚悟が決まったのか、火影と呼ばれる里の最高権力者、里 の決定権をもつ女性が重々しく口を開いた。 それはわずか前から徐々に大きくなっていったもので、そしてその 成長に合わせるように、森にすむ動物たちは里へと下りていた。 「なんてこったよ。」 苦々しげにそう吐き捨てたのは、下忍…己の友人たちを率いたシカ マルである。 「すげぇ密度の塊みてぇだな…。こんな離れてんのにびりびりきや がる。」 初めにあった怒りの思いはすでになく、キバはただ緊張に汗を浮か べている。 「これが…本当にアイツなのか…?」 信じられない、といつもの無表情を崩してシノが呟いた。 「シカマル――――」 そう大声で駆けてきたのは、彼の幼馴染であるチョウジだった。傍 らには2つの団子を結った頭が特徴的な女性がいた。 「おう、チョウジ。と、アンタは…」 「テンテンよ。ネジと同じ班の」 潔い印象を与える瞳は、今この場の空気を痛いほどに感じているか らだろう。覚悟を決めたものの目は潔さとともに精悍さを与える。 「で、そのアンタがなぜここに?ネジはどうしたんだ?」 集まりにも来てなかっただろ。 シカマルの言うとおり、里の忍全員が集まっているはずの場にネジ はいなかった。呼びに行ったものがいるはずなのだがネジはいまも 顔を見せない。 それでチームを組むことになったシカマルら4人が探していたのだが、 最後に戻ってきたチョウジがつれてきたのはテンテンだった。 「そのネジのことで話があるのよ」 寄せた眉にさらに眉間の皺を深くして、彼女はいった。 「ネジのことって…なんだ?」 何度か共に任務に就いたこともある、仲間と呼べる人物について己 が知らないことを教えようというテンテンに、戸惑いと共に、この 場に関係のあることなのかと眉をよせたシカマルが訊ねた。 「あの先にいるものに、ネジを近づけちゃいけない。」 神妙な顔でそういったテンテンに、どういうことだと目でうったえ る。 「あなたたち、ネジとあの子の関係を知ってるの?」 逆に問い返された言葉に、あぁと納得した。 「関係…ってほど深いもんでもなさそうだったが…。確かにネジは あいつとは特別仲良かったな。」 ぼりぼりと後ろ頭を掻きながらシカマルは言った。 「それを知っててあなたたちネジを連れてこようとしてるの!?」 自然強くなる語調を彼女は抑えられなかった。 「知ってる知らねぇは関係ねぇよ。火影命令だ。ここでこなきゃア イツだって後々立場危うくなるだろ。」 面倒くさいといわんばかりに、視線をあわせようともしない。 「第一、あいつのことネジがどう思っていようと、ネジは…」 「命令には背かない」 今まで口を挟まないでいたシノが言った。 「あいつはどんな命令にも従う。それが忍であり存在理由だからだ。」 突然の介入に驚きもせずテンテンは色眼鏡ごしの目を見返す。 「アンタもそれは分かっているはずだ。けれどネジをとめようとす る。何故だ?」 「何故ですって!?決まってるでしょう!つらいからよ!どこの世 界に好きな相手を殺せるやつがいるの!?」 「ここにいる。」 シノの言葉は冷水のようにテンテンに被せられた。 「ここにいる全員がそうだ。命令ならば従う。たとえどんな相手で も。」 淡々としているが故に彼の心は分からない。 何を思い、どう感じながらその言葉を紡ぐのか…。 「そう…ね。確かにそうだわ。だけど…、命令を遂行したあと彼は どうなるの?忍は、自害さえも許されていないわけではないわ…」 私はそれが心配なのだと語らなくともよく分かる。 彼女の表情が全てを語っている。 泣きそうに歪められた。 最後の頼みも駄目なのか、と失望が目に滲んでいた。 「大事な奴だから、せめて手前で引導渡してやろうと思うのもあり だろ。」 そこにシカマルが口を開いた。 「引導渡すか、逃げるか、それはアイツが決めることだ。おれたち ゃその答を聞いてねぇ。だから探す。それが仲間だと思ってる。」 言わせんなよこんなこと、と面倒臭気にぼやくのに、多少が照れが 入っているようにもみえた。 そういえば、とテンテンは思う。 そういえば、彼の師も面倒くさいが口癖だ。師弟というものは似る ものなのか、似ているものが師弟となったのか。とにかく面倒くさ いが口癖なわりに何かと世話焼きな男を思い浮かべてテンテンはふ っと肩の力が抜けた気がした。 大丈夫かもしれない。 彼に任せれば、自分が心配していることなど起きないかもしれない。 テンテンはそこで、えぇそうね、と微笑んで 「ごめんなさい、出すぎた真似をしたわ。」 「彼のこと‥、頼むわね。」 そういってテンテンは去った。自分の持ち場に戻るのだろう。 「さぁってとぉ。面倒くせぇがやるしかねぇか。ネジがくるまで誰 も死ぬんじゃねぇぞ。」 ネジはくる。それは確信。 □ □ □ それは正しく光だった。 身のうちに注ぐ、太陽の光のように暖かな 闇をはらう、閃光のように鮮やかな まぶしさに涙が出るような、それは正しく光だった。 はっと、ネジは意識を覚醒させた。 なんだったのだ…今のは、 確かにいま、先生は消えた。 それがどういうことなのか なにを意味するものなのか ネジは気づきながら否定した。 ありえない。あってはいけない。 彼が最後の砦なのだから… ネジは辺りを見回した。 随分遠くまで来てしまった。 まっすぐ走っていたつもりだが、ひたすらにイルカの背中を追って いたネジはそれが確かかどうか分からなかった。 イルカの纏う雰囲気と、その動きが思っていた以上に俊敏だったか らといって、そんな余裕さえ持てなかったのかと舌打ちをした。 では何故彼はここに連れてきたのか ここに何かあるとでもいうのか それとも、その逆か ネジは意識を集中させた。ネジの今いる辺り一帯を探るために。 「なんなんだこれは!」 数分もしないうちにネジは声を荒らげて、幹に拳を叩きつけた。 白眼で辺りを探りながら、ネジは違和感に気づいていた。 結界が張られている。それも何かを封じ込めるため。 信じられない。『何か』、それは自分だった。 一体どういうことなんだ 先生が俺をここに連れてきた理由は俺を閉じ込めるためだった? まったく訳が分からない。だが、閉じ込められていることとは別個 の不安が湧き上がってきているのにもネジは気づいていた。 出られないことへの焦りからではなく、もっと別の何かに対する。 はやくここから出なければ。 正体を掴めぬ「不安」にネジはただ急いだ。 結界の媒介を見つけること それが今できる唯一の解決法だ。 ナルト、と彼は言った。 ナルト、と確かにその名を口にしたのだ。 ならば彼になにかが起きている、そう考えて間違いはないだろう。 だが、何故謝っていたのか。 それがさらに焦りを助長させた。 世界は光に溢れているのだと 教えてくれたのはアイツだった。 そしてそれは守る価値があるのだと 教えてくれたのがアイツだった。 感謝している。この上ないほどに。 だから今度は俺が返す番なのだ。 □ □ □ 狐、狐と声がする。 己を詰る声がする。 あぁ、そうだオレは狐だ うずまきナルトは死んだのだ。 next 01.15.2005 加筆修正 耶斗 |